葬式の実際 ―死の看取りから始まるプロセス

2.臨終から安置

■死の宣告

 さまざまな固有のプロセスがあり、そして医師が死を宣告します。法律的には、死は医師の判定によるもの、と定められています。その医師が死を決した時刻が人の生と死を法律的に分けるのです。
 看取った家族が、その死の事実を厳粛に穏やかに受け止める場合もあります。しかし、その事実を納得しない場合もあります。

 また、その事実が何を意味するのか理解できていない場合もあります。死の事実を頭では理解しても、行動では否定していることもあります。
 医師の死の宣告、判定によって生体は死体へと変わります。
法律的には死後の肉体は「死体」です。法律的には「死体解剖」「死体損壊」と「死体」という語が使用されます。この死体を尊厳あるものと認識するときに「死体」は「遺体」に変わるのです。
しかし、この段階ではまだ「遺体」とすら家族(この段階で「遺族」になっているが、これは尊敬の意味ではなく「遺された家族」という意味)が認識しているとはかぎりません。むしろまだ生きている家族の一員という認識であるように思います。ですから「遺体」とは言わずに「おじいさん」とか「お母さん」という、生きていたときの関係の呼び方をしています。 死者を「故人」と呼ぶのも「いまは亡き人」という原義だけではなく、ある種の尊敬のニュアンスがあるように思います。しかし、この死の判定の時点では家族には「故人」という認識はあまりないように思います。
 この家族の認識に添うならば、死後の早い段階には「遺体」「故人」という表現は避け、「(ご)本人」という言い方が適切となるでしょう。

■死水

 医師による死の判定の直後、多くの場合、看取った家族と死者を残し、家族だけの空間をつくります。そして看護師が患者につけていた器具等を取り外します。
次に、湯呑み茶碗に水を入れてもってきてくれます。この水に綿棒(かつては樒の葉や割り箸も使われたが、最近は綿棒が多い)を入れて水に浸し、看取った者が一人ひとり死者の唇を潤していきます。これを「死水」あるいは「末期の水」と言います。
 この習慣は長く続いているもので、水を口に入れることで再生を願ったものであるとか、あるいは「水杯」の譬えのように、死者と最後の、もう会えないという別れをするため等と説明されています。
この2つの説明は、どちらが正しいのではなく、さまざまな複雑な想いが入り混じって行われたことを意味しているだろうと思われます。
できるならば生き返ってほしい、という想いはあったでしょう。また、この行為自体が死の事実をいやがおうでも突きつける行為であると思います。
死の事実の確認を巡って、複雑な想いが錯綜して行われる行為が死水という行為であり、これは現在もまだ有効であることがこの習俗を生かしているように思えるのです。

■死後の処置

 遺体に対して看護師(あるいは病院関係者)が死後の処置を施します。
 死後の処置のことを「清拭」あるいは最近では「エンゼルケア」という言い方もします。
 かつては自宅で死亡することが多かったため、死後の遺体には湯灌が施されましたが、これは納棺を前にして行われていたようです。ですから湯灌の代替行為と見るのは異なるように思います。むしろ遺体に対する衛生処置という新しい処置だと考えるほうが妥当性をもつでしょう。
元来「湯灌」は、死者の身体を洗い清めることにより、その死者の霊魂をも清めるという二重の意味がありました。特に後者の聖化という意味が強かったものです。いまの死後の処置には後者の意味はありません。ひたすら身体を清めるという意味だけです。
 しかし、この死後の処置は以前「湯灌」と呼び習わされていたことも事実です。遺族にとっては湯灌と同等の行為と見なされていたのでしょう。実際、病院死が多くなり、病院で死後の処置が行われることにより、納棺を前にした湯灌の習俗は廃れていきます(最近の葬祭業者による湯灌サービスは、古い習俗の名を借りた90年代以降の新しいサービスです)。
 かつて死後の処置の多くは病室から遺族を締め出し、看護師らによって専ら行われる作業でしたが、近年はこれに一部は遺族も参加させるべきではないか、という考え方が出てきました。これは遺族も遺体を拭いたり、化粧を施したりする作業に加わるのは遺族に対するグリーフケアになるという考えからです。

