大漂流する人の死-葬送を考える視点

1年近くこのブログをお休みした。 私自身の老化はこの間進んでいるもののの、大病をしていたわけではない。 長く続くコロナ禍にあったことが影響していないとは言わないが、私的に引越しを余儀なくなくされたことによる余裕のなさも影響している。 Facebookでは気になったニュースの紹介等は行ってきた。 ブログを休んでいたこの期間、何もしなかったわけではない。 このブログ休止期間にしていた作業はおいおい公開していきたいと思う。 その第1回が表題とした「大漂流する死ー葬送を考える視点」と題する講演である。 この講演は... 続きを読む

近親者の悲嘆への配慮―死者を弔うこと

■近親者の悲嘆への配慮 ・死別と悲嘆 葬式の機能を絞れば、一つは「死者(遺体)の尊厳を守る」ことで、もう一つが「近親者の死別の悲嘆への配慮」である。 「死別bereavement」とは近しい、大切な人が死亡することによって別れをよぎなくされることをいう。 死別によってもたされる深い悲嘆を「グリーフgrief」と言う。 悲嘆(グリーフ)には、悲しみだけではなく、不安に陥る、ショックで心が麻痺する、無気力になる、抑うつ状態になる、焦燥感を抱く、孤独感を深める、怒りを覚える、落ち着きがなくなる…等のさまざまな感... 続きを読む

弔いの問い直し―「死者(遺体)の尊厳」とは?

■葬式の原点は何か ・「葬式」の再定義 1995年以降、葬式は確かに表面的には非常に変化している。 現在進行形で変化しており、そのキーワードは「個人化」である。 1920年以降のコロナ禍においては、好む場合ばかりか好まざる場合においても葬式は個人化を余儀なくされている。 しかし、いくら変化しようと、変わっていないものもある。 葬祭仏教の成立期である戦国時代の葬式、昼間に行われるようになった明治時代の葬式、祭壇が照明で煌めいたバブル景気時の葬式、それぞれ様相には変化があるが、原点、基本には変化がない... 続きを読む

葬制と遺体処理―遺体論②

葬制と遺体処理―遺体論②   ①葬制   人が亡くなると葬儀が行われる。 ここで言う「葬儀」とは狭義のものではなく、人の死亡以降のプロセス全体を言う。 この葬儀の執り行い方を「葬制」(あるいは喪制)と言う。 この葬制は民族により地域により宗教によりさまざまではある。 さまざまではあるし、時代により変化もしてきている。 「葬制」とはそれぞれの民族、さらにいうならば地域社会(これも現在は解体の危機にあり、それゆえコンセンサスが急激に失われているのだが)における文化と言える。   ... 続きを読む

遺族の肖像・東日本大震災アーカイブ⑥

◎遺族の肖像―3・11の被災者   ■「記憶がゴチャゴチャ」している被災者   女川町から転出した人たちだけではなく、残った人たちもさまざまな転変をよぎなくされた。 ほとんどが犠牲者と何らかの関係があった人たちである。精神的に大きな打撃を受けたことに加えて環境の大きな変化を受けた。それがそれぞれにさまざまな変化を強いた。 「復興」といっても、それは女川町の人々を大震災以前に戻すことではない。 家族、親族、隣人、知人の喪失、暮らしの環境の激変…これらは戻ることはない事実である。喪失、激... 続きを読む