死と葬儀に関する意識変化

■寅さんの葬儀が象徴するもの

 「寅さん」こと、俳優の渥美清さんの「お別れ会」が大船撮影所で開かれ、当日だけで三万五千人がこの国民的俳優との別れに訪れた。テレビには江戸川の土手をあしらった祭壇の前で記念写真を撮っているファンの光景も映し出されていた。その日以降もファンのお別れを受け付けたので合計四万人を超える人々が訪れた計算になる。そして、おそらく数千万人の人々がテレビを通じ、「寅さん」に別れを告げた。
 この葬儀、「寅さん」の死の社会的な影響の大きさはもちろんのことであるが、私的な存在と社会的な存在を峻別する葬儀形式が注目を浴びた。続いて亡くなった俳優でありエッセイストの沢村貞子さん、政治学者の丸山真男さんが同じ方法をとり、「天声人語」(朝日新聞)もこれに言及するほどであった。

 これはビッグネームの人の葬儀に対する意思、選択として注目を浴びたが、最近の人々の葬儀に対する意識の変化を先鋭的に表現したものでもあった。
 その一つは家族あるいは近親者だけの「密葬」に表されるように、死や葬儀を公的なものではなくプライバシーとして理解する動きである。
 東京都生活文化局が一九九六年三月に発表した調査結果によると、家族の葬儀を「親しい人とこじんまりと行いたい」とする人々が全体の四三・二%を占め、これが自分の葬儀の場合になると四七・二%、さらに「行ってほしくない(家族だけで火葬、埋葬してほしい)」とする九・四%を加えると過半数が「プライバシー派」となっている。
 戦後、高度経済成長と共に葬儀が「社会儀礼」の側面を肥大化してきたが、今、ここで意識が大きく転換しようとしている。

 もう一つは「お別れ会」という名称に表されるように葬儀の意味を「故人との別れ」と理解しようとする動きである。
 葬儀が〈通過儀礼〉であるとはよく言われてきたことである。死者を「この世(此岸)」から「あの世(彼岸)」に橋渡しすることが重要なことである、と理解され、このために宗教儀礼が営まれてきた。葬儀とは、したがって「故人を弔う」ことであり、「あの世に行っての幸せ(冥福)を祈る」ことが重要になる。仏教儀礼的に言えば、仏門への入門儀礼が彼岸(死後の世界)への入門儀礼に援用されることによって、(彼岸における名前である)戒名を授与し、引導を渡して彼岸に導くことが中心とされたのである。

 今、この「宗教儀礼」の地位低下が著しい。変わって主流になってきたのが「故人との別れ」である。そもそも「故人との別れ」と「宗教儀礼」は厳密な意味では対立する概念ではないが、心の置き所としては異なるものである。葬儀を宗教儀礼として理解するものから故人との別れに重心移動が起こっているのが最近の流れであるように思う。
 先の東京都の調査によると、葬儀を「故人との別れ」と理解する人が六〇%と過半数を超え、「故人の冥福を祈る宗教的なもの」と理解する人が三二・四%にとどまっている。(以下、「遺族のためのもの」と理解する人が六%、残りが「その他・無回答」)葬儀を「故人との別れ」と理解する人は若年層により多く、今後ますますその傾向を強めていくことであろう。

■死に対する観念の変化

 こうした葬儀に対する意識変化は、死に対する理解の変化を反映しているように思う。社会背景としては人生四十年時代と人生八十年時代との差である。今は〈誕生→子供→青年→成人→壮年→老年→死〉というのがいかにもプログラム化されていて、この道程を辿るのが当然という理解になっている。だが、これはたかだか戦後の観念、特に高度経済成長期以降の観念である。今は死者全体に占める六五歳以上の高齢者の死は七五%にまでなっている。一九五〇年当時には三五%にすぎなかったのであるから、いかに戦後の変化の大きいことがわかる。