 死後の処置に遺族を加えないという従来の考えは、医療というものが近代化する中で、病院の専門化という流れと作業の合理性が生んだものでしょう。遺族などいないほうが手早く済ませることができるからです。
それにいま加えるならば、感染防御という理解も入ります。死後の処置は血液や体液に触れて処置するものだからです。 
 だが、今日の死後の処置に遺族を参加させるという考え方は、医療の専門化を見直し、キュア(治療)だけではなくケアの必要性、つまり全人的なサポートの必要性という流れから生まれたものと言えましょう。

 遺族が死後の処置に参加するとは、遺体を家族のものに返し、家族としてできるだけのことをする、その想いを大切に考えてのことでしょう。
 医療機関において患者に対する精神的なケアの大切さが言われるようになったのが85年以降のことです。患者がいれば家族がいる、そして傷つき悩むのは、患者だけではなく家族もそうであるという当たり前の認識が出てきたのは、95年以降のことであろうと思います。
 しかし、現在は患者本人へのケア、家族に対するケアが認識されながら、実際には充分になされ得ていないのが実情です。

■霊安室

 死後の処置を施された遺体は霊安室に移されます。
 霊安室はかつては病院の裏口の人目のつかない暗い場所に設置されていることが多くありました。
 患者の死亡は医療の敗北であり、遺体は縁起の悪い存在であるため、回復の希望をもっている患者たちの目につかない場所に、という発想が色濃くあったように思われます。
 病院の現実は、いくら医療が高度化、近代化しても最終的に死を淘汰することは不可能です。生がある以上は、死もまたあるのです。

 日本でも60年代以降の高度経済成長の時代にあって、生が謳歌され、死が禁忌されるという社会的な風潮もあり、死を嫌忌するのは病院だけのことではありませんでした。病院の霊安室だけではなく、火葬場も嫌忌施設としてありました。死を嫌忌する社会風潮が霊安室の環境の悪化に手を貸していたと言えるのではないでしょうか。
 しかし、高齢化が進み、また末期がん患者への人間的対応の重要性が説かれるようになった85年以降に、少しずつですが変化が見られるようになりました。
 死者を手早く隠し、暗い穴倉のような霊安室に隔離し、裏口から人目のつかないように運び出すという発想への見直しが出てきたように思います。

 いくら医師や看護師が言い繕っても、家族がいかに心ない嘘を並べても、患者自身が治癒の可能性がないことをわかることがあるのです。そうした末期の患者は、遺体が隠されることを望むのではなく、死ぬと自分もあのように粗雑に扱われるのだと悲しい想いを抱くのは当然のことです。
 医療関係者の中でもこのことに最初に気づいたのは、多くの場合、医師ではなく看護師たちでした。治療の甲斐なく死亡した患者を温かく送り出したいという看護師たちの想いが病院の空気を変えていったように思います。

 少しずつですが、病院も変わり始めています。霊安室を明るく整え、遺族が遺体と別れる空間をつくり、最後は正面出口から出て、係わった医師、看護師が揃って温かく見送る、という病院も現れています。
 死を、ひいては遺体を嫌忌するのではなく、尊厳ある生を生き抜いた人として尊敬をもって遇するように全ての医療機関が変わればいいと願っています。患者もこの病院ではいのちを大切にしてくれると信頼するようになることでしょう。
 霊安室に移動された死者の顔が白い布で覆われるようになったのはいつからかわかりません。自宅に遺体を安置した後も白い布で覆われます。
「死者の尊厳を守るため」と説明されることが多いのでしょうが、どこかに隠す意識があったのでしょう。
 中世には薄い布を被せ、呼吸をしていないかという死の事実確認が行われたとのことですが、その時代からの名残なのでしょうか。

 30年ほど前、親友が急死した時、既に遺体の顔を白い布で覆うという習慣はできていたことを思い出します。
 その友人が急死したという知らせを深夜の電話で知らされ、私は急いで病院に車を走らせました。
親友は空室の病室に寝かされ、顔には白布が掛けられていました。私は部屋に入るとその白布をどけ、顔、足と全身を確かめるように触りました。足の先は冷たくなっていましたが、まだ身体には温もりがあり、死が現実のものとは受け入れられず、しばらく身体に触れ続けていました。

 霊安室に置かれた遺体と遺族の関係はそのような想いであるように思えるのです。死を現実のものとは実感できず、ひたすら触れて確かめていたいと思うのです。
 死を白い布1枚で隔離するのではなく、顔を撫で、触れて、家族であることを確認し続けたいという想いがあるのではないでしょうか。

