子連れ無理心中―個から見た死と葬送(16)

子連れ無理心中 こういうニュースがいちばん怖い。 しかも記事はいつも中途半端だ。そこに至った経緯を想像しようとしても何も見えてこない。 でもそのニュース記事を書いた当の記者にもそれ以上は書けなかったのだろう。警察が発表した以上の情報はないのだろう。 おそらくそれを探ったならば、1日はもとより数日でも済まないだろう。半年あってもその真実はわからないだろう。また、仮にわかったとしても、それを明らかにすることは死者に対してどうなのだろう。多くの者が傷つくだろう。しかし、そこにはもしかしたら、第三者としてではなく... 続きを読む

待合室での会話―個から見た死と葬送(15)

私の通っていた「精神科」が別館から本館の4階のつきあたりに移動する際に「メンタルヘルス科」と名前も変わった。 外科や内科は人も充満しているし、けっこう騒々しい。看護師や医師も駆けずり回っている。 だが「メンタルヘルス科」がある一角はいつも静かだ。 移動して変わったのは、診察室への呼び出しが名前で呼ばれず、受付番号がポンという音で待合室の画面に表示されるようになったことだ。 隣の、腕に包帯を巻いて待っている女性は、父親とおぼしき男性と一緒だった。 「3度目だからな…」と父親がぼそっと言う。 娘は「心配かけて... 続きを読む

死の授業―個から見た死と葬送(14)

死の授業 「健全な時代」と言うべきなのだろうか。 私たちの青春時代には、背中にベタッと死が張りついた感覚で生きていたものだ。 だが、目の前に座る学生たちの目には、珍しいことを見るような好奇心、あるいは理由もない怖れの感覚が支配しているように見えた。 そもそも授業内容に関心がなく、席に着くなり堂々と机の上に両手と頭を落として寝だす無関心な者もいる。 初めて耳にすることなのだろう。死というのは年齢・性別・健康かどうかに関係なく突然侵入してくることがあること、高齢者の終末期の状況、人が死ぬと腐敗すること、昔は乳... 続きを読む

母の初盆―個から見た死と葬送(13)

基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 母の初盆 厳しい日照りのなか家族4人で菩提寺に向かう。毎年欠かさない行事なのだが今年は母がいない。 昨年も厳しい夏であった。でも母は元気に先頭に立って歩いた。その母が秋の訪れと共に寝込むようになり、3カ月後に静かに逝った。だから今年の夏は母の初盆である。 本堂には100人以上の人が集まった。法要の後、住職が立って言った。 今年もこうして皆さんにお集まりいただき、お施餓鬼を勤めること... 続きを読む

死者を弔う―「弔い」としての葬式(4)

死者を弔う 95年の阪神・淡路大震災でも、今回の東日本大震災でも遺族たちがとった原初的な行動は、死者を弔うことであったように思います。 祭壇がどうの、あるいは最近の家族葬がどうの、ではなく、死者を弔うことは遺族としてまずすべきことであった、ということです。 阪神・淡路大震災で焼け野原となった長田地区に足を踏み入れた時、焼け跡のそこかしこに、板切れに牛乳瓶に生けられた一輪の花、そしてペットボトルに入れられた水が載せられてありました。おそらくその場所でいのちをなくした人に供えられたのでしょう。その小さ... 続きを読む