葬式の実際 ―死の看取りから始まるプロセス

1.死の看取り

■他人の死の始まり

 他人の死は「知らされる」ことによってもたらされます。
 最近私が経験したことを例にとってお話ししましょう。
ある人については1カ月前ほどに「そろそろ危ないらしい」ということを聞き、次は「訃報」という形でその死が告げられました。
この方は高齢であり、「そういう時がいよいよ来たのか」という想いでその死の知らせを聞きました。
 同郷ということもあって可愛がってくださり、お世話になった方でしたので、幸い仕事の調整もつき、葬儀に参列しました。

 また、ある人の場合には突然に訃報が届きました。
私よりはるか年長であり、昨年あたりから社会的な各役職を次々と引退し、後進に譲っていましたが、時折会合でもお顔を見ていたし、社会的な引退が死とは結びつくものではありませんでした。ですから訃報には驚きました。
しかし、より親しい人の話では最近相当身体が弱っていたということでした。身近な人にとっては、その死は意外なことではなく、憂えていた事態の到来という感じであったようです。
 その人の場合には、あいにく仕事の締切がぶつかって、どうにも調整がつかなかったため、弔電と生花を届けただけでした。

 また、ある人の場合には会合の席でのヒソヒソ話から知らされました。それははなはだ曖昧で、「どうも亡くなったらしい」というもので、まだ40代と若く、昨秋には元気な様子を見ていましたから「なぜ、どうして」という疑問がまず浮かびました。そして、半信半疑状態でいろいろなところに電話をかけまくり、ようやく知ったことは、亡くなったというのは事実であること、それは事故死らしく突然のもので、しかも既に密葬が終わっている、というものでした。死亡が事実だっただけではなく、葬儀も既に済んでいるという事実に言いようがない想い、やるせなさを感じました。

 また、ある人の場合には電話でその死を告げられました。
その人には数カ月前に、その人の希望で東京のホテルで会っていました。会った時には元気でしたから、「何が起きたか」という疑問が沸きました。だが、急性の病気で、発見された時には既に手遅れ状態で、家族が手厚く看取ったということでした。
 密葬が間もなくでしたが、まずは家族だけで送り、後日に本葬をすると聞かされました。長く親しくしていた人で、携帯でもよく話していた人でしたので、その本葬には仕事をやりくりして参列しました。

 昔の日本の葬儀では、人が亡くなると、それを伝える人が立ち、まず檀那寺の住職に、そして地域の人にその死を告げて歩いたと言われます。この「人の死を告げる」という作業は大切なものと位置づけられていました。
他人の葬儀は告げられ、知らされることによって始まるのですが、近親者にとっては多くの場合そうではありません。その前に「死を看取る」という作業があるのです。

■死ぬことが大変な場合の死の看取り

 人の死の記憶は、通夜、葬式という記憶よりも、その人と自分との関係の記憶、とりわけどう看取ったか、あるいは看取ることができなかったか、にあるのではないでしょうか。
 いくつかのケースの看取りについて見てみたいと思いますが、ここで取り上げるのはほんの一端です。人の死は多様だからです。

 高齢者、それも90歳を超えての超高齢者の死が増加しています。
 私も身近に高齢者2人を抱えていますから、その実態の一部は体験しています。この超高齢者の看取りは長期にわたるのが特徴です。病名は付いているのですが、もはやそれは治療して回復するものではないのです。また、治療することは本人に痛みをもたらすだけで抜本的な解決策にはなりません。治療といっても痛みを和らげ状態を緩和する程度です。

 超高齢者の死への道程は、大きく言えば、なだらかに、徐々に衰えていくのですが、日常的に観察していると階段状であることがわかります。よく寝るようになる、ある日手洗いで転ぶ、ある日食べられなくなる、ある日意識が薄れていく…という具合です。
 こうした超高齢者が末期になると、多くは病院へ入院させることになります。しかし、よく考えてみると、実はこれは本人のための解決策ではないように思います。病院に入院させても回復の希望はないからです。

