グリーフとは何か?

1.死の2つの側面–序として

 アメリカの自殺学会の会長を務めたカリフォルニア大学医学部教授のシュナイドマンは、名著『死にゆく時』の中でイギリスの歴史学者であるアーノルド・トインビーの言葉を紹介しています。
「死にはつねに死にゆく人と残される人との二つの側面がある。…そして、苦痛の分配という点では残される者が多くを負うのである」

 最近はターミナルケア(終末期医療)への関心の高まりから、「死」については「死にゆく自己」「私の死(あるいは死後)」に焦点があてられることが多くなっています。「人間らしい生き方」を求める動きが死の問題にまでおよび、「人間らしい死に方」が模索されているのだと思います。
 早い、遅いの違いはあるにせよ、一度この世に生を受けた者は、全て死ぬことを定められています。これは自然なことです。生をのみ語り、死に対して目を覆うことは正しい態度ではないでしょう。
 ですから、この「人間らしい死に方」を求める動きは極めて重要なことのように思います。高齢社会を迎え、この問いは、特に高齢者にとって切実なものとなってきているように思います。
 しかし、今、「人間らしい死に方」を支えるホスピスにおいても、ケアの対象は「死を目前にした人」だけに向けられるのではなく、「死にゆく人を看護する家族」にも向けられ、その看護の途上のみならず、本人の死後においても遺族に対するケアが必要という認識が高まってきています。
 死は、死にゆく人だけに訪れるわけではなく、その人に近い人にも、それは訪れるのです。死という問題は、死別を体験する遺族の問題としても大きな問題としてあるのです。

 シュナイドマンは次のように語ります。
「愛する者の死が終局であると同時に始まりでもあることを遺族に無情に示す」
 確かに、死がもたらすことを本人はけっして経験することはなく、死後を経験するのは遺された者たちです。この愛する者の死は、この後、遺族に過酷な体験を強いるものです。本人が息を引き取る時はもちろんのこと、葬式ですら、遺族にとっては悲しみの終わりではなく、始まりでしかないというのは、多くの人にとって真実であろうと思います。
 葬式には、多いか少ないかは別として、親戚や知人、友人が顔を出してくれます。そしてこの人たちが遺族に寄せる共感は遺族の心をさまざまな形で支えてくれるものです。後に述べるように、それはそれとして重要なことなのですが、この段階の悲しみは、ショックで茫然自失していることもありますが、まだ喪失による悲しみ、辛さが本人には実感できていないことが多く、悲嘆の本番は多くの場合はこの後やってくるのです。しかも多くの場合、皆が去った後に、孤独のうちに行われるのです。

時代が高齢社会を迎え新しい事態も発生しています。「突然の死」よりも「長くて緩慢な死」が多数を占める時代になったことがもたらすものです。本人の死が到来する以前から、遺族は避けられない本人の死にどう対処したらよいか苦悩することが多くなったように思います。あるときには、悲嘆の先取りが本人の生前のうちになされ、本人と家族の関係がまるで過去の出来事のようになされることもあることが指摘されています。
 また、家族関係の歪みから、死にゆく者が放置され、家族の親身な援助を受けることなく「孤独な死」をよぎなくされるケースも多くなってきました。このような場合、遺族が悲しむ者にならず、家族ではなく、他人である施設の看護者、介護者らが、家族に代わって「悲嘆を代行する」ケースも現れてきました。
 ここでは、現代のこうしたさまざまな問題があることを指摘するだけにとどめ、遺族と悲嘆の問題を中心に述べていきたいと思います。

 パークスの原著のタイトルは「ビリーヴメント」です。この言葉は、単なる「死別」という意味ではなく、「近親に先立たれること」という意味です。しかもその死は「肉親から奪うようにして」起こる死です。愛する者との死別は、遺族の側に立てば、それは一つの事実である以上に「肉親が奪われる」出来事だということを暗示しているように思います。
 彼はこれを論ずるにあたり、特に「配偶者と死別した女性」の問題に焦点をあてています。死別のもたらす悲嘆が最も明確に現れることからですが、もちろん、死別の悲嘆は「未亡人」と烙印を押される女性だけに訪れるものではありません。

