親友の葬式―個から見た死と葬送(19)

親友の葬式 彼の葬式が行われる葬儀会館は駅からわかりやすい立地にあった。冬から春に移行する時期。コートはなくとも歩いて少し汗を感じるくらいだった。 式場に入る。遺族席に行って挨拶する。 死者の配偶者が私が来たことに驚き、腰を上げる。そして私が亡くなった彼の小学校以来の親友であることを周囲に教える。 「わざわざ、申し訳ありません…」 「いや、彼との約束だから。むしろもっと早く来るべきだったのですが」 「ちょっと顔を見てやってください。彼もSさんには会いたいでしょうから」 死後数日経っていたので、顔色は濃く沈... 続きを読む

「布施」の問題の現況―戒名、布施問題の多角的アプローチ(4)

「布施」問題の現況 「布施」が今問題になっているのは、主に「葬儀の布施」である。 通称「お経料」とか「戒名料」と言われるのはその類である。 葬儀のお経の対価として「お経料」、戒名の対価として「戒名料」と言われる。 仏教会では「布施は対価ではない」として、布施は本来定額化されるべきではない、と布施の定額化に抵抗する。 それに対して僧侶派遣業は「消費者はいくら支払っていいかわからないで悩む」と、「明瞭化」をうたって定額化を進める。 寺院の一部では、消費者の「わからない、という心理は理解できる。強制ではなく、目... 続きを読む

死者との関係づけ―戒名、布施問題の多角的アプローチ②

戒名、布施問題の多角的アプローチ② 死者との関係づけ ~仏教葬儀でなぜ「授戒」が重視されたか?(下) 日本の仏教葬儀の内部に少し立ち入って見てみることにしよう。 ※誤解してほしくないのは、ここで教理を語っているのではないこと。儀礼が民衆の心性とどう関係していたのか、その全部ではなく、一端を探る試みだ、ということである。一つの見方を提示するもので、あるべき方向を提示しているわけではない。しかし、これはこれで私の模索の一つの結果を提示している。 「導師」に期待されているもの 死後の世界に橋渡しする存在が導師で... 続きを読む

仏教葬儀で「授戒」がなぜ重視されたか?上-戒名、布施問題の多角的アプローチ①

「僧侶派遣」の話題も賑々しい。少し基本的に戒名、布施問題をさまざまな角度で考えてみたい。過去に書いたものも改めて取り上げていることを予めお断りする。 戒名、布施問題の多角的アプローチ第1回 仏教葬儀でなぜ「授戒」が重視されたか?(上) イニシエーション 20世紀の初め、アルノルト・ファン・ヘネップは『通過儀礼』を著し、「あるグループから他のグループへ移るには、われわれの社会における特定の儀礼──洗礼、叙品式など──にみられるのと同様な通過の際の特別な様相を呈する」と看破した。 彼は、人生の「区切りの一つ... 続きを読む

遺族にとっての別れ、友人・知人にとっての別れ

最近、2つの葬儀に出た。一つは知人の配偶者の、もう一つは知人の葬儀であった。 2つの葬儀に共通していたのは、出棺の前の最後のお別れ(お別れの儀)に充分な時間をとっていたことであった。 参列者が一人ひとり、思い思いに遺体と対面して別れを告げていた。一人ひとりが故人とそれぞれの関係を結んでいたのだろう。その別れの仕方は実に多様であった。 直立して顔を見て深く合掌する人、撫でるように顔を触る人、立ち去り難い表情を見せる人、すがりつきたい想いを堪えて立ち竦む人…。 ほんとうにさまざまな別れがそこにはあった。 その... 続きを読む