死んだ男の残したものは

本日は雨、そして涼しい。事務所で冷房を入れないというのはいつぶりであろうか。 私は暑がり、寒がりという脆弱ぶり。節電は厳しい人間。ちとみんなからは冷たい目で見られる感じがするきょうこのごろ。その人間が冷房要らずなのだから、ようやく長い酷暑は終わったのかもしれない。 とにかく、今年の夏は長く、湿気が高くきつかった。「残暑厳しき折り」とふつうの人は8月下旬から書くのだが、私は9月に入っても「酷暑が続いています」と、ついこのあいだまで書いていた。 谷川俊太郎『ひとり暮らし』(2001年初版、2009年新潮文庫)... 続きを読む

敬老の日

昨日は「敬老の日」であった。私も対象者じゃないですか。違和感がある。 といってもしょうがない。65歳以上は自動的に高齢者なのだから。私は66歳、同級生の半分は67歳になった。私の学年は数が当時は最も少なく、いわばウエストである。俗に「非国民の子」と呼ばれた。 われわれの2学年下から「団塊の世代」間に合わないのでプレハブで授業を受けた口である。団塊世代は全世界にある。第二次大戦が終了し、帰還した兵士の子どもたちである。 その世代が65歳に足を踏み入れた。最後の団塊ももはや60代になった。 日本の高齢者は約3... 続きを読む

享年では100

先週の金曜日の午前3時に母が満では98歳ですが、数えの享年では100歳で死亡し、福岡に行ました。   母は今年の3月から危篤状態を繰り返し、一切有意味な治療は行わなかったのですが、生命力が強く、医師もわからないとお手上げの状態で5か月生きました。   7月に食事に姉夫婦と私が出かけたのが外出の最後でした。まさに生き切った、という感じです。 母は、80代から認知症になり、ここ数年は介護の方たちにも悪態つき放題でしたが、最後の半年は穏やかになってくれました。眠っている延長上で死亡しました。... 続きを読む