葬式の実際 ―死の看取りから始まるプロセス

3.通夜・葬儀・火葬

■通夜

 最近、宗教者の間に「通夜と葬儀は同じようなことを2度やることになっている」という意見が聞かれるようになりました。
 最近の葬式を見るかぎり、通夜と葬儀はどう違うのかという疑問が起きてもしかたがないありさまです。
 現代の違いは、通夜は夜に行われ、葬儀は昼に行われるもの、という以上に外見的な差がありません。
 無論、禅宗の葬儀の内容を見ればその差は歴然としています。だが、これを一般が理解することは困難なことでしょう。

 本来から言えば、通夜はプライベートな空間であり、公けの空間としては葬儀です。
 さらに言うならば、通夜は1日とは限定されないものでありました。ましてや夜間の1~2時間に限定されるものではありませんでした。葬儀が行われる前の段階が通夜です。これを「逮夜」と理解すれば葬儀の前夜になります。言うならばイヴです。通夜の中でもとりわけ葬り(土葬または埋葬)の前夜は、遺体との最後の別れになるので重要視され、「通夜」と言えば葬儀の前夜のことを意味するようになったのでしょう。

 そして葬儀とは葬りまたは葬りのための儀式のことです。
 通夜とは葬りの前夜に遺族が遺体と過ごす時間のことであって、儀式は重要視されていませんでした。ですから本来は親しい者が参加し、一般の人間は通夜ではなく葬儀に弔問したものです。
 決定的に違うのは死者の扱いです。通夜までは死者を生者と死者の境界線に置いていました。どちらかと言えば生者として扱いました。死者に対しては生きている者同様に扱い、接したのです。
 これは充分に理由のあることです。遺族が死を受け容れるための猶予時間を設けたのだと考えることができます。
 
これは遺族の心理を考えればわかることです。たとえ医師に死亡を宣告されても、その死を現実のものとしては、「はいそうですか」とは簡単に納得できない、受け容れることが困難な作業だからです。
 葬儀を死後数日間で慌しく行うのは、遺体が腐敗するからです。腐敗した遺体を目にすることは遺体の尊厳が傷つけられる想いがするので、遺族は焦って葬式を行おうとするのです。しかし、その数日間という短い範囲であっても一日でも余裕があるほうが遺族の心理には適うのです。
エンバーミングはまだ施設の普及率が低いですが、遺族がゆとりをもって死者と別れることができるためには、もっと真剣に考えられていいことです(エンバーミングはIFSA(日本遺体衛生保全協会)の自主基準を遵守されれば合法であるとの司法判断も出ており、また、日本人技術者の養成も進んでいて、そのうえ施設費用も初期の6分の1程度まで安くなっています。1事業者で難しいならば、地域で共同センターをつくり、相互利用することも考えられます)。

 通夜までの間は完全な死者とは見なしていない、というのが日本人の旧来の観念です。したがって通夜に授戒することは間違いではないと思います。本来は生前に授戒し、仏の弟子とすればいいのですが、いわば駆け込みで仏の弟子にするのですから、まだ生者として扱っている間に授戒し、仏の弟子にしようというものだからです。

 いまは通夜と告別式の性格が判然としなくなっていますが、通夜と葬儀とは本当は厳然と性格の違う空間だったのです。
 ですから、かつては通夜には僧侶がいないこともありましたし、いても日常の黒衣で出ていました。戦後になっても葬儀社は通夜は設定だけして帰りました。通夜に弔問するのはよほど親しかった人のみとされ、通夜に弔問する時は喪服ではなく平服で、とも言われましたし、香典は通夜ではなく葬儀に持ち寄るものとされていました。通夜には遺族ですら平服だったのです。

 これが崩れたのは60年代以降のことでしょう。通夜に弔問する人が多くなり、これと区別し、本来の近親者だけで営むものを「仮通夜」と称するようになったあたりからのことでしょう。何のことはありません。「仮通夜」と言われるものが本来の通夜で、「通夜」と言われて案内されるのは、告別式あるいは葬儀の前夜祭となったからです。

 それでも通夜の参列者数は葬儀の参列者数を下回るのが通例でした。
それが明確に変わったのは95年以降のことです。通夜の参列者数が葬儀の参列者数を圧倒するようになったのです。それに伴い「通夜式」などという奇妙奇天烈な言葉さえ一部で用いられるようになりました。「通夜」と「式」とは本来どうしても結びつかない言葉です。

