手元に『多摩市の高齢者が考える「自分らしい葬送儀礼」意識調査報告書』というのがある。調査は平成16年11~12月、東京都多摩市在住の満60歳以上の男女186名に対して行われた。阿部主計さんという方がほとんど独力で行った。
ここで乱暴に、回答者のもっとも数が多かったものを集めて、回答者の平均像を描いてみよう。
回答者は夫婦のみ2人で生活しており、お葬式は「大切」と思っており、自分のお葬式は「最小限の近親者だけ」で、費用も「最小限の費用」で、「親しい人(近所、友人)だけに手伝ってもらい」、「家族葬形式」で、「専門の式場」で行ってほしい。お葬式は「親族」に任せ、お葬式の内容は「家族の希望」に任せたいと思っており、特に自分の葬式の希望についてこれまで「家族と話し合っていない」状況にあり、お葬式についていまのところ「生前準備することは考えていない」状況である。もしお葬式について相談する場合には「葬祭業者」に相談したいと考えている。
これを見て、よく言えば「謙虚」、悪く言えば「自己主張がない」という印象を受ける。 葬式は「大切」と思いながらも、それについて積極的に自分で準備することも、家族と話し合ってもいない。後のことは内容を含め家族に任せる。葬式は、費用もかけず、近親者だけで、世話のかからない斎場で行ってくれればいい。と考えている。
この場合の「家族」というのは子どもということであろう。同居していない家族に後を託すことになるが、うるさいことは言わない。子どもの好きなようにしてくれていい。特にお金もかけず、ごく小規模に行ってくれていい。
この調査の対象者は団地族のはしりである。地方から東京に出てきて、働いてお金を貯め、ようやく団地を手に入れ、核家族を営み、いまは子どもも成長し、家を出ていき、老夫婦だけが家に残され、つつましく年金生活を送っている。
自分も家を出た身、家へのこだわりも見栄もない。仕事ということで社会と繋がっていたが、いまや退職の身で企業との関係もない。あるとしたら昔の友人関係だけ。家族は大切にしてきたから信頼しているが、余計な迷惑はかけたくない。
戦後の高度経済成長によって、郡部から都市部への大量の人口移動が行われ、彼らが一生懸命働き、企業の成長を支えながら、ささやかなマイホームを手に入れ、核家族を営み、ささやかな幸福を手に入れてきた。その世代が子育てを終え、企業も定年によって退職。まったくの個となった。これが現在の都市部の新しい高齢者の平均像である。
その彼らが行き着くのは「家族葬」である。
小さなマイホーム、核家族、家族葬…こう並べて書くと、この新しい高齢者群の人生にいかにも「家族葬」という言葉はぴったりくる。
だが、この多数派には、まだ同居はしていなくとも、お互い独立した関係ながら後を託すべき子どもという家族がいる。
その後を託すべき子どもがいないとき誰が、どのように葬るのだろうか。