かつては葬儀のことを「野辺送り」と言った。死者を「野辺」つまり埋葬場へ、遺族・縁者、それに地域の人々が家から列を組んで皆で送ったからである。
今ではこうした葬列が組まれることも少なくなった。あっても家の門から霊柩車に搭乗させるまで、寺の門から本堂まで、というように省略形が多い。
かつて葬列が村外れにくると柩が3回回された。仏教的な意味づけもされたが、人々は死者に対して家や村の見納めをさせるため、あるいは、死を畏怖するあまり、取りついた死霊が再び家人や村人を襲わないように道をわからなくさせるためなどと、それぞれ解釈し、言い伝えた。死者への思いやりと死への恐怖、これは人の死に際して抱く感情であるが、一つの習俗に対して、地域により異なって解釈されてきた。
死者を寝かせた上に刃物を置く習俗もそうである。
一つは刃先を死者の脚下へ向ける。猫や魔物が死者の魂を盗むのを防ぐためと言われる。ある地域では反対に刃先を死者の顔へ向ける。死霊が飛び出してほかの人に取りつくのを防ぐためという。
息を引き取ると、その家の屋根に上り、大声で死者の名を呼ぶという習俗もある。死ぬということが身体から魂が遊離することだと信じられていた時代、生き返りを願って行われた。地域によっては井戸の底に向かって名を呼んだ。
生き返りを願う習俗は多い。
その一つに末期の水(死水)がある。あの世へ旅立とうとしている人へ水を与え、蘇生を願ったことから別離の水となったものだろう。
また、息を引き取るとすぐに白米を炊き、死者の愛用した茶碗に山盛りにして供したのも蘇生を願ってのことだろう。
今ではおかずもなく粗末な食事にしか見えないが、昔、白米がご馳走であった時代、白いご飯の魅力で生き返ってくれと願っての行為だったろう。仏道の修行に、あるいは、あの世への長い旅路の弁当との意味づけもされたが、死者への哀惜から生まれたものである。
昔は土葬も多かったから、埋葬地には竹が立てられ、上には竹が揺れると音が鳴るものが取り付けられたところもある。土中で生き返ったときに空気を吸え、また、生き返りを知らせるためであった。
北の方面に頭を向けて寝るのは「北枕」と言い、縁起が悪いとされる。これは死者を安置する際に北枕にする習俗からきている。釈迦が入滅した際の姿に模したとも伝えられる。一説には、北の方向に頭を向けたほうが涼しいだろうと配慮したものだという。いずれにしても、死者を北枕にするのは死者を大切にする想いから発したものであることは間違いないことである。
葬儀の習俗が急速に消え去りつつある。これはさびしいことである。
葬儀の習俗には、死者への愛情、悲しみ、惜しむ気持ち、あるいは死がもたらす遺族への傷みが素朴ではあるが具体的行為として表現されていた。
近代的合理性では説明不可能であるし、意味も共有されなくなってきた現在、昔からの習俗が姿を消すのは止めようがないかもしれない。「わけのわからないことをやっている」と見られるかもしれない。
しかし、古い習俗を捨て去ると同時に、死者に対する愛情、悲しみという自然で率直な感情を捨て去るとするならば、それは危険なことだと言わざるを得ない。人の死に対する素直な感性を失うことは、いのちに対する感性の喪失につながるからである。