2.愛の代価としてのグリーフ

 パークスはその本の序文で語ります。
「愛の絆が引き裂かれる時、悲嘆と呼ばれる情動と行動の一連の反応が起こります」
 身近な家族、特に子供を亡くした親、配偶者を亡くした人は、その愛する者との死別の体験を「身体が内側から抉られたような」「自分を半分なくしたような」「自分が脱け殻になってしまったような」感じであるとよく表現します。

 これらの言葉が如実に表現するように、自分が引き裂かれたような強い悲しみを愛する者との死別はもたらします。このような悲しみ、嘆きを表す言葉が「グリーフ」であり、グリーフ(悲嘆)は今では「人、それも愛する人を失った場合に使われる言葉」となっています。
「悲嘆の苦痛は、愛の喜びと同様に人生の一部なのです。それはおそらく愛のために支払う代価、人と結び付くことへの代償なのでしょう」
 愛する者との死別がもたらす悲嘆は、ですから特別の病気ではなく、これは人間にとって極めて自然な心の動きです。愛していれば避けられないものだと言ってよいでしょう。

 人を愛した以上、支払わなければいけない代価であるとはいっても、この悲嘆は病気ではないかと悲嘆に陥った人が心配するほど、自分自身をコントロールできなくしてしまう強いケースが少なくありません。
 ですから、しばしば遺族はこの悲嘆を抑制しようとします。また親戚はしばしば「葬式の間は、人前で涙を見せないように、悲しみを堪えるように」と言いがちです。だが、これは後で述べるように大きな問題を引き起こしかねないのです。
 自分でするにしろ、他人の目を気にしてであるにせよ、悲嘆の感情を抑制し、心の内に閉じ込めてしまい、悲嘆を遅延させることは、当然の人間的感情である悲嘆を重い精神的な疾患に変えさせてしまうことがあるからです。

3.死を招くこともある悲嘆

「悲嘆はどのタイプの疾患よりも身体的な外傷に似ています。喪失は『衝撃、打撃』と言ってよいのかもしれません。身体的外傷の場合には『けが』は徐々に治癒していきます。少なくとも通常はそうです。しかし、時に合併症が起こって治癒が遅れたり、傷跡が再び裂開したりします。そんな場合には異常な状態が起こっており、他のタイプの疾病が生じて面倒なことになるかもしれません。時には死に至ることさえあります」
 この「時には死に至ることさえある」という危険を、パークスはメルストロームらの研究成果なども援用しながら指摘しています。

 配偶者と死別した女性は平均余命が6か月短くなり、配偶者と死別した男性は更に影響が大きく平均余命が1年半短くなり、また、子供と死別した親の死亡率も高くなり、孫と死別した祖父母の場合の死亡率は更に高くなるというのです。
 更に、この死別が突然死の場合には、それが(一般の人よりも死亡率が高くなる)死別者一般の死亡率の6倍にものぼるというのです。
 とりわけ危険なのは、死別後6か月間です。この後、死亡率は急激に下降線を辿ります。そしてこの死別者の死因の4分の3は「心疾患、とりわけ冠動脈血栓症と動脈硬化性心疾患」なのです。

4.悲嘆が招く症状

死別の悲嘆に陥りやすいのは配偶者と死別した女性で、死亡率のピークは3か月後です。しかし、死別の悲嘆が2~4年と長期化するのは配偶者と死別した男性のほうで、彼らが死亡率のピークを迎えるのは死別後6か月です。
 パークスは死別者が突発性心停止に陥ることが多いことに対してオスターワイスらの見解を支持して言います。
「(オスターワイスらは)人間関係が途切れてしまうのではないかという怖れや、あるいは実際に途切れてしまうことが、こうした症状を悪化させたり促進させたりするということの証拠としています。つまり、冠動脈血栓症や血栓癌、子宮頚癌のような何らかの致命的状態が潜在していると、それらは大きな喪失体験によって促進されたり悪化させられたりする場合があるようです」

死別の悲嘆は65歳未満の人により強く、高齢者により弱いということも一般的には言えそうです。それは若い場合には死に対する準備が乏しいということもあるでしょうし、例えば働き盛りの夫の死は生活手段をなくするなど暮らしに直結して喪うものが多いという事情が影響してのことでしょう。だが高齢者の遺族に死別反応がないというのではなく、高齢者は病的悲嘆に陥ることはないということではありません。

