現代葬儀考

葬儀と差別―死穢

 

 映画「おくりびと」のアカデミー賞受賞と大ヒット、主演の本木雅弘の企画の大きなきっかけとなった青木新門『納棺夫日記』(文春文庫、定本:桂書房)の50万部に届かんかとばかりのベストセラー化によって、「納棺師」と言われる職業だけではなく、葬儀、人の死に関する関心が急速に拡がっている。

『納棺夫日記』にはいくつかの死穢に基づく差別の問題が描かれている。
 著者が「納棺夫」を始めて1カ月もたたないとき、叔父が訪ねて、「よりによって死体を拭く仕事」をして「一家の恥」と詰られる。

 火葬場の職員に、彼らが「世間から<隠坊>と白い目で見られ差別されたりする。その割に給料が安い」「こんな仕事は金にでもならなかったらやっておれるか」と言われたこと。
 著者の店が倒産し、死体を拭く仕事についたことで「友人たちが蜘蛛の子が散るように去って」いったこと。

 妻にも仕事の内容が知られ、「昨夜、体を求めたが拒否された。死体を触った手で触られると思うとその気になれないという。そして、子供の将来のことも考えてくれと、最後は泣き出した」という体験をすること。
 映画では妻を演じた広末涼子が夫を演じる本木に「汚らわしい!」と泣き叫ぶシーンは印象的であった。そして葬祭業に従事している人たちが、あの「広末の一言にグサッときた」と告白している。

 著者は「死を忌むべき悪としてとらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが死ぬという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである」と書く。

 火葬にあたる職業は、奈良時代から私度僧が民間の中に入り、路傍に放置された死体を集め供養して火葬したことに起因し、「オン坊」と呼ばれたのだろう。「陰坊」「御坊」「陰亡」とも書かれる。広辞苑によるなら「墓守・埋葬を業とする賎民の称。火葬の際、死骸を焼いた」とある。「賎民」とは「いやしい身分とされた人。一般民衆よりも低い身分として制度的に差別を受ける人々」のことを指す。この言葉は私の子ども時代にも耳にした。今は「差別語」とされているために文章として書かれることは慎重に避けられているが、地方では今でも、人々が言い交わす日常表現で「オンボウ」が用いられ、葬儀社の従業員を指す隠語として意味されることもある。

 何せこの言葉は奈良時代まで遡るから、差別の歴史が長いこと、同時に死体を扱う仕事が古い時より死穢に染まっていると差別されていたことをうかがわせる。
 葬儀社2代目以降で現在60歳以上の人は、子ども時代「葬儀屋の子」と差別され、虐められた体験をもつ人が多い。

「葬式坊主」という言葉も「葬式・法事にしか携わらない僧侶」を揶揄するだけではなく、「葬式に携わるから穢れている」という意味合いをもつことがある。
 リアルな死が与えるダメージの大きさから、これを怖がり、避けようとする。それが死体に係わる者への社会的忌避、そして差別につながる。この歴史は古く、日本人の意識の底に沈殿していて、何かあると噴出する。だが、この死穢意識は歴史的・社会的なものである。ちなみに子どもに先入観を与えず祖父母の死に立ち会わせると、子どもは祖父母の顔を自然と撫でるのを躊躇しない。

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