■葬儀社を選ぶ

 霊安室に遺体も遺族も長く留まることはできません。そこはあくまで仮の一時的安置スペースに過ぎないからです。
 患者という生体のケアは病院の責任ですが、いったん死亡し、遺体になった段階で病院の責任は終了します。遺体のケアは葬祭業者の責任となります。

 霊安室は遺体を葬祭業者へ移すその場でもあるのです。
 遺族は遺体を世話してくれる葬祭業者の選択を迫られることになります。
 かつての高度経済成長期、生が謳歌され死が嫌忌されていた当時は、都市部では頼むべき葬祭業者を知らず、病院が紹介する葬祭業者に依頼することがままありました。本当でしたら病院から紹介された葬祭業者には遺体の自宅への移送だけを依頼し、自宅に安置した後、ゆっくりと葬祭業者を選定すればよいのですが、そうした知識もないうえに、精神的余裕もありません。いいか悪いか判断する以前に、病院から紹介されるままに葬祭業者に後の葬式まで依頼していたのです。
 遺族は「葬祭業者を選ぶ」ということで、急に実務的な判断を迫られることになります。

 最近は事情が相当変化したようです。病院から葬祭業者を紹介されて頼むケースは減少しています。頼むとしても移送だけというケースが8割となっています。
 葬祭業者を選ぶということでは都市部と地方では大きく事情が異なります。地方では葬祭業者が社会的に認知されていて、どの葬儀社に頼んだらよいかという情報が行き渡っています。しかし都市部では違います。葬祭業者の存在すらわからない人が多数派なのです。

 しかし、その都市部においても予め選んでおく人が多くなったのは、2つ理由があるでしょう。
 一つは、高齢者の死、がんによる死など予期された死が多くなったことです。
 死が予期されるようになると、「お葬式はどうしようか」という現実的な判断を事前にするケースが多くなるのです。日常から準備しているわけではありません。死が確実なものと想定されたとき、家族は葬式という死後のことを考えるようになるのです。

 事実、葬祭業者に聞くと、このようなケースの事前相談が増えているようです。「後1週間か2週間かわからないのだけれども」という相談が多くなっているというのです。
 相変わらず、と言ってもいいでしょう。病院出入りの葬祭業者の強引な営業が問題になります。病院出入りの業者にすれば、仕事を請けることが少なくなり、請けても移送だけではうまみがありません。霊安室の管理も病院に代わって行い、人を24時間待機させるのは葬式の受注を増やすことが目的です。ですが公正取引委員会から警告を受けるような強引な営業がまだ続いているのは、一部の心ない人による「死体は商売」という陰口を裏づけるようなものです。

 ここで葬儀社が24時間営業であることについても触れておきましょう。
 以前は地方においては夜葬儀社に電話をすると「朝まで待ってほしい」と言われることもあったとのことですが、いまはほとんどの葬祭業者が24時間電話での対応を行っています。これが365日続きます。小さくて人手が不足しているところへは代理で夜間や休日の受付する業者も現れています。
 いまではコンビニエンスストアが24時間365日営業していますが、昔はこんな営業をしているのは葬儀社だけでした。

 これは人件費というコストを上昇させる原因になっていますが、こうした営業をしなければならないのは、2つ原因があります。
 その一つは病院側にあります。意識は相当変化してきたとはいえ、依然として遺体は早く病院外に運び出してほしいという希望があるからです。
 本来であるならば、深夜に亡くなった場合、霊安室でしばらく休めるようになっていればいいのですが、多くの霊安室は、あくまで一時的に安置するだけの空間になっており、病院側も早く葬祭業者の手に引き渡したいと思っています。

 もう一つは、そしてこちらのほうが重要ですが、遺族が落ち着かず、不安になるからです。
 死者をできるだけ早く、きちんとした場所に安置したいと願うからです。
 この遺族の不安に応えるためにも、深夜に発生する注文に対応できるように葬儀社は待機するのです。もし、待機していなければ、その遺体の処置は別の葬儀社の手に委ねられることになります。
 霊安室で病院の手から葬儀社の手へと遺体は移されますが、ここで注意しなければいけないのは、しばしば遺族となったばかりの家族が最初に出会う第三者が葬儀社になるということです。