 極端な表現を用いることを許していただくと、現在の死の多くは「生涯を終えて」のものであるのに対し、かつての死は「いつ訪れるかわからない」ものであった。死は「生を奪う」ものであり、したがって理解を超えたものであるために死霊がもたらすものと理解され、葬儀では死霊の怒りを鎮静し、死者の魂のあの世での安寧を願うことが重要視されたのであろう。日本の戦前の葬儀の記録を繙くと、八〇歳を超えた高齢者の葬儀の場合には「人生を全う」し「長寿を祝って」赤飯が炊かれ、さながらお祝いの様相を呈したものが少なくなかったようである。これは稀なケースであったからだ。戦後の五〇年になっても八〇歳を超えての死は全体の六%にすぎなかった。

 今、日本は歴史的にも類を見ない「高齢社会」に突入している。全人口の二五%が「老」で占め、死者が毎年百万人を超える「多死」の時代に向かおうとしている。こうした社会状況の変化は死や葬儀の理解に大きな影響を与えるものとなっている。だが、また阪神大震災など災害による多数の死者、「交通戦争」と言われる交通事故死者、過労死、エイズによる死者、など若年や突然の死がなくなったわけではない。核家族化の進行により高齢者だけの世帯も増加しており、高齢者世帯における配偶者の死による孤立化という問題も今後は大幅に増えることが予測される。

■死は個的な営みか

 死を「一人称の死(自分の死)」、「二人称の死(家族など身近な者の死)」、「三人称の死(他人の死)」に分けたのはジャンケレヴィッチである。これに「四人称の死(知らない人の死)」を加える人もいる。三人称はまだ「既知の人」であり、まったく無関係な人の死に対する認識はまた異なるからである。いずれにしても死をどのような位相で考えるかによって死の様相は大きく異なる。

 近年大きくなってきているのが「一人称の死」に対する関心である。これは人生の終期を〈老→死〉とイメージすることにより、人生の最期としての死を考えることからきている。よく言われる言葉は〈人生の完成としての死〉である。ターミナル・ケア(終末期医療)への関心から「死の自己決定権」が言われるようになったが、その延長に「死後の自己決定権」という言葉すら現れるようになった。
 これは戦後「見ない」「ないかのように」して隠し続けてきた死を人間にとって自然なこととして認容する動きとも連動している。死を忌避するだけでなく、きちんと認容しようとする動きが出てきたのは一つの進歩というべきでろう。

 死を考える際に、死にゆく人本人のことがまず第一に考えられるべきではあるが、死は本人だけに訪れるわけではない。家族や親しい関係にある者(二人称)にも死は訪れるのである。そうでなければ葬儀はないであろう。人間が葬儀を営むのは、生が共同的な営みであるゆえに死もまた共同的な営みとしてあるからである。葬儀の核となるのは「二人称の死」である。
 死は遺された者にとっては愛する者を喪失することである。この喪失は本人との関係、紐帯が強ければ強いほど悲嘆を強くする。この悲嘆を私は「小さな死を体験すること」とよんでいる。身体的な意味での死を体験するのは本人のみであるが、そして本人は自らの死期を告げられたとき、自らのもつさまざまな関係性からなる世界を喪失するという悲嘆と向き合うことになるのだが、家族に代表される身近な者もまた、喪失がもたらす死を精神的に体験するからである。したがって死は個的ではあるが、同時に共同的なものであることを強いるという性格をもっている。

 かつて葬儀は、日本だけでなく、共同体の営みという性格をもっていた。死のもたらす危機が家族だけで担われるのではなしに、共同で分散して担おうとする知恵のもたらすものであったと思われる。医療が今のように発達しておらず、災害に対する社会的防御もあまり整っていない時代にあっては、突然の死は日常的であったし、それゆえに死のもたらす衝撃はより強いものとして存在した。この「不意打ちの死」は家族を危機に陥れ、ひいては共同体そのものの結びつきをも危うくしかねない存在としてあった。それゆえ共同体社会では、葬儀を共同体の行事、祭儀として行ってきたという面があるのだと思う。
 それゆえ葬儀となると、共同体の人々が寄り集まって弔問し、葬儀を取り仕切るのであった。今でも葬儀には少なくない〈地域特性〉がある。このことは共同体の営みとして存在していたことを示すものにほかならない。

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