現代葬儀考

創刊100号を迎えて

 

 90年の秋のことである。最終的に私自身が葬送の雑誌をやろうと思ったのにはいくつかの理由がある。
 ジャーナリストとしては、生の側から見るジャーナリズムに対し、死の側から見るジャーナリズムがあってもいいと考えたからである。死の文化である葬送は、まさしく人間の文化でありながら、そこに照射する視点がきわめて弱かった。そこに自分としても少しは貢献できたらという気持ちがあった。

 それまで葬送は葬儀と墓という実用書の世界か、いわゆる生活慣習の世界か、はてはビジネスの対象として語られ、そこに人間の死という、いわば葬送の原点について語られることが少なかった。
 とはいってもこちらは葬送については素人である。どこから手をつけていいかで迷った。
 葬送は人々により長い時間をかけて構成された慣習によって現在がある。その歴史を自分なりに再構築する必要に迫られた。霊柩車、柩がその手がかりとなった。葬列の歴史が変わっていった事情を辿り、当時まだ中心的な存在であった祭壇についても自分なりの位置づけを図った。

 葬送は宗教、日本では特に仏教との関係が深くあった。仏教に対しては、生活仏教が民衆と接点をつくった理由、各教団が葬送儀礼をどう理解しているか、その両面でアプローチした。
 葬儀の現在もデータ的に明らかにしたかった。共同体主催型の葬儀がちょうど個人化に向けて変容しはじめていた時期である。共同体依存型から葬祭業者依存型へ移行する時期であった。都市の状況と地方の状況では大きな差異があった。それは変容の過程を体験するという貴重なものであった。
 
 家族ということに着目するといろいろ見えるところがあった。戦後の都市部の墓ブームはまさに核家族化がもたらしたものであった。
 戦後の高度経済成長がもたらした社会の変化は、葬儀に実に大きな、深い変容をもたらしていたことを知った。葬送の世界は長く変化してこなかったのではないかという常識を打ち破るものであった。社会の変化は葬送の世界の変化をもたらす、ということはバブル景気崩壊後の葬送の世界の大変化で実証された。
 死に対する観念も変化していた。雑誌創刊に先立つ5~6年前からターミナルケアが大きな関心を集めるようになっていた。死を隠蔽し恐怖するだけではなく、「人間らしい死に方」を求める声は少しずつ大きくなり、いまでは政府も「尊厳ある死」を唱えるようになっている。

 また、海外、特に米国の取り組みも刺激的であった。その第1はサナトロジー(死学)の成果である遺族のグリーフに対する研究である。第2は遺体衛生保全のエンバーミングである。遺体の公衆衛生という面で学ぶべきことが多いと思った。第3は生前契約(予約)である。第4は対消費者のルールである。そして第5は、フューネラルディレクター制度にヒントを得た葬祭ディレクター技能審査である。
 雑誌で心掛けたのは、死にゆく本人(故人)、遺族、宗教者、葬祭業者、そして送る会葬者の、それぞれの視点を大事にすることであった。その交差する視点で今後も編集していこうと思う。

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