葬送の世界は、古い慣習の世界だから変化なんかないだろうと思われることが多いですが、葬送の世界は戦後でも大きな変化を2回経験しています。
その1回目は60年代以降の高度経済成長期代であり、2回目の変化は現在進行中ですが、80年代の末からであり、本格的に変化したのが95年頃からであると言えるでしょう。
■「死」を見る目の変化
しかし、葬送の世界の変化の前に変化していたものがあります。それは末期医療を巡る現場で、おおよそ1985年あたりから変化が急速化してきました。がん末期患者の尊厳死、キュアだけではなくケアも、という流れは確実に日本人の死生観に変化を与えるものでした。このターミナルケアに対する認識の変化がその後の葬送の変化を導いている一つです。
その変化とは何か。「死を拒否すること」から「死を認めること」への変化であるように思います。
その象徴は2007年末のNHK紅白歌合戦でした。死に言及した歌詞が数多く登場しました。その前にも95年頃でしたでしょうか、正月に全国紙が死の問題を大きく取り上げ話題になりました。80年代以前にはおよそ考えられない風潮になっています。
「人間の死亡率は100%」
です。
それにもかかわらず、それを全ての人が知っているにもかかわらず、特に1960年代の高度経済成長以降、日本社会は生を謳歌するあまり死を忌避し、それを文化からはじき出してきたのではないでしょうか。
戦後、医療は著しく進歩し、それまでは死は暮らしの中にあったのが、ほとんどが病院の中へ取り込まれるようになりました。病院では、死亡すると、暗い、人目につかない霊安室に死者は急いで隔離され、裏口からこっそりと運び出される存在となっていました。
■忌避された死、葬儀
もっと酷かったのは葬送関連です。葬儀社に勤める者は依然、偏見と差別の目に晒され、火葬場は嫌忌施設となっていました。
死やその後の葬送が忌避され嫌忌されたのには、それなりの理由があったように思います。第二次大戦の大量死により、それぞれが何らかの形で身近な家族、親戚、友人を喪った、あるいは死と隣り合わせになるという体験をしました。それへの怯えが影響してのことであったのではないでしょうか。「戦争体験」とはそれほどに大きなものだったと言えるでしょう。
戦後復興の間には死者へのリアルな記憶がありましたが、いつしか高度経済成長の波に呑み込まれるなか、暗い記憶を心の奥底にしまい込み、それが死や葬送への過剰な忌避、嫌悪を生んだように思うのです。
もとより死を穢れとする観念は古くから日本人の中にあったものです。それは中世の文献にもはっきりと記されています。だがそれは、死のもたらす「家族を喪う」という暮らしの大きな、かつリアルな出来事、悲嘆を背景にしたものでした。
何よりも暮らしの中に死はありました。また、高齢になると「お迎えがくる」と言い、死後の彼岸への確かなイメージがあり、また、盆には「死者の霊は還ってくる」など、死に対しては「恐れ」だけではなく、「親近感」も同居していたのであり、いたずらな忌避感、嫌忌感とは異なっていたように思われます。
■超高齢社会を迎えた死
60年代以降の死は、自宅から病院へと閉じ込められ、非生活空間へと追いやられました。また、医療の発達により、乳幼児の死、若くしての途中での死も減少、死は高齢者のものへと次第に変化していきました。平均余命は50年が男58歳、女61.5歳であったものが、70年になると男69.31歳、女74.66歳まで上がりました。ちなみに、以降も上昇し続けており、06年は男79歳、女85・81歳です(厚生労働省発表「日本人の平均余命 平成18年簡易生命表」)。
今や世界有数の長寿国となっています。男はアイスランドに次ぐ世界2位、女は世界一です。
アイスランドが男79・4歳、女83歳と高く、ヨーロッパは概ね高齢社会となっていますが、一方でアフリカのナイジェリアでは男52歳、女52・2歳というのもありますし、今年(08年)北京オリンピックが開かれる中国では男69・63歳、女73・33歳となっています。