 パークスが書いた時点に比べて、高齢化の進み方は特に日本では急ピッチです。高齢者だけの2人暮らしが急増加しており、これから更に増加します。3世代同居の場合と異なり、長い間2人だけで支え合って暮らしてきた高齢者が、配偶者の死ということで、どういう悲嘆を体験するかは、むしろこれからの問題であるかもしれません。
 愛する者との死別を体験した遺族は、死に至らないまでもさまざまな精神的、身体的症状を示しがちです。
・精神症状
 不安、抑鬱、不眠、その他
・身体症状
 関節炎、リウマチ、その他
 関節炎やリウマチは心理的な要因が大きく、喪失体験が悪化を促したのだろうとパークスは説明しています。
 不安感、抑鬱状態、不眠、落ち着きのなさ、決断や記憶力の低下など、一般的な感情障害を死別者は示します。これらは死別後6か月以内が多いのですが、1年後に、さらに3年後、6年後など長期にわたっても回復しないケースもあります。
 診断書に最も多く現れたのが反応性鬱病と神経症性鬱病という抑鬱性の疾患です。しかしこれは死別後1か月で35%、4か月で25%、1年後には17%と、時間の経過により減少しています。

「死別が身体的健康を害することは認めますが、医師の診察を受けることになる訴えのほとんどは、身体の疾患よりもむしろ不安や緊張が反映されたもののように思われます」
 それゆえ、援助者は必ずしも(極めて悪化した場合を除き)医師などの専門家である必要はありません。パークスは「誰もがサナトロジストになれる」と言っています。「サナトロジスト」とは「サナトロジー(死についての学問、上智大学のデーケン教授は「死生学」と日本に紹介した)」という言葉があるように、「死に対処する専門家」という意味です。但し、遺族の状況を正しく認識し、適切な対応をした場合です。

5.「憐れみ」の危険と援助者

 善意の第三者はしばしば「憐れみ」をもって遺族に接します。特に嘆き悲しむ者に対して「かわいそうに」と思って接しがちです。だが、これは悲嘆にある者からしばしば敵意をもって受けとめられます。あるいは遺族は、外に敵意は表明しなくとも、周囲は自分の悲嘆を理解してくれないと孤独感を強め、内に引きこもることになりがちです。

 愛する者との死別がもたらす悲嘆、これは誰もが経験することですし、自然な人間的な感情であるので、死別者が心が乱れてもけっして「恥ずべきことではない」こと、「気が狂ったわけでないこと」、援助者はこのことを深く理解して、同じ目線で死別者に接することができるかが大切なことなのでしょう。そして、死別者である遺族がしてほしいことが何であるか、してほしくないことが何であるかがわかっていることが大切なのでしょう。ですから死別の悲嘆を体験した人が、それが最もよく理解して死別者と連帯でき、良い支え手になるでしょう。

 パークスは遺族にかける「憐れみ」を遺族を「一人前に扱っていない証拠」であると断じます。遺族が体験している喪失による悲嘆が、愛していれば誰もが体験することであるという人間としての深い共感、連帯こそが援助者に必要なことなのでしょう。

6.グリーフワーク

 愛する者を喪ったとき、人は「グリーフ(悲嘆)」という死別反応を示します。これを遺族側から主体的に表現するならば(フロイドが発見した概念である)「グリーフワーク(悲嘆作業、喪の仕事)を行う」ということになります。
「グリーフワーク」とは、「死別から起きる変化がしだいに自覚され(現実となり)、世間に対して新しい環境設定が行われる一連の過程です」
 ここで付言しておくと、しばしばグリーフワークは「悲嘆の癒し」と訳され、遺族の悲嘆をケアするものという誤解がありますが、死別の悲嘆にある遺族を援助したりケアしたりするのは「グリーフケア」であり、グリーフワークは死別の悲嘆を抱えた遺族が自ら「悲しむ」ということによってなす作業のことです。

 グリーフワークは、文字通り「愛する者との死別を深く悲しみ嘆く作業」のことです。本書では「悲嘆作業」と訳されておりますので、以下は「グリーフワーク」と「悲嘆作業」を同義として理解してください。
なぜ遺族にはグリーフワークが必要なのでしょうか。あるいは、なぜ遺族にグリーフワークをせざるを得ない状況を強いるのでしょうか。なぜ辛い作業を遺族は引き受けなければいけないのでしょうか。パークスは言います。「重要な人との死別といった重大な精神的事件を、現実として一挙に引き受けることなど誰にもできるはずがありません」

