現代葬儀考

寺受難の時代 仏教寺院の変遷

 

 全国に寺は約7万7千カ寺と言われる。コンビニよりはるかに多い。だが、この中で財政的に自立できている寺はわずか3割程度と言われる。寺は消えるのか?
 寺の数が多いのは、江戸中期以降、戸籍を管理する行政の一部門を託された寺が地域隅々まで展開したからであり、派出所のようなものを含んでいるので、そもそも大まかに言って5割は自立しえない構造になっているという。

 江戸時代には事実上の「国教」としての位置づけをもった仏教であるが、明治以降に大きな、仏教者に言わせれば「災難」が仏教を襲った。
 明治維新の廃仏毀釈、戦後の進駐軍による農地改革、そして60年代以降の都市化が仏教寺院を衰退に追いやったと分析される。

 廃仏毀釈は仏教寺院の破壊、とりわけ神宮寺などの神仏混淆の寺院の分離と破壊、僧侶の還俗運動は、短くはあったが寺院に激しい、大きな損失を与えた。
 また、神仏分離は教義としての仏教各派の純粋化をもたらし、今日に至る教義仏教と生活仏教との分離を招いた。

 その後、明治後期、明治民法が施行され、家意識の高まりが寺檀制度を補強し、家の墓に代表される先祖祭祀と仏教の結合が行われる。
 第二次世界大戦期には宗派合同が国の要請でなされ、小教団は大教団に吸収された。これは仏教のみならず各宗教に及んだ。そして、一部の教団を除き、およそほとんどの宗教宗派が戦争協力したことは、戦後大きな禍根を残した。

 敗戦後、進駐軍は「農地解放」を行う。これにより農民の大多数である小作人は農家として自立する方向に進むが、「大地主」で、そこに財政根拠をもっていた寺院は、土地を収用され、財政的基盤を失うことになる。

 60年代以降、日本は高度経済成長により経済力を高め、「総中産階級化」を招いた。
 地方から都市への人口移動を招き、地方寺院は檀家減少、地方からの人間が流入した都市には宗教的浮動層が生まれ、一部は新宗教に流れた。既成教団の衰退と新宗教の勃興が行われた。
 
 また、総中流化現象は経済の民主化を招き、従来は社会的に高い地位についたか檀家総代となって寺院経済に貢献度が高い者へつけられていたものだった「院号、居士、大姉」を、皆が葬式を機に戒名(法名)に「院号、居士、大姉」を要求。寺院側も財政基盤を強化するために多額の寄付を条件に付与することが広く行われるようになった。これが「戒名料」「お経料」問題である。

 今、地方寺院は檀家の高齢化と過疎という問題をまともに受けて存続が危ぶまれている。過疎地の寺の住職が生活できないために、都市に出て、都市の宗教的浮動層を対象にした僧侶派遣プロダクションに所属し、「出稼ぎ」しているケースが一部に見られる。
 地方出身者が檀那寺をもたずに宗教的に流民化し、その葬儀を過疎になった寺の僧侶がする、というできすぎた構図さえ進行している。
 おそらく仏教の再生の機会は今しかない。寺の改革は住職だけではできないと知り、檀信徒、地域住民と共にある寺を共につくっていくしか道はないだろう。

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