日本では、高度経済成長期、死や葬送が忌避され、嫌忌されたのと反比例するごとく、葬式は大型化し、会葬者を多く集めるイベントのようになりました。外観的には宮型の祭壇が大型化し、派手に飾られました。会葬者は、子どもの会社の取引先等の、死者本人を知らない人が7割を占めて、平均2~3百人を集めるようになりました。死者を悔やみ、弔うという本来の葬式の機能を逸脱した社会儀礼へ特化していったように思います。
そのありさまは戦時中にまともに死者を弔うことのできなかったことを贖うかのようでもあり、イベント化することにより死や死別の悲嘆に対峙することを避けようとするためかのようでもあったと映ります。
儀礼としても、死者を弔う宗教儀礼である葬儀式が軽視され、社会儀礼としての告別式が幅をきかせるようになりました。
現在「葬儀の小型化」が言われていますが、高度経済成長期からバブル景気に至る時代と比較するのは問題があるように思います。この時代が異常であったと捉えることのほうが歴史的に見ると正当なように思われます。もちろん現在の変化には「個人化」という新しい要素が加わっているのですが。
■墓の変化
一方墓地は、高度経済成長期以降、大都市の中心部から追われ、周辺地域の自然を破壊しての大規模開発が行われ、「第2の住宅」ならぬ核家族単位のマイ墓ブームが発生しました。
こうした高度経済成長期以降の死と葬送の世界に大きな変化をもたらしたきっかけは、92年のバブル景気の崩壊であると思います。「成長神話」が崩れ、長いデフレ不況の中で生の謳歌主義が陰を潜め、「大きいことはいいことだ」という感覚も薄れました。医療面では「延命第一主義」が後退しました。そして高度経済成長の陰で進行していた地域共同体の崩壊、マイホームならぬ家族の解体と高齢世帯の増加、そして少子化が大きくその姿を現したのです。
■在宅死は増えるか?
医療制度においても、戦後、施設治療へと重点が移されましたが、今やそれが限界に達し、在宅治療へと舵がきられました。といっても担うべき家庭は、世帯人員が減少し、高齢世帯の増加、老老介護で介護力を失ったものですから、介護保険による社会的介護へと転換せざるを得なくなりました。
この社会的介護というのも今や大きな暗礁に乗りかかる事態となっています。病院から追われた要介護高齢者は自宅にも帰れず、「病状安定期にあり、入院治療をする必要はないが、リハビリテーションや看護・介護を必要とする要介護者」の介護を目的とした介護老人保健施設等へ移されつつあります。
06年現在、死亡の場所は病院79・7%(参考:60年18・2%)と02以降あまり変化していないのですが、1%近く老人ホームや老健施設での死亡が増えています。といっても合わせて3・1%ですから今は少数ですが。自宅で死亡した人は12・2%(参考:60年70・7%)で、前年と同率です。(06年人口動態年報)
■永代供養墓、散骨、樹木葬
墓の世界では、家(イエ)制度の崩壊により保持することが困難になってきた家墓制度に替わって、1980年代末には承継者を必要としない永代供養墓(公営では合葬式墓地)が出現しました。91年には墓地以外の海や山に遺骨を砕いて撒く散骨(自然葬)が登場して人気を集めるようになりました。
一方、バブル景気崩壊を機に墓地ブームは霧散し、霊園は不況産業と化した感があります。
墓の個人化そして自然志向はその後も進み、99年には墓石も骨壺も人工物を一切用いることをしない樹木葬墓地が現れるなど、墓の世界は一変し、多様化がドラスティックに進んでいます。
■葬式の個人化
葬式もまた大きく変化しました。地域共同体や企業が加わって支援する形態が崩れ、個人化が進行したのです。
平均会葬者数で見ると、91年が全国平均で280名であったのが05年には132名まで、半減以下の減りようです。葬式が小型化してきたのです。
95年頃から「家族葬」「自由葬」という言葉がもてはやされるになりました。もっとも特定の宗教宗派によらない自由葬は団塊以降の世代には人気でしたが、当事者である高齢者世代がなかなか受け入れるところとはならず、伸び悩んでいます(それでも東京では5%近く占めるようになっています)。だが、もう一方の「家族葬」はすっかり人気が定着し、主流化する勢いです。