 グリーフワークとは、死別によって生じた大きな喪失を、精神状態があっちこっちに行ったりし、精神的のみならず身体的疾患も経験しながら悪戦苦闘し、徐々に喪失の現実を自分の中で受け入れ、意識的に了解し、死者なき新しい現実生活に対応していこうという気持ちに至る苦しいプロセスであり、作業のことです。こういう辛いプロセスや作業を経ないと喪失自体を受け入れることが困難であるほど、愛する者と死別することがもたらす喪失は大きいのです。

 他人の死は了解することが容易です。新聞やテレビを見れば、あるいは周囲を見渡しても他人の死は溢れています。私たちは他人の死を見聞きして「かわいそう」と思って同情はしても、それをすぐ了解し、その死によってあまり心を動かされることがありません。人間は他の動物同様に死が定められていることを頭では了解しており、それが他人の死に対しては容易に了解してしまうのです。
 だが身近な人の死は、いつかそうなることは頭では理解しているのですが、そういう事態に実際に遭遇すると異なります。強固な主義、宗教的信念はいくぶん影響するかもしれませんが、それは決定的なものとはなりません。
 ジャンケレビッチが見事に指摘した如く、「3人称の死(他人の死)」と「2人称の死(身近な者の死)」は決定的に異なるのです。そして3人称の死では理解できたことが、2人称の死では、同じ人の死でありながら決定的に違った様相を呈するのです。それはその人の思想や理念の問題ではなく、私たちが取り結ぶ人間関係がもたらすものなのです。

私もこれまで多くの死を見てきたし、たくさんの葬儀に参列してきました。多くの涙もその場では流しました。その場に居たたまれないと感じたこともしばしばです。しかし、若い親しい友人を突然喪った時、若い時代から心配をかけどおしであった父を長い寝たきりではあったが喪った時は、今まで経験してきた死とは全く異なりました。自分の感情と身体を自分でコントロールできなくなる悲嘆を体験したのです。
 私は自らの少ない体験からもシュナイドマンの、死のロマンティックな合理化、恐怖を和らげようとする哲学や宗教よりも「死の事実を認めてこれを悲しく思う方が、よほど成熟した姿勢ではないだろうか」という主張を支持します。
 とりわけ愛する者の死は、頭では了解しているつもりなのですが、心が身体がその事実を受け入れることを拒絶してしまい、そこに葛藤が生じるのです。これは極めて人間的なことですし、グリーフワークを必然とするのです。

 パークスはグリーフワークのプロセスを3段階に分けて説明しています。
 (1)故人を想うことに没頭、(2)喪失体験を繰り返し苦痛をもって回想、(3)喪失に意味を付与する
 (3)の喪失への意味付与、つまり自分で意識して愛する者の死を受けとめる、に至るには苦しい道のりが必要です。しばしば愛する者の死、喪失を認めることは心に痛みを伴います。また、心の痛みが身体の痛みに転ずることも多いのです。そうした痛みを伴ってこの作業はしばしば行われます。家族や友人の手助けがあった場合であっても、そこに至る道のりは、孤独の中にあって自分が行わなくてはいけない作業なのです。
 以下、喪失がもたらす悲嘆を(パークスの説明を整理し直しながら)プロセス的に記述していきたいと思います。

7.衝撃と心の麻痺

 愛する者を喪った瞬間、あるいは数分以内に、人はしばしば激しく泣き、パニックになり恐慌状態に陥ることさえあります。
 かけがえのない存在を喪った悲しみもあるでしょうが、喪失が今後自分にもたらすであろうさまざまな危険を無意識のうちに予知し、これらに対する警告反応が生じます。

 例えば配偶者を喪った女性の場合、信頼する話し相手を失い、故人が給料生活者の場合には生活の担い手を失い、また性的な同伴者を失い、子供たちを一人で育ててていかなければいけない不安を抱え、家事を手伝ってくれた共働者を失い、しばしば生きがいであった存在を失います。暮らしの大きな変化を未来に抱えてどうしたらよいか、それが極めて危険に満ちた世界に感じられてしまいます。
強い危険に満ちたストレスを受け、学習能力は低下し、その状況にどう対応したらよいかわからず、ただ圧倒されてしまいます。彼女は落ち着きを失い、高度な覚醒状態が続き、どうしたらよいかわからなくなり、恐慌状態に陥ることがあります。
また高度の覚醒状態は死別者の健康をしばしば害します。神経調節が全般的に障害を受けるために、食欲不振、体重減少、消化不良、動悸、頭痛、筋肉痛をもたらします。

