戦争体験の一つの局面

水木しげるさんが亡くなった。 公式サイトに書かれた水木さんのプロフィールは 1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。 太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征、爆撃を受け左腕を失う。 復員後紙芝居画家となり、その後貸本漫画家に転向。 代表作「ゲゲゲの鬼太郎」「河童の三平」「悪魔くん」など。 とある。 1922年とは大正11年生まれ。93歳。1945年の敗戦を23歳で迎えたのだから、戦闘の最前線に生きた世代である。 この世代はそのほとんどが第一線に赴いた。戦闘の第一線は若者である。戦争末期には40代の老兵... 続きを読む

何でも寺社の責任か?

机の上(周りもそうだが)ごった返しになっている。資料を捜すので掘り返していたら、「中外日報」の7月22日号が出てきた。 その「提言」に既知の人の第1回が掲載されていた。この方、この間に僧侶の在り方に関する本も出され、僧侶研修にも活躍されているようだ。寺の外から寺を見る人の意見は貴重である。しかもこの人は僧侶と一緒に活動されたから、いろいろな僧侶の人なりも結構見てきた方である。 ここでの指摘は的を射ている。「いまの中高生が戦争の話を聞いて響かないように見えるのは、彼らは彼らで、大変な時代に生きているからでは... 続きを読む

戦後の葬送の変化の概略―その2

メモの続き ≪個人化する葬送≫ 85年以降、ターミナルケアの問題が顕在化します。延命治療中心への問題提起で、これは現在ではインフォームドコンセントが当然視されるまでになりました。  90年代に入って大きな変化はバブル景気が破綻し、墓需要が急速に低下し、不況になったことです。  戦後世代が葬送の中心位置を占め、旧来の慣習がとおりにくくなったこと、高齢者が「迷惑をかけたくない」意識が一般化したことです。 この背景にはより核家族化が進展し、高齢者の夫婦だけ世帯、単独世帯の増加があります。 &... 続きを読む

戦後の葬送の変化の概略―その1

今の葬儀の変化について聞かれることが多い。若い記者がきても、50代未満はバブル崩壊後の人たちである。「高度経済成長期」といってもすでに歴史の話である。今、個人化が進んでいる葬儀を当たり前として育った世代が中心になっている。以下は問われて急いで書いたメモである。2回に分けて掲載する。 葬送について、今は戦後第2の変革期の途上にあります。 墓については80年代末来の、葬儀については95年来の大きな変革期にあります。これは高齢者の世代交代、高齢化、家族解体、ターミナルケアとかさまざまな社会変化に照応していま... 続きを読む

家墓(イエハカ)の誕生史など

「墓(ハカ)」の問題が動き出したのは80年代の末。戦後、旧民法に替わり新民法になり、「家(イエ)」制度が消えたのに、墓は家制度の残滓である慣習を引きづったままであった。90年代には「うちは子どもが娘だけだから墓の跡継ぎがいない」と真面目に言っている人が多いのには驚き、呆れた。しかし墓園業者、寺院の中にも真面目に言うのがいたのには腹が立った。 しかし、日本人の墓は高度経済成長期以降、実は既に大きく変質していた。大都市近郊に民営墓地が増加したのは都市化により地方から都会に移動して、都市近郊に居を定めた核家族世... 続きを読む