 遺族は自分が遺族になったこと、看取った家族が遺体になったことを充分に納得しているわけではありません。非常に落ち着かない不安な状況にいて、これから起こる葬式を委ねる葬儀社に会うのです。それは全くの第三者です。委ねる先が来てホッとする気持ちもあるでしょう。しかし、これから何が起こるのか、自分たちはどうしたらよいのか、という不安が心の中で渦巻いています。

 いままでは病院で庇護されていたのが庇護される先が今度は葬儀社に変わるのです。
 また、看取った家族以外に最初に会う人ですから、そこに自分たちの姿がどう映ずるか、葬儀社を通して社会を見ている感じがするでしょう。何よりも遺体がどう扱われるか不安です。遺体は自分たちにとって大切な家族であるが、それを葬儀社は理解してくれるだろうか、と不安にかられます。
 ですから礼節をわきまえなかったり、悔やみの言葉もなかったり、あっても口先だけのように感じたり、事務的過ぎたり、遺体を大切に扱っていない、と感じたら、一瞬にして不信の感情が支配するところとなります。

■遺体の移送と安置

 ついこの間までは病院で亡くなった遺体は自宅へ移送され、自宅に安置されていました。枕元には枕飾りが施され、遺体は自宅で布団に安置されたものです。
 葬式はたとえ自宅ではなく寺院の斎場で行うにしろ、いったんは死者の生活空間である自宅に還し、一晩だけでも布団に寝かせたものです。

 病院から自宅に寝台車で移送することを霊柩運送業者の隠語で「宅送」と言っていました。
 その「宅送」が少なくなったと耳にしたのは2000年頃の話です。私が耳にするより早く、95年頃からその現象は始まっていたのかもしれません。自宅安置がなくなったのは都市部も郡部も時差があまりなく、私の印象では全国一斉に、しかも急激に少なくなったという印象があるのです。

 斎場競争が激化し、各地に斎場(葬儀会館)が建設されて普及した時期と時間的には一致しますから、その影響は確かにあるのでしょう。
 知り合いの葬祭業者に聞くと「マンション等が増え、自宅に遺体を安置するスペースがない家が多いから」とのことですが、その頃急激に住宅事情が変わったわけではないですから不思議に思いました。
 斎場(葬儀会館)という自宅に代わる選択肢ができたという事実は大きいでしょうが、死が高齢者のものという観念が大きくなっていましたから、これは高齢者の家庭における位置の変化とも関係するのではないかと想像しました。

 高齢者はその最後は家庭から病院へと送られ、家庭の中には既にその高齢者の居場所がなくなっているのではないか。つまり帰るべき家が変貌しているのではないか、と考えたわけです。
 いまではもう一つの原因をあげることができます。高齢者の過半数が1人世帯または2人世帯で占められています。昔の「家庭」という言葉がもっていた温かな雰囲気が消え去り、支え手のいない孤立した高齢者の家庭状況が見えてきます。高齢者にとっては家庭は生活の拠点という位置づけを失っているのです。
 たとえ三世代家族であっても各世帯構成員の部屋は区切られ、高齢者の部屋も区切られています。家族が亡くなったからといって、一時的に区切りを外し、日常の生活空間とは別な空間をあえてつくろうとは思わないのです。そんな大変なことをしなくてもよい斎場(葬儀会館)という代替施設ができたのですから。また、火葬場には遺体の保管設備があり、ここを利用することもできます。

 でも、こんなことでいいのかなと疑問に思います。葬式というのは非日常であったというのは、何よりも大切な家族を喪ったという事実に基づいており、その大切な家族と別れる空間はその死者の生活空間である自宅でなくてはならなかったはずなのです。
 それが日常の生活空間を葬式という数日間であっても崩すの嫌さに、自宅に死者を戻さないというのはどこかおかしいように思えるのです。

 しかし、この「宅送」がなくなったのと呼応して、斎場(葬儀会館)に求める機能が異なってきたことは注目すべきでしょう。斎場は「式場」としての空間から自宅代替施設としての機能を求められるようになったのです。それまでは式場の添え物だった遺族控室が主役に踊り出んばかりの勢いです。
 いささか極端に言えば、80年代から90年代までの斎場(葬儀会館)は「フューネラルホール」でしたが、2000年以降のそれは「フューネラルホーム」に変質したことになります。
 家庭の昔もっていた暖かな雰囲気がいま斎場(葬儀会館)に求められるようになっているのです。あるいは24時間経過しないと火葬できないための一時遺体保管設備としての需要です。

