遠くなる母とその死―個から見た死と葬送(25)

携帯電話が鳴った。22時15分。 「高倉和夫さんですね。林病院の看護師の及川と申します。お母様の芳子さんが危篤になられましたのでご連絡します」 すぐに病院に車を走らせた。 ひどく落ち着いている自分がいた。 母は4人部屋から個室に動かされていた。 「高倉さんですね。こちらへどうぞ」 病室では若い医師がモニターを見ていた。というより私が来るのを待っていたかのようだ。モニターの線はもうなだらかであった。 「22時55分、ご臨終です」 と医師は言い、立って私に頭を下げた。 母の手を握ってみたが、ダラーンとしてい... 続きを読む

「葬式をするって!」―個から見た死と葬送(24)

「葬式をするって!」 兄が怒鳴った。 「どれだけ苦労したって言うんだ。これでやっとせいせいしたっていうのに」 兄が疲れた顔で言った。 兄の言うこともわからないではない。この10年、母は昔の穏やかな母ではなかった。 「お前たちは私を殺そうとしている」と被害妄想にかかり、近づくだけで「怖いよ」と喚き、退く。 また、よく怒鳴った。 私たち兄妹はすっかり消耗してしまった。 「でも、この10年の母さんは病気だったのよ、ほんとうの母さんではなかったのよ。せめてお葬式くらいやってやろうよ」 と私は必死に兄に頼んだ。 渋... 続きを読む

若者が町を出ていく・東日本大震災アーカイブ③―個から見た死と葬送(23)

2011年の大震災から6年。福島県の避難指示解除が進んでいるが、戻ったのは13.1%という。 朝日新聞2017年3月6日記事によると、 東京電力福島第一原発事故の発生で、福島県内の11市町村に出された国の避難指示。この春、4町村、約3.2万人に対する避難指示が解除される。避難を強いられた地域は6年前の約3割の面積にまで縮小する。ただ、帰還は進まず、自主避難した住民もおり、全国にはなお8万人近い避難者が暮らしている。(略)ただ、すでに避難指示が解除された区域でも、実際に戻った住民の割合(帰還率)は平均で13... 続きを読む

妻を捜す 東日本大震災②―個から見た死と葬送(22)

妻を捜す 3月11日以降、私の胸のなかを風が吹きすさび、ときおり内部に奥が見えない空洞が広がり、心を揺さぶり続けている。 捜す。 東日本大震災発生直後は、毎日遺体安置所に通って、新しい遺体を確認して回るのが日課だった。妻が見つかればと願い、でも妻ではなかったことにどこかで安堵していた。 4カ月経った今では、新しく収容される遺体は日に数体あるかないか。多少類似している遺体を見せてもらうのだが、近づくのを拒むような圧迫するような臭いのバリアが立ち込めている。鼻が殺がれ、目が窪み、遺体には生前の面影を偲べるもの... 続きを読む

東日本大震災①―個から見た死と葬送(21)

2011年の3月、東日本大震災について過去書いた原稿を少しずつ紹介する。 3.11 突然、激しく床が揺れた。 建物全体がゆっくり大きく横に揺れる。慌てて本棚を支える。本棚から本がドサドサと落ちる。でもそれにかまっている余裕はなかった。 経験したことのない揺れにどうすることもできず、ただ「凄い!」「危ない!」と言うだけ。 交通機関は全て停止した。 しかし、その東京での私の驚きは、後に次第に判明する事態に比べるとたわいもない出来事であった。 宮城県の北部、岩手県と接する栗原市が震度7であるとテレビは伝えていた... 続きを読む