南出好史 その生と死

9月4日のブログで福岡在住の義兄を見舞った、と書いた。
https://hajime-himonya.com/?p=2168

その義兄・南出好史が10月14日夜に死亡した。
翌15日空路福岡に入り、16日家族で自宅にて通夜、17日に葬儀社の会館で葬儀、出棺、火葬を営み、18日に残った甥と事後のことを打ち合わせ、帰京した。
慌ただしい、すさまじく疲労した1週間であった。

写真は火葬後に自宅に遺骨を安置した様。左が好史、右が5年前に死亡した妻・祐子

ここに義兄の名を挙げ、報告するのは、ひょっとして義兄の生前をご存知の方の目に触れることを期待してのことである。

というのは、義兄は5年前の姉・祐子の死以降、気力を失い、好きな囲碁も俳句もやめ、また2年前には完全に友人、研究者仲間との交流を断っていたからである。
義兄が死亡しても、関係者の名簿、連絡先、年賀状は本人によって廃棄されて残っておらず、ただ一人の家族である独身の息子も誰にも連絡しようがなかったからだ。

葬儀に出たのは10人。
三人兄弟の長男であった義兄のすぐ下の弟夫妻(三男は病気のため来られなかった)
妻である私の姉の弟である兄と私夫婦
私たちの従弟
姉の友人で甥の相談相手になってくれていた女性
甥の勤務先の社長
義兄が入所していたグループホームの職員の方

もっともご近所の方は全部は把握していないが、15日、17日の夕方まで約10名ほどが自宅に見舞ってくれた(18日以降は不明)。

葬儀は義兄の生前からの希望で特定の宗教によらずに行った。
終始、義兄が好んだ沖縄関係の歌を流した。
私がPowerPointで義兄の生涯を振り返り、実弟、義弟、息子が順に話して、お別れして出棺。

※姉・祐子の死については
https://hajime-himonya.com/?p=1421

以下、葬儀で私が義兄の生涯をパワーポイントで紹介したことを示す。

■南出好史の生涯

1941(昭和16)年12月11日 誕生
1966(昭和41)年3月
 東北大学教育学部(心身欠陥学)卒
1971(昭和46)年 櫻井祐子と結婚
1972(昭和47)年 息子 博教誕生
1972(昭和47)年 3月
 東北大学大学院教育学研究科心身欠陥学修了
1973(昭和48)年―1974(昭和49)年
 福岡教育大学助手
1974(昭和49)年―1976(昭和51)年
 福岡教育大学講師
1976(昭和51)年―1983(昭和58)年
 福岡教育大学助教授
1983(昭和58)年―2006(平成18)年
 福岡教育大学教授(障害児教育講座)
 (最後約4年理事、副学長を兼任)
2006(平成18)年―2011(平成23)年
 国際医療福祉大学教授(心理学、言語心理学、聴覚心理学)
現在:福岡教育大学名誉教授
2014(平成26)年4月14日
 妻・祐子死亡(72歳)
2019(令和1)年10月14日
 死亡(77歳)

■研究

 

研究は多種多数につき紹介は一部のみ。実証を大切にし、実験を重視した。
●科研:科学研究費助成事業(学術研究助成基金助成金/科学研究費補助金)
・聴覚障害児における算数文章題の理解過程(代表)
・聴覚障害児による乗法九九の記憶コードに関する研究(代表・コミュニケ-ション障害者の社会適応に関する研究
●研究発表
・学校週5日制における障害児の余暇利用に関する調査研究 : 福岡県・熊本県の現状と問題点(共著)
・地域社会に生きる障害児の余暇の使い方に関する研究(共著)
・ろう生徒の表情認知能力と性格特性
・聾生徒の文法能力の特徴-助詞の正誤比較判断力を中心として-(共著)
・聾児の記憶方略に関する研究(共著)
・聾生徒の大脳半球機能差(共著)
・聾生徒の言語能力と言語運用の関係(共著)
・聾学校生徒の理解語彙の評価に関する研究
ほか
●書籍等出版物
・聴覚障害児の認知、言語、コミュニケーション
 コミュニケーション障害児の診断と教育に関する研究.ゴユー企画印刷   1992年 

聴覚障害児の心理
 心身障害児の心理と指導 福村出版   1994年 

聴覚障害に他の障害が重複する子どもの教育
 聴覚障害児の教育 福村出版   1996年

地域における聴覚障害児教育のあり方
 障害児教育研究—研武士教授退官記念論文集—,福岡教育大学附属障害児治療教育センター   1998年 

■俳句 金子兜太に師事(以下は句集『森のことば』より)
・野仏の欠けた鼻鳴る一人旅
・生命が朽ちては芽吹く深い森(※墓石に刻まれた)

・山いくつ谷いくつ越え海の藍
・暮れなずむ森の奥より覗く顔
・手記燃やし心の傷を深くする
・雲の骨ぼく黒々と卒業す
・人は皆霧の墳墓に愛埋める
・森の奥命を刻む砂時計
・森の洞石仏たちのさんざめき
・仮面つけ生の光と影を舞う
・現実を食い散らかして夢拾う
・暗闇は終の花火の回し者
・生き延びた子らの震えを抱きしめる
・夢に生き七十年の月明かり

