僕はあなたの息子でした―個から見た死と葬送(27)

これを書いたのは2年半ほど前のことである。今も父の死は鮮明である。遺骨の一部は今も私の引き出しに入れてある。 父は晩年、よく「危篤だ」と自分で電話をかけてきた。 兄には別な日に「危篤」になったようだ。 要は「顔を見せろ」ということだ。 行くと息子の顔をまじまじとみつめ、「僕が死んだらどうするか言ってみろ」と言うのだ。 自分の意思が息子に伝わっているか、確認をするのだ。 危篤になった時のことから始まり、葬式や納骨、そして自分の書斎の本の行く末まで、全部を、私が父からそれまで何度も聞かされたとおりに言うと、「... 続きを読む

バブル文化についてつらつら―雑感②

今ウケるバブル文化   今朝20170514 の朝日から気になった言葉を抜いてみた続き。(ディジタルから引用しているので、本紙とは一部異なる) 「バブル景気」は80年代後半から91年まで続く。91年1月に崩壊するのだが、気分としては91年いっぱい引きずり、すぐまた戻るだろうと思っていたが、95年頃から不況を実感し、宝石が売れなくなり、葬送の傾向も個人化に傾斜していく。 個人的には86~91年というのは、出版編集という編集者の仕事から苦手な管理職的な仕事の負担が増え、嫌気がさし、会社を辞め、... 続きを読む

共謀罪から「聖俗」二元論までつらつらと―雑感①

今朝(20170514)の朝日から気になった言葉を抜いてみた。(ディジタルから引用しているので、本紙とは一部異なる) 共謀罪 共謀罪に関するカメラマン宮嶋茂樹の発言 むしろ共謀罪は、市民が犯罪者を拒む理由になるんじゃないか。「あなたとは会うだけで共謀罪に問われそうだから」と。もちろんテロリストや暴力団などの組織的犯罪集団と関係があるような人は一般市民とは言えない。  若い頃、大物右翼の赤尾敏氏(故人)を撮影した写真展を開いた。最初に会場に来たお客さんが「よう、宮嶋君。いい写真だね」と言う。公安刑事だった... 続きを読む

生死の境界―個から見た死と葬送(26)

そこには痩せこけて、口を開け、固まるように寝ていた人がいた。 思わず引き返し、ドアの横にある名前を確認した。 間違いなかった。そこに姉の名が書かれており、ベッドにも姉の名が書かれていた。 声をかけても反応しない。 1週間前に、間違って携帯を押し、姉につながった。すでに5度目の入院をしていた姉だった。力は弱かったものの受け答えはしっかりしていた。 先に姉を見舞った兄からの電話で、著しく衰弱し変貌していると聞かされてはいた。だが、ここまで酷い変わりようとは思わなかった。 かろうじて呼吸する様が喉で確認できる... 続きを読む