「死別直後の数週間、彼女たちは典型的に食べ物などに関心がなくて、口が渇き、胃には充満感や何か塊のようなものを感じ、そしてしばしばおくびや胸やけを起こしていました」
 マティソンの報告によるならば、彼女たちは「時間がとても早く過ぎた感じ」「苛立つ」「やらないことはわかっているけどできない」「心の中は大騒動」「何に対しても一生懸命になれない」「些細なことに動揺してしまう」という全般的に落ち着きがなく、不安な状態に陥ってしまいます。
 また、強い危険に満ちたストレス、あまりに大きな喪失の衝撃は、しばしば死別者の心の蓋を閉じて麻痺させます。

 ある女性は「心の麻痺のおかげで泣かずに子供たちを世話し、葬式を済ませ、親戚との打ち合わせができたと感じました」。つまり彼女は夫の死という現実を「本当とは思えない」で、「非現実感」を抱え、「反応が鈍り」、ほとんど機械的に死後のことを運んだというのです。
 心の麻痺は喪失直後の初期に発生します。パークスは「喪失が起こったという事実を受け入れることが困難なため心を麻痺させる」と説明しています。

 これはクライシス(危機)に対する本能的な心の「防衛」です。死別者は意図的に故人のことを考えることを避けたり、故人を思い出すような物を見ることを避けたりしたり、閉じこもり、現実から逃避しようとすることがあります。また、こうしながら、故人のことで頭が一杯になったりということが、同時に、あるいは交互に発生したりします。
 ある人は「葬式で現実に起こったことを思い知らされ」ることになります。あるいは「火葬」の段階になり、現実を突きつけられることがあります。

8.焦燥感と怒り

 怒りもまた悲嘆の表現です。
 怒りは、喪失のショックにより心を麻痺させたことの直後にくる、悲嘆の比較的初期に多く見られるものです。「振幅の大きい情動で、最初の1か月間に頂点に達し、それ以降は断続的にしか表面に出てこない傾向」です。怒りとまでいかなくとも、死別者はしばしばとりとめのない焦燥感と苦渋に苦しめられます。初期に多く見られるものとはいえ、1年間も続くケースもあります。

 次のケースはよくあることです。
「悲しむのを止めさせようと仕向ける親族や友人たち」、あるいは、「悲しみはいつか過ぎ去るものだと慰める人たち」に対する死別者の憤慨振り、それへの敵意に満ちた反応は周囲を驚かせます。
 このケースをよく考えてみればわかります。周囲は死別者に喪失の現実を早く理解するように促しているのです。泣いても現実は変わらないのだから、泣くことは無駄なことなのだから、早く現実を受け入れなさい、と客観的に善意で言っているのです。但し、人間に対する深い理解を欠いてはいるものの。
 でも、死別者はまだ現実を受け入れていないのです。死別の現実を認めた後にやってくる危険への対応の準備ができていないのです。むしろ、喪失という現実を元に戻すことができれば安全になれると心のどこかで願っているのです。

「喪失という現実を十分に受け入れるまでは、どんな些細な危険でも、その喪失自体につながる危険になります。遺族は、なおも故人が生き返れるものと思っていますし、家庭にこの喪失の意味するものをもたらすものに対しては、それが何であれ大きな脅威と見なして反応してしまうのです」
 この焦燥と怒りは「死につながる出来事の検討」に死別者を向かわせます。
「おそらく、責めを負うべき人物を見いだすことができれば、何とかして死を阻んだり、あるいは食い止めたりできるのではないかという気持ちが残っているのでしょう」

 この攻撃は他人に向けられるばかりではなく、しばしば、自分自身にも向けられます。自責です。
「自分を罰する機会を探しているように思われましたが、それはあたかも罪を受け入れることによって、何とか事の進行を逆転させ、亡くなった夫を取り戻すことができるかのようでした」
 客観的には無理難題です。しかし喪失したものが大き過ぎたために、それを受け入れ難い、つまり悲嘆がそれほど痛切だということの表明なのです。
「彼女たちが友人や親族を追い払ったにしろ、あるいは家に閉じこもることで怒りの感情を処理したにしろ、その結果得られたものは孤独と不安感にほかなりませんでした」