■「家族葬」の実態
「家族葬」はこれまでは「密葬」と言われたものです。近親者だけで閉じて行う葬儀のことです。当日は告別式を行いません。秘密の「密」です。もっとも密葬だけで終わらすのではなく、後日に「本葬」と称して告別式を行う例は少なくありませんでした。この密葬は一部の特別な人たち(葬式費用が捻出できない人、本当に隠れるようにひっそりやる人、反対に社葬など大きな本葬を控えている人)のものでしたが、「家族葬」という優しい響きの名前に替わったとたん、多くの人が支持し、選択するものになりました。
「家族葬」には温かく、死者をよく知る人によるお別れというイメージが与えられたからです。
家族に葬式のことで迷惑をかけたくない、という高齢者、お客の接待でおちおち悲しんでもいられない、と従来の葬式に反発していた人、自分の家族の葬式で他人の世話になりたくない、と感じていた人、死んだ家族とゆっくり時間をかけてお別れしたい、と思っている人、その他多くの人に家族葬は支持されるようになっています。
もちろん「密葬」から「家族葬」に名前を替えることにより、イメージも拡がっています。本当に家族数人でするものから、家族と親戚だけでするもの、それに本人と親しかった人が加わる場合など人数にして数人から80名ほどと幅があります。最も多いのは40~60名程度の規模のようです。
「家族葬」は従来の葬式とどこが違うのか、というと、従来は葬式を告知してどなたでも来ていいですよ、というオープンなものでしたが、家族葬は来てもらいたい人にだけに案内することです。
もっとも60人程度の葬式はあえて「家族葬」と言わなくとも最近はざらにあります。
90歳を超えて死亡する超高齢者の葬式も珍しいものではありません。長い介護生活を送り、本人の関係者も少ない。喪主となる子ども世代も定年後で、子どもの仕事関係者もあまりいない。親戚関係も濃くない。あえて「家族葬」と言わなくとも会葬者が少ない葬式は少なくありません。
昭和の初め頃では80歳を超えて死亡する人は全死亡者数の5%未満でしたから、長寿にあやかろうとお祭り気分で近所の人が集まって葬式したという話もあります。だが、今や全死亡者数の47%、もうすぐ半数が80才以上で亡くなる時代です。80才以上、長寿を珍しがってお祝いする雰囲気でもありません。中には死別の悲しみではなく、ようやく面倒が済んだとばかりの安堵感さえ漂う葬式も少なくありません。
家族葬が普及すると、それに便乗した別の意味合いの葬儀も「家族葬」に含まれるようになりました。
「別に家族が死んだからといってきちんと葬式する必要がない」
という「死体処理」だけを目的とした葬儀も、口当たりのいい「家族葬」という用語に便乗したのです。
そこにあるのは「死者と充分に別れ、温かく死者を送り出す」というのではなく、単に「安く」「簡単に」葬式を済ませようという考え方です。
80歳を過ぎた超高齢者の死が増えていることから、後に残った者は「厄介ごとから解放された」とばかりに死者を愛惜する気持ちもなく、葬式を「簡単に」済ませようとするのです。
今や「家族葬」と言われる葬式を選ぶ動機は、「死者と充分に別れ、温かく死者を送り出す」が半分「単に安く、簡単に葬式を済ませよう」が半分
というところでしょうか。
次のような事例もあります。
田舎に高齢者夫婦だけが残っていて、子どもたちは都会に住んでいる。こうした家族は少なくありません。高齢の親は地域社会や地域の人間関係の中で暮らしている。ところがこの親が死ぬと、都会に住んで田舎に帰るつもりのない子どもたちが、親の人間関係を無視して「家族葬でしますから」と、近隣の故人と親しくしていた人たちの弔問を断り、死者の人間関係を無視した葬式を出すという例です。故人と親しくしていた友人、知人がお別れも送ることもできず困惑してしまうことが少なくありません。
■死語となった「葬儀・告別式」
2000年になると4つの新しい現象が一般化しました。