では、どうして入院措置をとるのかと言えば、理由は2つ考えられます。一つは、看取る側の家族がどう対処していいかわからないという不安が大きいからだろうと思います。もう一つは、看護する者のほうが体力的に負担に耐えかねないというのがあります。
 在宅での介護、看護は、身体的、精神的苦痛と共にあるというのが実態です。回復の希望はなく、世話は次第に苛烈になっていきます。こうなると行き先のゴールが死であることは看取る家族の目にもはっきりと見えています。但し、そこへ辿りつくためには過酷な世話が、いつ終わるともわからず、ひたすら続くことになります。だからしばしば介護者の体力・精神が、その死というゴールまでもつかどうかが懸念される事態さえ生じるのです。

 いま高齢者の生活環境は過半数が1人世帯または2人世帯となっています。介護者がいないというケースもあり、孤独死という事態が今後さらに増えると予想されます。しかし、たとえ介護者がいても、それが配偶者である場合には介護者自身が老いを抱えています。また子が世話をする場合であっても、超高齢者の子どもも高齢者の仲間入りをしていて、「老老介護」があたりまえの状況です。先に倒れた配偶者の介護をしていた人が先に亡くなったという話もあります。

 人が死ぬというのは周囲の大変なエネルギーを要する、困難な作業であることがわかります。
 ニュースで、高齢者の介護を放棄し、死に至らせたということで家族が逮捕されたと報じられました。保護者責任の放棄というわけです。
 高齢者の死の看取りを体験した者にとっては、このニュースは他人事としては聞けなかったでしょう。 配偶者あるいは親に対する愛情はあっても、その介護は介護者自身を疲弊させ、体を傷め、精神的にも追いつめ、休めぬ介護に心の中で悲鳴を上げ、少しの間でいいから休ませてほしい、と切実に思うという体験をしているからです。

 超高齢者がその最期を迎えた時、介護者は終わった後の虚脱感、脱力感、もう介護しなくてもいいという解放感、そして亡くなった人への愛惜の想いが入り混じって複雑な感情に襲われることでしょう。
中にはもう充分なことをしたという達成感のようなものを感じることもあるようです。しかしまた、手がかかっただけに、その不在を痛感し、かつ、介護者自身のするべき役割が喪失したことへのとまどい、困惑がしばしば押し寄せます。介護が日常であり、その役割はある意味では生きがいともなっていたので、その役割の喪失は、自らの存在意味すら揺るがしかねないものとなることがあります。
死に至ることが、周囲の家族を巻き込み、肉体的、精神的に疲労困憊させる作業としてあります。
 もちろん、超高齢者とはいえ、その死は困難な死ばかりではありません。身体の弱まりはいかんともし難いですが、1週間あるいは1カ月寝込んだ後にロウソクの灯が静かに消えるようにいのちの灯を消すという穏やかな死もまたあります。

■期限を定められた死

 がんでの死者が30万人を超す時代です。
 医療の進歩は目覚しく、がんと診断されても早期であれば治癒も可能な時代になりました。しかし、発見が遅れたり、他の部位に転移して治癒が不可能な場合も少なくありません。
 その結果、残り半年、1年、と生きる期限を定められる、余命の告知を受けることになります。
 最近亡くなった方は60歳を前にしてがんで死亡しました。娘さんの結婚式を直前に控えての死でした。

 彼は1年前に医師から宣告を受けていました。おそらく深い悩みを体験したことでしょう。その後、彼は友人に頼んで、死後公開する予定の遺言をビデオで残します。それは都合3回収録されていました。そこには自分の差し迫った死を覚悟して、遺される家族、会社の人、友人への事細かな、愛情溢れるメッセージが収められていました。彼の生の尊厳が厳粛に感じられるものでした。
 しかし、彼のように余命の宣告を受け、かつ、尊厳ある生を全うできる人は多数派ではありません。
 これほどインフォームド・コンセントの重要性が説かれているにもかかわらず、厚生労働省研究班による全国の約1500病院対象の調査では「患者本人に余命を告知したのは約3割、人工呼吸器の装着など延命処置の希望を確認したのは半数強にとどまっていたことも判明した」(産経新聞2月16日)というのです。