 この怒りの感情に囚われた場合、常に攻撃的であるわけではありません。
「怒りの間欠期には、抑鬱的引きこもりの時期があって、これはたいてい攻撃性の欠如と無気力を伴っていました。死別から1年が過ぎ去るとともに抑鬱気分のほうが目立つようになり、悲嘆の心痛は軽減していきました」

9.思慕

 怒りと焦燥に駆られる人もいれば、故人を探し求めることに夢中になる人もいます。
 成人した大人ですから頭では故人を探し求めるのが無意味ということはわかっているのですが、故人に対する思慕が探索衝動を促すのです。
「悲嘆に暮れている遺族は、神経過敏で、そわそわ落ち着きがなく、心ここにあらずといった様子をしていて、故人を見つけ出そうと躍起になるあまり、故人が最も慣れ親しんだ環境に注意を集中するものです」
 故人がいそうな場所、書斎、好んで行っていた場所、故人の椅子など大切にし、探し回ります。外出していると「夫が待っているから」と早く帰ってしまいます。食事は生前と同じように故人の分も用意します。

 この探索が熱心なあまり、自分の身なりに対する関心は薄れ、その他への関心も失ってしまいます。そして、しばしば故人に呼びかけます。
 パークスは「対象が不在だから呼びかけし、探索する」と説明しています。
 中には故人がいるかのように振りをすることがあります。「発見」とパークスは名づけますが、故人の幻覚を見て、故人がいるかのように錯覚します。そしてこの
 夫がいつ帰ってきてもいいように毎日書斎を整えておく妻、玄関で物音がすると故人が帰ってきたのではないかと飛び出していく人、故人のためにも食事を用意する人……死別者からこうした話を聞くことはよくあります。
 だが、例えば故人の食事を毎日用意していても、けっして食べられることなく毎日残されるのを見て、次第に欲求不満が募り、そのうちやめて、次第に故人なき後の生活を受け入れていくケースもあります。
 生きているかのように錯覚する者も、いつも、また、いつまでも夢を見ているわけではありません。孤独感と寂しさを訴えることになります。

 あまりに思慕の想いが強く、亡くなった人を思い出そうとするができなくなるケースがあります。これは私自身が経験した一時的な記憶喪失のような現象です。
 パークスはこの現象を説明します。
「亡くなった人の顔を思い出そうとする意識的な欲求があまりに強いと、それが想起を抑制する」
 更に、これは近親者に対しては「あまりに多種な情報、記憶をもっているため」であり、ショックもあり「全体として思い出すには時間がかかる」のだと説明しています。だが次第にコントロールできるようになります。
思慕の情が高じて自殺に至るケースもあります。相手と同一化しようとしたのか、あるいは相手の不在による孤独に耐えられなかったのか、これも死別者がまれに見せる「過激な解決法」です。

通常は次のように移行します。
「時がたつにつれ、すべてがうまくいけば切望の強さは弱まり、切望の苦痛と回顧することの喜びを、甘く切ない感情、『郷愁』として経験します。この時まで、この2つの要素を同時に体験するようです」
「時がたてば悲嘆の強さは徐々に弱まっていき、夫を思い出させる物を避けていた人は、そうすることは必ずしも必要でないと悟り、また、夫の死のことばかりに心を奪われていた人は、他のことを考えるのが容易になります」

 思慕、回想、探索……死別者のなすこうした行動は無意味なことなのでしょうか。単なる徒労なのでしょうか。
 これは一見無意味な行動のように見えて、「喪失の問題に取り組む試み」であり、「現実への準備」なのです。なぜなら「死別のような大きな変化は、一度には十分に了解できないものである」からです。

