三回忌―個から見た死と葬送(20)

三回忌 三回忌だという。 つい2カ月ほど前の出来事のような、はたまた夢の中の出来事であったかのような…。 現実感がまるでないのだ。 心を裂かれた傷みはまだ癒えることはない。 でも、癒える必要はないのだ、と思う。 この傷みこそあなたの残り香なのだから。 この傷みがなくなったら、あなたが私の手の届かない先に行ってしまったことになるから。 どうか、私の心を傷ませ続けてください。 「時間が解決してくれる。いや時間しか解決してくれない」と人は言う。 それは何と残酷なことだろう。 時間よ、止まってほしい。 かろうじ... 続きを読む

死の自己決定権―死に対する自由意思の限界(下)

本稿は「現代の死―死に対する自由意思の限界(上)」http://romagray.cocolog-nifty.com/himonya/2017/02/post-a72d.html#_ga=1.154086584.1288449594.1488071937の後編。 死の自己決定権 ■「死の自己決定権」の文脈生きる上での「自己決定権」というのは個人の基本的人権として認められている。これは「死の自己決定権」に及ぶのか、及ぶとすればどこまでか、が議論としてある。 憲法第11条から第14条には基本的人権が定められ、... 続きを読む

現代の死―死に対する自由意思の限界(上)

現代の死 死に対する自由意思の限界(上) 死について「本人の自由意思」がキーワードになっている。この問題については数回取り上げているが、キリスト教関係の雑誌で私が大学院時代から書かせていただいた『福音と世界』2015年3月号に書かせていただいた論稿を掲載する。 ※内容は近年書いたものと重複することがあることをお断りしておく。 ■はじめに―個人的なこと 最初に個人的なことを書く。 筆者の姉は、13年6月に大腸がんでステージⅣであることを医師から宣告され、11か月後の翌年4月、72歳で死亡した。 本人は若... 続きを読む

仏教界への提言・葬儀は何が問題か?―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑦番外編

仏教タイムズ2017年2月16日号に「仏教界への提言」が掲載された。これを本ブログのシリーズ「戒名、布施問題の多角的アプローチ」の番外編として公開する。 紙面は大きいが、字数が少ないため、問題を絞った。全日本仏教会の中間報告へも言及していない。しかし、最も言いたかったことを書いた。 編集部からは「消費者からの視点」で書くよう要請を受けたので、「葬儀とは遺族にとってどういう場面か」ということを切り口にした。そのことで戒名問題、布施問題、僧侶派遣についても根本的なことを書けたかと思う。詳細は本ブログで展開して... 続きを読む

布施と寺の関係―戒名、布施問題の多角的アプローチ⑥

布施と寺の関係   「布施」は理念的には、 「施す人も、施される人も、施す物品も本来的に空であり、執着心を離れてなされるべきもの」 とされている。 本質的には、仏法を説く「法施(ほっせ)」も布施としてなされるものであり、見返りを期待したものではない。 また、その僧を支えるものとしてなされる「財施(ざいせ)」も「布施」としてなされるものであり、何らかの対価、見返りを期待したものではない。 また僧や仏教徒の布施は寺院の関係を超える。地域社会に精神的、身体的、経済的、人間関係的に不安や困窮し困難にある... 続きを読む