死んだ戦友に義理立てした父―個のレベルから見た葬送(10)

個のレベルから見た死と葬送(10) 基本としてここに描いたものはフィクションである。私の周辺で生じたものが多く含まれているが、当事者の心象に投影して描いている。 死んだ戦友に義理立てした父 「親爺、もういいじゃないですか」 従兄が叔父を大声で制した。 叔父が「父の葬式をなぜしないのか」、「寺に断らずにいいのか」、と私に向かってなじっていたからだ。 叔父の気持ちも充分に理解していた。 「私たちもできるならば葬式をしたかった。だが、これは父自身の家族への言いつけだった」と叔父には繰り返し説明した。 「寺の墓は... 続きを読む

「家族葬」における「家族」とは?

「脳死」が出て「心臓死」という言葉が流通するようになったと同じく、 「家族葬」が流行することで「一般葬」という言葉が使われるようになった。 しかし「一般葬」という言葉はあまり好きではない。 葬儀というのは本来死者や家族によって個別固有なはずなのに、と思うからだ。 大体「家族葬」という言葉はブレのある言葉だ。 出現した時はバブル期までの葬儀への反発から出てきた言葉だったように思う。 バブル期の末期には、普通の個人葬で200~300人の会葬者を集めた葬儀が珍しくなかった。 そして会葬者の7割程度を生前の死者を... 続きを読む

無縁の死者たちの葬り

今朝8月14日の朝日新聞朝刊の社会面で 「無縁の遺骨 悲しき弔いー増える孤独死 悩む自治体」 という記事が東京版では大きく扱われている。中途半端なデータしか出ていないが、「朝日新聞調査」として東京都区市町村では「過去5年、引き取り手がなく行政が火葬や管理をする遺体の数は増加傾向にある。昨年度は約5500体に上った。遺骨の管理は悩みの種で、多くは独自に設けた保管期限後 に合葬している」と書いている。    「行旅死亡人」は死亡地の市区町村に葬ることが課せられている。行旅死亡人は「身元不明... 続きを読む

「0(ゼロ)葬」批判を書いた

今年の梅雨は「梅雨らしい梅雨」であった。湿度が高く、いつ、どこに雨が降り出すかわからない、という局所的豪雨はあるし、はなはだ不快な毎日だった。 7月22日、きょうから梅雨明け、「夏」到来。湿度さえ低ければ、いいのだが。 島田さんの「0葬」への批判を雑誌に書いた。今週中にも送れるだろう。 島田さんの本が世の中をリードしているのではなく、彼の主張するような環境が生まれ、それを彼が書き、本が売れるという流れだ。 でも彼の提供してくれる話題は、いかにもマスコミが取り上げやすいので、『週刊ポスト』と『週刊現代』がす... 続きを読む