10.抑鬱そして転機

 怒りの後にも抑鬱状態が訪れましたが、思慕、探索の後にも同様に抑鬱状態や打ちのめされた態度、引きこもり、依存が訪れます。
 パークスは「死別したばかりの未亡人」は「思春期の中途退学者のようなもの」と称していますが、妻を喪った男性にしても、子供を喪った親にしても、新しい状況に対応できないという点においては同じようなものでしょう。
 家庭において、それぞれが相手に対してさまざまな役割をしています。自分に対してある役割をしていた人が失われる、あるいは、相手にしていた自分の役割が相手の喪失によって失われる、これは大きな変化です。妻を喪った男性は子供に対して母親の役割も担う必要が出てくるでしょう。あるいは子供の誰かがそれを担うでしょう。だが、そこにはうまくいくかという不安だけでなく、常に母親の喪失という現実を基礎にしているのです。
「新たな同一性を引き受けることに加えて,古いものを諦める作業が必要ですが…これは長い苦痛に満ちた作業であり、けっして終わることがないものです」
 したがって長く重くて苦しい抑鬱状態を死別者を覆ったとしても不思議ではありません。

 転機は些細なことがきっかけで訪れることが多いようです。
 抑鬱が軽度の時、天気がよいので外出した折りであったり、新しい就職をきっかけにしたり、ある時、突然にその時は訪れます。転機を迎えるには、それぞれに必要な時間と機会が必要なのでしょう。それは、援助者の強制ではない何がしかの促しによることもあります。また、援助者の自立への適切な援助が促すこともあります。見方を変えたらどうだろうという援助者による強制ではなくヒントの提供がきっかけになることもあります。
 ある人は「突然に身体が軽くなった」と表現します。あるいはそれは徐々に薄皮が剥がれるように、気分のいい日が多くなるという形であるかもしれません。

 パークスは「亡くなった夫に心地よい『親密さ』を感じるのは、悲嘆と孤独の時期の後」と書いていますが、多くの死別者の手記を読むと、故人を懐かしく、自分の思い出として、自分にとってかけがえのない存在だったのだと確かに認識できた時、その人は長いトンネルを抜け出しているように思います。それは自分が、たいへんではあるが、自立して新しい状況に対応できた、できそうだと自覚した現れのように思います。
 もちろん、悲嘆はさまざまな過程を行ったりきたりするように、その段階を抜け出したから元の段階に戻ることはない、ということがけっして保証されないように、悲嘆からの回復は永遠の卒業ではなく、ある時は揺れ戻しがあります。だが、転機をきっかけに、徐々に新しい生活に馴染もうとするのだと思います。

11.慢性悲嘆

 多くの死別者は、死別後6か月から1年かけて死別の悲嘆を通り抜けます。だが、そうでない場合もあります。
 パークスは、死後1年以上経過しても重篤な抑鬱状態が続いている人が11%もいることを指摘しています。「慢性悲嘆」と呼ばれるものです。
 通常の悲嘆であれば、苦しい時期は経過するにしろ、ある転機をきっかけに回復に向かいます。だが、ちょうど化膿してしまったけがのように、いつまでも傷口が塞がらない状態が続くものです。これは病的な悲嘆で、一つの疾患として専門医師による手当てが必要なものです。
 多くの病気のように、早期の発見、早期の治療が望ましいのですが、こうした事例には注意が必要です。

 パークスは慢性悲嘆の原因の一つとして「死別への反応が遅れて(2週間以上)出現」するケースを指摘しています。
 愛する者の喪失が悲嘆を招くのが自然なのですが、それは死の直後、通常は少なくとも数日以内に出現します。泣いたり、ショックから心的麻痺に陥ったり、更には焦燥や怒り、強い思慕・探索などこれらは悲嘆の表現なのですが、それらがすぐ出現しないケースがむしろ注意する必要があります。
 自分で無理に自制したり、あるいは他人の目により規制したり、いずれにしろ自然に表出すべき悲嘆を抑制し、内に幽閉してしまった結果、悲嘆が遅れて出現し、その結果、表には見えないが、内部で化膿するだけして、その結果出現して手がつけられなくなるように、慢性悲嘆に陥ることがあります。

 パークスは夫婦関係のうまくいっていなかった場合のケースもあげています。この場合、本人は愛着がないから自分が悲しまなくとも当然だと思っています。しかし、憎悪であれ、行き違いであれ、何らかの依存関係にあったのは確かです。こうした関係の場合、悲嘆の症状は悪くなりがちだと言います。
 成人し結婚した子供は、親との死別による悲嘆が一般的に緩和されるようです。反対に、成人していても未婚の子供は深い悲嘆に陥ることがあります。でもそれぞれに事情があることです。いちがいに決め込むことはできません。