「患者本人より先に家族に告知したり、希望確認する」が500床以上の大病院では約31%でしたが、100床未満の中小病院では約60%にのぼったとのことです。  家族には告知するが、本人へは告知しないという状態が未だに続いているのです。
 家族は本人に対し余命を告知すべきか、深い葛藤を抱えることになります。

「尊厳ある死」の条件として①痛みの緩和、②身体症状緩和、③精神的援助、④社会的援助、⑤家族支援が上げられますが、③~⑤の精神的援助、社会的援助、家族支援の項目はいずれも20%強にとどまっています。もちろん、これらを全て医療機関の責任にすべきではないでしょう。しかし、「期限を定められた死」に直面した本人もそして家族も適切なサポートを得られず、孤立して死に向かっているという現状にあります。
 がんにもいろいろあり、私の2人の叔父のケースのように80代の場合、あるいは90代の患者の場合にも本人に告知すべきかは別のことです。本人も従容として死を受け入れ、家族も温かくその最期を看取るというケースもあります。

■急いでくる死

 突然発症する病気、あるいは発見された時には手遅れで、わずか数日あるいは1カ月未満の入院で死を迎えることがあります。
 本人には意識はなく、家族は突然の事態に慌てふためき、動揺します。
 本人が80歳を超えているならば、それでも家族は「寿命だから」と無理に自らに納得を強いることは可能かもしれません。しかし、そういう年齢のせいにもできない場合、家族はおろおろして事態が進むのをながめているだけになります。
 家族はなぜ早期に気づくことができなかったのかと悔い、自らを責めます。あるいは同居していなかった家族は同居していた家族に、どうして気づかなかったのか、後の手当てが悪い等と敵意を剥き出しにすることもあります。

 救急医療で人工呼吸器がつけられることがあります。すると外す、外さないという問題が家族に突きつけられます。治癒の見込みがあればいいですが、その見込みはない。本人の意思も定かではない。外すのは本人を殺すことになるのではないか、あるいは、こんな状態で生き長らえさせるのは忍び難い、と葛藤、家族間の想いの差で苦しむことになりかねません。
 家族が死を看取るのに1カ月というのは短すぎるし、また、その葛藤の日々を考えるとそれは長くも感じるのです。非常時に流れる時間は通常流れる時間とは違って感じられます。
 予期もなく、受け入れる準備もなく、死を突きつけられる家族がそこに呆然と佇んでいるのです。

■突然の死

 事故死、病気での突然死、犯罪死、自死…突然の死があります。家族は死を看取る時間もなく、死は他人の死と同様に知らされることでやってきます。
 死亡という事実を突然突きつけられるのです。その死を理解すること自体が困難なことです。
 何が生じたのかわからないのでその解明に走る人、怒りを突きつける人、衝撃のあまりただ呆然とする人、衝撃が現実感覚を奪い、無表情に事務的に対応する人、事実を否定して泣き叫ぶ人、泣くという感覚すらなくショックのあまりあらゆる感情表現を失う人、とさまざまです。

 人間には何が起こるかわからない、いのちははかない、ということは頭で理解しているだけのこと。それが家族のこととして体験すると理解できません。理解できないのがむしろ当然です。
 もし、頭で理解しようとしても身体がそれを受けつけません。
 時間が経過すると、原因がある場合には敵意や怒りが、原因が不明な場合には困惑や後悔が、喪失の深い穴を埋めようとするがごとくその心理を圧倒します。

■多様なドラマの死

 人の死はどれをとっても同じ死はありませんし、死者本人との関係のありようによっても変わってきます。
 同じ家族であっても、看取った人と看取れなかった人の間にも大きな差が生じます。
 その本人がどういう人生を送ってきたか、家族との関係はどういうものであったかによっても変わってきます。

 葬式とは法律的には医師が死を宣告してから始まる作業ですが、死の看取り方がどうであったかに深く関係してきます。したがって死に多様なドラマがあるように、そのドラマを背景に執り行われる葬式もまた固有のものになるのは必然としてあるのです。
 生前に高齢者を遺棄するがごとく扱ってきた家族にとっての死亡後の葬式は、おそらく単なる死体処理以外のものではないでしょう。

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