「老い」を考える

■「老い」について書いた

「死学」が私のライフワークである。
「高齢者問題」について書くこと、しゃべることはあっても、「私自身の老い」について書いたのは今回が最初であるように思う。

先日の「古墳から現代まで 墓諸相」に続いて古い友人が発行人を務める会員用月刊紙に求められて書いたのが

老いを生きる その生と死

である。

私は1946(昭和21)年1月19日生まれであるから73歳、同学年の者には74歳になった者もいる。

でも世にいう「高齢者」とは、
65~74歳 前期高齢者
75歳以上 後期高齢者
であるから、私は「前期」の高齢者であって、自らを「高齢者」と呼ぶのはまだ不適格と考えていた。

「老いていく」ということの実感がまだまだ不足しており、「老いる」ことを書くのはおこがましい、と思っていたからである。

しかし、テーマを与えられて考えた。

自覚はともかくとして、世の中では自分はやはり高齢者である。事実さまざまな場面で引退することがあたりまえと思われている。
85歳になったら書けるか?
その年齢まで生きている保障はないし、生きていたとしても自分の状態を表現できる力が残っているとは限らない。むしろ難しいだろう。
とするなら、書けるうちに今の「老いゆく」過程にある自分について書いておくのもありかな、と思って引き受けた。

ここに書いたことについて5年後、10年後に自分が生きていたとしたら何ていうか、はなはだ自信がない。
しかし、5年後、10年後に何らかの感想を抱いたにせよ、それが客観性をもつとはかぎらない。
いいように自己肯定している可能性も高い。

「老い」というのは個体差がはなはだ大きい。
また、高齢になれば変化もまた瞬時にくる。
昨年訪れた時にはしっかりして賢明であった義兄が78歳にして認知症になりグループホームに入所、記憶障害が強いという甥からの報告は他人事とは思えなかった。

■「高齢者」の概念が変わろうとしている

政府は、年金政策とかの背景もあってのことだが、今後は65~74歳を「高齢者予備軍」とし、75歳以上を「高齢者」と呼ぶよう改めようとしている。

最新の『令和元年版高齢社会白書』(内閣府)には、

「高齢者とは」と題して以下のように書いている。

 高齢者の用語は文脈や制度ごとに対象が異なり、一律の定義がない。高齢社会対策大綱(平成30年2月閣議決定)では、便宜上、 一般通念上の「高齢者」を広く指す語として用いている。本白書においても、各種の統計や制度の定義に従う場合のほかは、一般通念 上の「高齢者」を広く指す語として用いることとする。
  なお、高齢者の定義と区分に関しては、日本老年学会・日本老年医学会「高齢者に関する定義検討ワーキンググループ 報告書」(平 成29年3月)において、75歳以上を高齢者の新たな定義とすることが提案されている。
  また、高齢社会対策大綱においても、「65歳以上を一律に「高齢者」と見る一般的な傾向は、現状に照らせばもはや現実的なもので はなくなりつつある。」とされている。

『令和元年版高齢社会白書』は高齢化の状況を以下のようにまとめている。

・我が国の総人口は、平成30(2018)年10月1日現在、1億2,644万人。
 ・65歳以上人口は、3,558万人。総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は28.1%。
 ・「65歳~74歳人口」は1,760万人、総人口に占める割合は13.9%。「75歳以上人口」は1,798万人、総人口に 占める割合は14.2%で、65歳~74歳人口を上回った。
 ・令和47(2065)年には、約2.6人に1人が65歳以上、約3.9人に1人が75歳以上。

「これからは75歳以上を高齢者といいますよ」という意図が見え見えである。

■「老いを生きる―その生と死」(全文)

原題は「老いを考える」である。
また青木新門さんにならい「生と死」とは書かずに「生死(しょうじ)」と一体で考えるようにしているので、「生と死」は編集部が付けたものである。

■帽子

2~3年前より外出時に帽子をかぶっている。洒落てではない。変哲もない野球帽だ。

70歳を越したあたりから電車で若い人に席を譲られることが明らかに多くなった。
私の頭髪は薄毛で白髪である。
だが帽子をかぶって電車に乗っていると席を譲られることが格段に少なくなった。

老化を体力低下とみるならば、最初に自覚したのが40代。
30代までは平気だった2晩連続徹夜ができなくなった。
60代末で1晩徹夜もできなくなった。

何となく「歳とったな」と思ったのは65歳を過ぎた時。
いろいろな面で「老けた」と思うようになった。

私は原稿を書くのが仕事だ。
1晩で400字原稿用紙にして30枚、文字数で1万~1万2千字を1晩で書くのが平常のペースだったが、65歳を境に書くスピードが急激に劣化。
決断力も鈍化し、73歳の現在、1万字程度の原稿を書くのに1週間は要するようになった。