12.看取り

 事故による死、脳溢血などによる突然の病気による死、あるいは自殺による死……突然の死、前触れのない死が遺族の悲嘆を重くするのはよくわかります。
 だが、最近多く見られるようになった癌による死、高齢者の長い寝たきりの後の死、いずれも何らか「予期された緩慢な死」だからといって、悲嘆が緩和されるとはかぎりません。
 これの決定要因は、死を看取るプロセスにおいて本人とどれだけ心を割っていい関係が作れたか、ということにありそうです。
 本人を励ますために、嘘を言い続け、本人との間に気まずい関係を招いたケース、嘘をつくつもりはなかったものの、いつの間にか、死に至らず回復するのではないかと自分自身に思い込ませてしまったケース、あるいは、死にゆく人を取り乱させないようにと心を砕くあまりに、自分は悲しみの気配を控えてしまったケース、あるいは遠くにいて看取ることができず罪責感を抱いていたケース……これらの場合には必ずしも死後反応はいいとは言えないようです。

 死にゆく者とどれだけ裸の人間的関係を最期まで築くことができるか、信頼関係を築くことができるか、これが重要になるように思われます。
 悲嘆がないのがいい、あるのが悪いというのではないのです。適切な悲嘆、病的になってしまう悲嘆があり、看取りにおける適切な信頼関係は、悲嘆の回避ではなく、適切な悲嘆をもたらすことが多いということです。

13.葬式と援助

 パークスもゴーラーが『死と悲しみの社会学』(宇都宮輝夫訳、ヨルダン社)で指摘したと同様に、遺族にとって葬式と社会的に公認された服喪の重要性を説きます。
「葬儀自体には、否定的な感情も肯定的な感情も起こってくるものです。遺族にとって、葬儀はもちろん辛いものです。しかし、ロンドン調査の未亡人の半数とボストン調査の未亡人の3分の2は喜んでいました。『すばらしい葬儀でしたわ』『葬儀の時の皆さんの言葉を私は覚えています』『職場の方たちが50人も来られたのです。それは辛い試練でした。けれど、私は誇りに思っています。皆さんは主人を尊敬していたのですから』『葬儀のお陰で、私は孤独でないと思うようになりました。何か信じて生きていけるものができたのです』。これらの述懐は、葬儀の時の彼女たちの信条と、肯定的に思われた社会からの支援の感触を示していると思われます」

 また、次のようにも言います。
「死の意味を説明したり、悲嘆の感情を表出するのを社会的に支援する信仰や宗教儀式は、死別したばかりの人の混乱した感情を和らげ、さらにその人が悲嘆を表すのを助けていると思われています」
 そして服喪は悲しみに専念してよいという社会的公認なのだから遺族の心理を楽にするものです。
 だが、危険はあります。葬儀という場面が悲嘆の表出を抑制する動きをするときです。あるいは過度に悲しみを煽るときです。
 悲しみは自由に表出させるべきであり、避けたり、煽ったりすることは遺族の心理に良い働きをしません。

 最後にパークスの援助者の心得の一端を紹介しておきましょう。
(1) 死別から24時間以内は、遺族が感情喪失か恐慌状態にあるので、初対面の人は訪問すべきでない。
(2) 宗教者は葬儀後、孤独に陥りがちな適当な時期に適当な間隔で遺族を訪問すべきである。
(3) 援助者は、遺族を他者の注目から守る必要があるが、けっして占有することなく、細かい作業を手伝う。
(4) 援助者は、遺族が心を乱しても、恥じることではなく、それによって気が狂ったわけでもないことを態度で示すことが大切。
(5) 援助者は、死別者が故人の生き返りを願おうと、それに対して自分は何もできないことを表明し、あるがままに見守るべき。
(6) 援助者は、遺族が何をしても、それによって自分との人間関係がけっして崩れないことを示すこと。
(7) 援助者は、医療関係者、カウンセラーなどの専門家のほか、親戚、友人など誰もがなれるが、第三者がいい場合もある。
 

 グリーフ、これは私たちの人間関係がもたらすものであり、これを否定することは、私たちが価値あるものとして尊重しているものを無価値にするほどの、私たちの根源に関係するものであるように思います。これにどう対処するかで、私たち自身の生き方が問われているように思うのです。

(初出 SOGI55号 2000.1)

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