 ここにきてはっきり言うことができます。「通夜は変質し、告別式になった」と。ですから言葉の翻訳が必要になりました。「通夜」は辞書にあるように「死者を葬る前に遺体を守って一夜を明かすこと」(岩波国語辞典)ではなく、「夜に行われる告別式のこと」と解すべきようです。言葉の定義は別として実態は明らかに変容しています。

 一般には通夜は夜の告別式という体裁になってしまいましたが、しかし、遺族にとっては原義は生きています。遺族にとっては依然として「遺体と別れるための最後の夜」であるのです。
 一般の人にとっての通夜と遺族にとっての通夜が乖離しているのです。遺族にとっては遺体との惜別の複雑な一夜なのですが、その前に告別式を行い、さまざまな人の弔問に応対しなければならない、非常に肉体的かつ精神的に疲労する一夜としてあるのです。

■遺体葬と骨葬

 東北地方を始めとして葬儀に先立って火葬をする地域は少なくありません。これを、葬儀を遺骨にしてから行うので「骨葬」と言います。
 それに対して葬儀をして火葬をする流れには正式な名前はありません。ここでは仮に「遺体葬」と名づけます。

 遺体葬と骨葬は地域によって異なっていますから地域の風習と言うことができます。しかし、この差はそんなに昔からあったものではないようです。
 そもそも葬儀は埋葬(土葬)や火葬に先立って行われた儀礼であるように思われます。例えば引導の所作が松明に火を点ずる所作を象徴しているように、古くは埋葬地あるいは火葬場で行われたものであったのでしょう。

 米国でもこれは同様です。土葬が多いですが、墓地にて葬儀(フューネラルサービス)は執り行われていました(現在はフューネラルホームのチャペルで葬儀が行われ、一般の会葬者はその前に告別に訪れる)。
 おそらく骨葬と遺体葬との違いは、葬式の最後をどこに見るかで異なってきたのでしょう。
 日本でも火葬は古くからあったものの、主流は土葬でした。土葬、火葬という遺体処理を最終局面であると理解するならば、それに先立って葬儀が行われる、いわゆる遺体葬が原型でしょう。
 ですが、遺体処理の最終局面を墓に埋蔵することと理解するならば変わってきます。

 元々土葬であった地域も元は遺体葬でした。「遺体処理(土葬)=墓への埋蔵」であったからです。ですが火葬が導入されることにより「遺体処理(火葬)≠墓への埋蔵」と2つが分離することになりました。そこで「墓への埋蔵」を最終局面と理解することにした地域の人は、骨葬を選択したのではないだろうかと思います。  ですから骨葬の原型は、通夜の翌朝に出棺し、火葬場へ行き、そして午後から葬儀を行い、その足で納骨する、という流れです。その後、地域によっては火葬すれば腐るという心配はないから、と火葬の日と葬儀の日を分離したりといろいろなバリエーションが出てきます。その結果、中には火葬を先に済ませ、後日葬儀を設定し、その葬儀の前夜を「通夜」とする地域もあります。

 現在の日本は、火葬率が99・9%という火葬の最先進国です。遺体処理=火葬と理解されるようになりましたが、かつてはそうではなかったのです。
 ちなみに米国はかつては土葬がほとんどでしたが、いま火葬率が急激に上昇しています。中国、韓国もそうですし、火葬化はいまや国際的な潮流となっています。

■葬儀と告別式

 葬儀と告別式が一般に同時並行に営まれることになったのは60年代以降のことでしょう。
 死者をあの世に送る宗教儀礼を本質とする葬儀と一般の会葬を受ける社会儀礼を本質とする告別式とは本来機能が異なるものです。

 いまでは祭壇は通夜から飾られていますが、それは通夜が夜間告別式を本質とするよう変質したのですから当然のことと言えるでしょう。しかし、本来は、祭壇は葬列から転じた告別式用装飾壇として発達したものです。
 祭壇が宗教儀礼の舞台から死者の追憶の舞台に変化している、と言われますが、祭壇の出自が、葬儀ではなく告別式の装飾壇であることを考えれば不思議なことではありません。いま祭壇が宮型の輿から生花祭壇にと主流が変化しています。しかし、これも一時的な現象でしょう。告別用のものであるならば時代の風潮に合わせて変わる運命にあるのです。

 60年代の葬式の変化は記憶にとどめておくべきでしょう。
(1)祭壇が大型化した。
(2)会葬者の枠が広がり、本来故人とは交流のない人まで会葬するようになった。
(3)葬儀と告別式が時間合理化のために並行作業となり、「葬儀・告別式」が発生した。
(4)葬式のサポート役が地域社会から葬祭業者の手に渡った。

