自身はどのような葬儀を家族に託すのか?―Q&A(1)

葬送について講演した後、寄せられる質問があり、後日にそれについて回答する場合がある。全体の動きを解説するのがほとんどであるが、質問は私自身を直接問うものが多い。 2017年春に「日本人の葬儀観と死別」と題して行った講演後に寄せられた質問(質問は多かったが主催者より求められたもの)4つについて、その質問と回答を順次紹介する。 自身はどのような葬儀を家族に託するのか?―Q&A① Q「ご自身はどのような葬儀を家族に託しますか?」   A基本は妻と2人の子に全てを託します。といっても妻が先か私が先か、こ... 続きを読む

人の生死は残る者の心に刻まれ、受け継がれていく

前回の更新が7月29日だから、1ヶ月以上放置したことになる。過去には半年以上放置した前歴があるから、私としては珍しいものではない。 放置の理由はいつも単純である。他にやることに気が囚われて、更新できずの日が続いて、そのうちこれを書こうか、あれを書こうかと迷い、結局手つかずになる、ということだ。 そこできょうはかまえず、今朝の新聞で、これはと思ったことを書き留める。 「大のスポーツ狂い」(皆は信じないかもしれないが中高ではバスケットボールの選手で、結構優秀なガードのプレイヤーだった)としては、心躍る出来事だ... 続きを読む

僕はあなたの息子でした―個から見た死と葬送(27)

これを書いたのは2年半ほど前のことである。今も父の死は鮮明である。遺骨の一部は今も私の引き出しに入れてある。 父は晩年、よく「危篤だ」と自分で電話をかけてきた。 兄には別な日に「危篤」になったようだ。 要は「顔を見せろ」ということだ。 行くと息子の顔をまじまじとみつめ、「僕が死んだらどうするか言ってみろ」と言うのだ。 自分の意思が息子に伝わっているか、確認をするのだ。 危篤になった時のことから始まり、葬式や納骨、そして自分の書斎の本の行く末まで、全部を、私が父からそれまで何度も聞かされたとおりに言うと、「... 続きを読む

バブル文化についてつらつら―雑感②

今ウケるバブル文化   今朝20170514 の朝日から気になった言葉を抜いてみた続き。(ディジタルから引用しているので、本紙とは一部異なる) 「バブル景気」は80年代後半から91年まで続く。91年1月に崩壊するのだが、気分としては91年いっぱい引きずり、すぐまた戻るだろうと思っていたが、95年頃から不況を実感し、宝石が売れなくなり、葬送の傾向も個人化に傾斜していく。 個人的には86~91年というのは、出版編集という編集者の仕事から苦手な管理職的な仕事の負担が増え、嫌気がさし、会社を辞め、... 続きを読む

共謀罪から「聖俗」二元論までつらつらと―雑感①

今朝(20170514)の朝日から気になった言葉を抜いてみた。(ディジタルから引用しているので、本紙とは一部異なる) 共謀罪 共謀罪に関するカメラマン宮嶋茂樹の発言 むしろ共謀罪は、市民が犯罪者を拒む理由になるんじゃないか。「あなたとは会うだけで共謀罪に問われそうだから」と。もちろんテロリストや暴力団などの組織的犯罪集団と関係があるような人は一般市民とは言えない。  若い頃、大物右翼の赤尾敏氏(故人)を撮影した写真展を開いた。最初に会場に来たお客さんが「よう、宮嶋君。いい写真だね」と言う。公安刑事だった... 続きを読む