その一つは「葬儀・告別式」という言葉が死語となって、「通夜・告別式」が実態化したことです。片や宗教儀礼を本質とする葬儀式と社会儀礼を本質とする告別式が同時並行に行われるようになり、告別式が葬儀式を乗っ取った形が「葬儀・告別式」で、これは高度経済成長期以降の産物です。ところが会葬者は告別式にではなく、本来は遺族・関係者中心のプライベートな空間である通夜に集まるようになり、「通夜・告別式」が実態となり、翌日は「葬儀・告別式」と称しても、実態は近親者による「葬儀」になってしまっているのです。
よく新聞の死亡記事で「告別式は近親者で済ませた」とありますがあれは間違いです。一般に開放しないなら告別式はないわけですから「葬儀は近親者で済ませた」と書かなくてはなりません。
■消えゆく遺体の自宅安置
第二は、遺体の自宅安置が急速に減少したことです。
これまでは病院・施設で死亡した死者は、一度は自宅に戻り、安置され、一晩は自宅で家族に見守られ過ごしたものです。しかし、90年代から各地に斎場(葬儀会館)が建設されたこともあり、遺体は病院・施設から直接、斎場(葬儀会館)あるいは火葬場の遺体保冷庫に移送されることになりました。
死者が一度はその暮らしの拠点である自宅に戻ることは大きな意味があったはずです。遺体の安置、枕飾り、枕経…という長年の慣習がいとも簡単に放棄されたのです。
■「直葬」「お別れ(の)会」
第三は、一部ですが(東京23区で約20%程度)、葬式自体をせずに物理的な遺体処理である火葬のみを行う「直葬」が出現したことです。直接火葬に処するので「直葬」と言います。社会儀礼、宗教儀礼だけではなく、儀礼一切が省かれた葬式です(中には全く何もしないのは抵抗があり、火葬炉前でだけ、あるいは出棺の前にだけ僧侶に簡単な読経をしてもらうケースもあります)。
第四は、社葬や知名人の葬式における「お別れ(の)会」が普通に行われるようになったことです。死亡直後は近親者だけで密葬をし、その後1ヵ月後などにホテル等を会場に無宗教方式で「お別れ(の)会」をします。ここでは一切の儀礼を行わないで、単なる献花を流れ方式で行うものもあります。
もちろん、従来どおりの葬式もあります。一方では6千人規模の大規模社葬から一切の儀礼を排した直葬まで、葬式は大きく多様化したのです。1960年代以降は「人並み」の葬式を求めて同じような形態の葬式へ収斂する方向に動きましたが、現在進行形で進んでいる戦後第二の変革期では、個人化、多様化の方向に拡散しています。
■葬儀と宗教儀礼
ここで葬式を宗教儀礼の面で見てみましょう。
僧侶の間では「葬式の仏教離れが進むのではないか」という不安感が強くあります。だが、現実に葬儀経験者は、95%が仏教で、2%が神道、1%がキリスト教、「無宗教」と答えているのはわずか1%足らずです。
「葬祭仏教強し」です。でも安心してはいられません。仏教式葬儀を選んだうち3~5割は特定の寺の檀家ではなく、葬儀のときだけ葬儀社の紹介によって選んだ「とりあえず仏教」派であるからです。「何か宗教を信じている」が23%にすぎないという調査もあります(05年読売新聞宗教調査)。葬式の形式は仏教を選ぶが、実態の信仰はお寒い状況と言えるかもしれません。
しかし、葬式で宗教儀礼を形ばかりにせよ実際に選んだのが98%近くあるという事実も無視しがたいものがあります。直葬の例でも、かなりの割合が火葬炉前での読経を依頼しています。死の事実を遺族が受け容れることは容易ではありません。そこに宗教の助けを必要としているのでしょう。といっても宗教者が、葬式の場で、遺族の死者への想い、グリーフ(死別の悲嘆)に実際に応えているかと言えば、それは不充分と言わざるをえません。私の感覚では、3割の宗教者は真剣に対応しているが、7割はそうではないように思えます。現実に遺族の寺への不信感は葬儀社に対するものを大きく上回っています。
また、将来のこととなると危惧するものがあります。
団塊以降の世代は宗教意識が希薄です。この世代が高齢者の中心世代となる15年後には「とりあえず仏教」派が瓦解し、ファッションとしての自由葬が幅をきかせる事態が来ないとは言い切れないと思います。