■趣味
囲碁(アマチュア五段)

■晩期

2018年11月

 車の自損事故でショックを受ける 車手放す
2019年1月
アルツハイマー病の診断 記憶障害
2019年3月
 パーキンソン病の診断
2019年4月 緊急入院
(妄想が激しく) 摩利支病院2週間
2019年4月
 グループホーム「ゆとり苑」に入所
2019年9月
 食事が喉を通らないので摩利支病院入院(体重55㎏が39㎏に)
2019年10月初旬
 泌尿器科が摩利支病院にないので水光会病院に転院
 退院予定だったが、食べ物を喉に詰まらせ、しばらく鼻から栄養補給、点滴
 体重は30㎏くらいまで激減
2019年10月12日
 医師から「肝機能に問題あり」といわれたが危機的状況ではなかった
2019年10月14日21時頃急変
 21時半頃「心拍停止」と病院から連絡
 22時20分死亡確認 死因:肝不全

■結び

南出好史は、研究者、教育者として聴覚障害の分野で科学的手法で着実な貢献をなしました。

また家庭人として家族を優しく断固たる意思で支え続けました。
77年の凝縮された人生を共にすることができて感謝です。

南出好史の人生を支えてくれたすべての研究者仲間、友人、家族、親戚に、厚く感謝申し上げます。

■会葬礼状

ご挨拶

 南出好史の葬儀にご会葬いただき、ありがとうございました。

 好史は、1941年12月11日、南出房一、きみの三人兄弟の長男として誕生。77年の生涯でした。

 東北大学で聴覚障害児の教育を専攻。大学院を修了後、福岡教育大学に職を得て、副学長を最後に、65歳の定年まで生涯、研究に努めてきました。
 私の記憶に残る父は、一言でいえば「勉強している人」で、家に帰り夕食後は自室に籠り研究していました。趣味は俳句、囲碁でした。
 優しい性格で、それは生涯変わりませんでした。

 父は大学院時代、東北大教育学部の同級生であった母・祐子と学生結婚(母は私立中高の数学教員をして父の大学院生活を支えたと聞いています)、1972年に二人の間に私が誕生。

 父は、2014年4月に母・祐子が72歳で先だった後、衝撃とストレスで気力の衰えが見られるようになりました。
 晩期といえるのは2018年11月に車の自損事故を起こして以降で、特に4月以降は体重が激減、本人は発話も思うようにならず苦労しておりました。

 2019年10月14日21時に急変。21時半頃心拍停止し、連絡を受けて病院に急行、22時20分死亡を確認しました。

 5年前の母、このたびの父と、心の支え手であった両親を喪い、深い悲しみ、寂しさを覚えています。
 今後とも変わらぬサポートをお願いできれば幸いです。

 最後に、77年の南出好史の生涯を支えてくださった方々に心よりの感謝を捧げます。
 ほんとうにありがとうございました。

2019年10月17日

        長男 南出 博教

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投稿者: Hajime Himonya

碑文谷 創(ひもんや・はじめ)/ 葬送ジャーナリスト、評論(死、葬送)、 元雑誌『SOGI』編集長(1990~2016)/ 【連絡先】hajimeh46@nifty.com/ 著書 『葬儀概論(四訂)』(葬祭ディレクター技能審査協会) 『死に方を忘れた日本人』(大東出版社) 『「お葬式」はなぜするの?』(講談社+α文庫) 『Q&Aでわかる 葬儀・お墓で困らない本』(大法輪閣)  『新・お葬式の作法』(平凡社新書) ほか/

「南出好史 その生と死」への2件のフィードバック

  1. 碑文谷創様
     福岡教育大学で障害児教育を担当している中山と申します。
     生前,大学で南出先生にお世話になった者です。
     昨日大学事務局から訃報とともにこのブログのアドレスが紹介がありました。
     それで南出先生が亡くなられたことを知った次第です。

     私は現在福岡教育大学に勤めていますが,大学も福岡教育大学の養護学校教員養成課程で学びました。
     昭和60年に入学して平成元年に卒業しました。
     南出先生は聾学校教員養成課程の授業を担当されてました。
     したがって学生の時も南出先生にはお世話になりました。
     
     平成9年に福岡教育大学に赴任しましたが,今度は大学の同僚としてお世話になりました。
     とても気さくで,そして温和で,いつも笑顔が絶えない先生でした。
     私は現在特別支援教育センターの長を仰せつかっていますが,前身である障害児治療教育センターの長を南出先生もされていました。センターの運営にご尽力されていました。
     
     私は福津市の津屋崎教会の近くに住んでいますが,よく義理のお母様を津屋崎教会に送迎するお話を聞かせていただいていました。
     
     南出先生のご逝去,残念で他なりません。
     ご冥福をお祈りする次第です。

     もし,ご迷惑でなければご子息様のご住所をお知らせ頂けませんでしょうか。
     また,南出先生の墓石の所在地もお知らせ頂けましたら幸いです。
     よろしくお願いいたします。

     ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。

     福岡教育大学教育学部教授
     特別支援教育センター長
     中山 健

    1. 中山先生
      連絡いただきありがとうございます。
      南出好史が生前お世話になりましたことを感謝いたします。
      先生にメールを出させていただきました。

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