 2000年以降、この「葬儀・告別式」が変わりました。
会葬者は葬儀と同時に行われる告別式に会葬するのではなく、通夜に会葬し、葬儀は遺族、親戚、関係者だけのものになろうとしています。東京を例にとれば、会葬者の割合は通夜7対葬儀3です。ここまで極端ではないにしろ、地方でもこの傾向は進んでいます。ここで「葬儀・告別式」という言葉は死語の仲間入りを始めたと言えるでしょう。
 これからはいっそう次のように言葉を変えたらいいでしょう。
「23日18時、通夜・告別式、24日10時、葬儀」
と。このほうが正直に実態を表現するものとなります。

 ちなみに最近知名人の間で密葬―お別れ会というパターンが流行していますが、このときの新聞記事が気になります。「告別式は近親者で済ませた。後日お別れの会の開催を予定」となっていますが、密葬ならそもそも告別式はないわけです。したがって「葬儀は近親者で済ませた。後日お別れの会の開催を予定」と書くべきです。最近の葬式の変化に新聞社も追いついていなく、誤って記述している一例です。

■葬儀

 葬儀の意味は、死者を彼岸に、あの世へ移行させることです。成仏させる、浄土へ送る、神に委ねる、等々という表現はそのことを表しています。生者の世界から死者の世界へ移すということです。
 元来は前述したように埋葬や火葬という遺体処理の直前に行った儀礼ですから、身体(遺体)を葬るに際して魂、霊魂もあの世に送るのが葬儀の本義であるのです。

 いまでは通夜が告別式化し、葬儀は告別式といった社会儀礼から切り離されたのですから、遺族・関係者は、ここでは宗教者の行う儀礼に心を合わせ、死者を送ることに専心すべきなのです。
 これまでの葬儀・告別式の余波で、葬儀のとき遺族席が前方で会葬者側を向いて設定されている事例を見ることがありますが、これは本来おかしなことです。遺族が死者の送り手の主体なのですから、僧侶の後部で本尊、遺体を前に向いて葬儀は行われるべきなのです。
 葬儀を行うことにより、遺族・故人の関係者は、死者を心の中で送り、心の中で区切りをつけるのです。

 この「区切りをつける」とは、死者を忘れることではけっしてありません。むしろ死者を大切な家族として、あるいは大切な友人として、心の中へと取り込むことなのです。
 無宗教のお別れ会で盛んに行われるのは故人の思い出話です。これは思い出話をすることによって死者を諦め、心の中へ必死に取り込もうとする試みなのです。そうであると理解すれば、お別れ会は特定の宗教儀礼にはよらないが立派な葬儀なのです。

■火葬

 葬儀と火葬は違うものではなく、本来ペアなのです。葬儀で故人と心の中で別れ、あの世に送り出し、火葬で肉体をもった死者の遺体を処理し骨とすることだからです。
 僧侶の中に葬儀だけして火葬に立ち会わないケースがあり、遺族の不興を買うことがあります。本来的に葬儀と火葬はペアなのですから、宗教者が火葬に立ち会うのは当然のことなのです。

 火葬の前に遺族の心は泡立ちます。すごく落ち着かない気持ちになります。ですから出棺を前にして棺を開け、死者と最後の対面をするときは、しばしば愁嘆場となります。でもいやがおうでも死者の肉体とは別れなければならないのです。
 火葬場では昔は喪主に点火させるところが少なくありませんでした。それはなぜか。喪主に代表される遺族に自らの手で死者への断念を強いたものだったのでしょう。いまでは、それは残酷であるとか、また、そもそも火葬施設のシステムが変更されたために見ることはなくなりましたが、理由がないことではないのです。

■拾骨

 骨上げと言われる拾骨ですが、これを「収骨」と書き表す火葬場が多いのですが、それは骨壷に収めるという意味になります。私は火葬された遺骨を遺族が遺骨を拾い上げ、その葬りが終わったことを確認することが重要であると考えるので「拾骨」と表記すべきだろうと考えています。
 関西では一部拾骨、関東では全部拾骨と拾骨の慣習は異なります。いずれにしろ葬りの終了を確認する作業です。

 観察して不思議なのは、火葬炉に入れるまでは重い雰囲気が遺族の間にあったのに、火葬が終了した後には軽やかな雰囲気が感じられることが多いことです。遺体への執着が解き放たれてのことなのかもしれません。
 しかし、遺族のグリーフ(死別の悲嘆)は、忙しくしていた葬式の場から離れ、自宅に落ち着いたときから徐々に自覚されるようになるのです。
 葬式は遺族のグリーフワークの始まりであるのですが、心理的な痛手の痛感は葬式の後から本格化するのです。

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