■枕経と前葬儀

 最近姿を消しつつあるのが枕経です。檀那寺をもたない家では死者を安置して枕経を勤めることがありません。
 本来、檀那寺あるいは親しくしている宗教者がいれば真っ先に、葬儀社よりも早く連絡するものでした。宗教者が来る以前は葬式のことは何も決まらないものでした。

 ところが最近では、親しくしている宗教者よりも先に葬儀社を手配し、そこで通夜・葬式・火葬の日程を決めてしまい、後から宗教者に連絡するという、順序が逆になっています。
 本来は、安置したらまず枕経(キリスト教では祈り)の時をもちます。この時遺族は皆遺体の周囲に着の身着のままで集まり、読経(祈り)に合わせて死者と対峙します。
 この死者と正面から向き合って対峙する時間というのが重要なのです。ここで静かに死者と向き合うのです。宗教の有無はその人の考えによりますが、家族の死という極限状況にあって、人間の想いを超えた働きに想いを致すことはとても大切なことです。
 
宗教者も同様です。慣習として勤めるのではなく、遺族の想いを真剣に受け止めて、死者と対峙し、読経(祈り)を勤めるのでなければなりません。
 枕経を終えたら、宗教者は遺族に向き合って、遺族の死者への想いを聴き取ります。宗教者が遺族の想いに耳を傾けてくれた時、遺族はこの宗教者に葬式を委ねようと心に決めるのです。
 そして遺族、宗教者それに葬儀社が加わり、死者のための葬式がどうあったらいいか相談します。

 私は枕経(祈り)から始まる遺族、宗教者、葬儀社の話し合いの時間を「前葬儀」と名づけています。葬式に関与する主要な人間が顔を合わせ、死者のためにどう弔うのが最もいいかを打ち合わせる。このことなしにいい葬式はできないと思うのです。
 葬式において主役は死者であり、弔いの主体は遺族であり、宗教者、葬儀社はそれをサポートする重要な役割を担っています。このそれぞれの役割を確認し、死者の意思を生かし、遺族の想いを生かした葬式を実現することが宗教者、葬儀社の役割であると思うのです。

 打ち合わせが遺族と葬儀社だけで行われるとき、重要な役割を担う宗教者が不在というだけではなく、善良な第三者の役割を果たす宗教者を欠いて、打ち合わせはどうしても葬儀社が主導になりがちです。その結果、遺族は自分たちが弔いの主体であることを忘れ、単なる「しなくてはいけない儀礼」にお客さんとして参加するようになります。
 葬式を意味あるものにするには、この「前葬儀」が不可欠なのです。

■納棺

 納棺という作業は、遺族、宗教者が立ち会いの下で行われるべきものです。
 遺族にとってはこれも厳粛な死の事実の確認作業となります。
 納棺というのは葬りための準備に入るということです。いやがおうでも死者であることを確認することになります。

 同時に家族がゆっくりと死者に相対し、別れるための時間です。
 もちろん火葬する前は遺体と別れる時間は、取ろうとすればいくらでもとることができます。事実、遺族の中には遺体の傍から片時も離れないで過ごす人もいます。しかし、そうしない遺族もいます。納棺というのは、そうした接しようとしない遺族にも遺体と相対することを強制する行為です。

 また、家族に青少年がいる場合、死者に相対することはどういうことか、家族が死ぬということは身をもって体験する機会となります。
 この納棺の時というのは家族だけに閉ざされた時間であり、空間としてあります。遺族の死者に対する生な感情の発露も許されています。また、時間も区切られてはいません。
 この時間は儀式としての体裁よりも遺族の生な遺体との対面、別れの時間として用いたほうがよいでしょう。

 私の個人的な体験としては、まだ若い子どもたちに、一人ひとりが死んだ彼らの祖父の顔に両手をあて、別れるように促しました。そして最後の時間は配偶者である私の母を一人にして、心おきなく別れるために配慮しました。
 葬式にはこうした遺族だけの時間が必要なのです。

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