スポーツ選手の「引退」は35歳を境に急速に増え、40歳を超えて「現役」であるのは稀少。
彼らは「レジェンド」といわれる。

■平均寿命の変化

2017(平成29)年の平均寿命は男性81歳、女性87歳である。戦後急伸した。

統計的には、まさに「戦後」の混乱期である1947(昭和22)年の平均寿命が男性50歳、女性54歳。
高度経済成長期に入って急激に伸びる。
1955(昭和30)年には男性64歳、女性68歳、1975(昭和50)年には男性72歳、女性77歳、1995(平成7)年には男性76歳、女性83歳、2015(平成27)年には男性81歳、女性87歳。

もうすぐ90歳があたりまえになる。

江戸~明治の平均寿命は40代である。

もっとも戦後復興後に急激に低下したのは乳幼児の死亡率で、長寿化に大きく寄与した。

私の親族を例にとると、2年前に母方の叔母が93歳で死亡して前の世代はすべて鬼籍に入った。
4人の祖父母は、父方の祖母の94歳を除き、他の3人は50代、60代で死亡している。
だが両親は母98歳、父87歳と長命。

■若くして死んだ者の記憶

私は20代の頃、身近な友人を3人亡くしている。
気分としては予期せぬ突風で自らの分身をもがれた感覚だった。
いずれも自死。

30代では急病や事故での突然の死が多い。
私はその死を受け容れることが困難だった。

40代より急激にがんによる死亡が増加した。
彼ら彼女らは「なぜ自分が死ななければいけないのか」と憤ったまま死亡した。

親族の死に加えて多くの友人の(中には年下の者の)死を経験した私は、50代にして生への執着をなくしていた。
先に死んだ者たちのことを想うと、生きることは「贅沢」であった。
60歳の誕生日は罪悪感で胸が締めつけられる想いで迎えた。

しかし私は死に急いではいない。普通に日々を生きている。

■「老いる自然」が意味するもの

80歳を越すと認知症リスクが高まる。
認知症リスクを無視して長寿を願うのはリアルではなく妄想に近い。

母は98歳まで生きた。
母は父が存命中の82歳から認知症になった。
「老いが自然」というならば、母の15年以上の晩年は自然そのものだ。

父は晩期の5年間は頭の機能だけは維持したが、度重なる脳梗塞で身体は不自由となり、家の中の移動も自力では不可能となった。
これも自然がなすものである。

叔父叔母には20~40代での短命も長命もいた。
90超の8割の晩期は認知症であった。

私は6年前に従妹を、5年前に姉を喪った。
いずれもがん発見時点でステージⅣ。
従妹は13か月、姉は10カ月で死んだ。
姉は痛みの緩和のみで延命治療を拒否したが、その最期は無残であった。

従妹は私より10歳下、姉の生涯は72年。
今私は姉の年齢を超えて生きている。

■「ピンコロ」信仰

「ピンコロ」信仰は昔から根強い。
「死ぬまで元気」を願うのは自分がした親等の世話の経験からだろう。
切実だが、根拠のない願望、夢想でしかない。
普通は、それなりに長生きすれば4~8年の要介護期間がある。
世話され生き、頭も身体も動けなくなって死ぬ。

老いるということは悪いことだけではない。
母の晩年を見ていて「いいな」と思ったこともしばしばあった。
母も多くは穏やかで、不満を抱くことは多くなかった。
だが老いることはいずれボロボロになって生きることでもある。
それは不幸でも幸福でもない。

年下の者に訊くと「本音では私は50代で死にたいな」という者が多い。
若い者たちは、老いに対して同情するか小ばかにする。
しかし、テメエたちも、その多くは、老いてボロボロになってしか死ねないのだ。

今、週刊誌では毎号のように高齢者の健康不安や生活資金不安、あるいは死後の不安を煽っている。
読者が高齢化し、その話題は雑誌の売れる要因になっているからだ。
信頼性の乏しい記事が乱造されている。
高齢者の不安につけこみ、群がる事業者も多い。
高齢者は儲けの対象にされている。

しかし社会をリアルに見れば、多数が抱える老後の不安よりも、40代・50代の「現役」の一部が抱える精神的な闇が深刻だ。

私も50代で突然うつになり闇の中に放り込まれた。
2か月で仕事に復帰、回復を装ったが15年にわたり死と睨めっこして生きた。

それと比較すれば老後である今はすこぶる楽だ。
私はこれから先に楽観も悲観もしていない。 

広告

投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「「老い」を考える」への1件のフィードバック

  1. 碑文谷先生
    私は今年の1月14日で満63歳になりました。55歳を過ぎたあたりから、お葬式の現場に立つことが体力的にきつくなってきたように感じます。ですが、そのころが一番お葬儀の勉強に励んでいたころかと思います。
    また、SOGIの先生のコラムや青木新門先生の新門随想などをバイブルとしていつでも手の届く場所に保管しておりました(現在も)。熟読するにつれ 今まで何気なく こなしてきたお葬式が「怖い」と認識しだしたのもこのころからではないかと…自分のことばかりで申し訳ございません。先生もご自愛いただきまして、まだまだいろいろご教示ください。知識、行動力ともに私なんかよりづっと若々しいですよ。
    エザキヨシヒロ

コメントは受け付けていません。