◆なぜ『葬式は、要らない』が売れた?
島田裕巳さんが『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)を出し、一条真也さんが反論として『葬式は必要!』(双葉新書)を出した。私も前号(『SOGI』通巻116号)で島田さんに反論した。
島田さんの本が29万部というベストセラーになったのは、その主張に共感する人たちがいたからである。
読後感想で、通販サイト「アマゾン」に寄せられたものを一つ紹介しておこう。
〈日本の葬式史を仏教との関わりと共に概説し、統計数字をもって現代日本の葬式の諸相を捉えたうえで、葬式や墓、戒名の本質についてコンパクトに解説したタイムリーな内容です。〉
島田さんの「統計数字」の使い方が恣意的である点は、90年代の出典不明の、信頼性の乏しいデータを使ったことである。これを「学者」が書くといかにも根拠あるものと信じられた不幸。加えて「私も何となくおかしいと思っていたことを、学者が整理して書いてくれたからよかった」と日頃の不信感に根拠を得た気持ちになったのであろう。
◆「葬式」の意味するところ
まず問いは、「葬式」あるいは「葬儀」という言葉が意味するところの違いにあるだろう。第三者の目から見れば、葬式は通夜あるいは告別式という〈点〉である。だがそれだけが「葬式」ではない。
私は「葬儀は人の死を受けとめる作業」と一貫して主張してきた。原型(モデル)として要約すれば、次のとおりである。
① 死を看取ること、死の事実を納得できない家族に、枕経、納棺、通夜という死の儀礼の手順を丁寧に行いながら、死の事実をつきつけ、蘇生を断念して死者を弔い、死者の肉体と別れ、生者の世界(此岸)から死者の世界(彼岸)へ送り、引き渡し、土葬や火葬といった遺体の処理を行う。
② これらの葬送の作業は、死別の悲嘆(グリーフ)を抱えた家族だけで行うのは困難なので、コミュニティが手伝い、宗教者(日本ではほとんどが仏教)が意味づけを行った。死の看取りから通夜はできるだけ時間をかけて、腐敗ギリギリまで待つ。周囲の人は作業的な部分は全て家族を煩わせずに、代わりに仕切り、家族を弔いに専念させた。
③ 葬式の後、遺族は、喪(遺族から見ればグリーフワーク)に専念し、周囲はそれを公認したのである。
今日、コミュニティが葬式のほとんどから手を引き、葬祭業者がそれを代替するようになっている。だから上記の「コミュニティ」や「周囲(の人)」を「葬儀をサポートする担当者」と言い換えてもよい。
◆葬式はグリーフワークの一歩
遺族にすれば葬式のプロセスはグリーフワークの一歩にすぎない。そこで死者と向き合い、死の事実を受けとめるのがグリーフワークの重要な一歩である。死者と生前交流した人々が家族の想いに共感し、死者を弔ってくれるという事実は家族の想いをサポートしてくれる。
◆死者との関係性、再発見
死の当事者は死者である。だが本人が体験するのは死の瞬間前までである。自分の死(一人称の死)を体験できないのだ。(少なくとも、それ以降を私たちは知りようがない。「臨死」体験は蘇生した者の体験で、「死者となった者」の体験ではない。)
その死者の存在をあるがままに肯定し(弔われるべき存在として)、それが生き残る者にとって別な関係性、死者との関係を確保する意味づけを宗教は行う。生き残る者にとっては、死ぬことによって死者との関係は断たれ、無になるのではけっしてない。そのことを宗教儀礼は意味づけている。
問題は、葬式の意味、宗教が関わる意味が見えなくなっていることだろう。
死という事実に社会的にも相対する葬式を行う意味は、その後のグリーフワーク(喪の作業)に重要な意味、一般に「区切り」を与える。これは死者を忘れるための区切りではなく、これから先が死者なき世界を生きることへの自覚を促すためのものである。
グリーフワークの〈完了〉(というのがあるとすれば、であるが)は、それぞれである。多くの場合、「死者の存在を自分の心の中での再発見、意味の確認」がなされることによるだろう。だから「寿命」という言い訳がけっしてきかない、突然の、あるいは早すぎた死の場合に、多くの遺族は「死」の意味を必死に探索しようとするのであろう。
家族のグリーフワークは、その後一連の葬式儀礼が終了した後、後飾り壇に置かれた遺骨の前で、あるいは仏壇や墓の前で、手元に置かれた死者の写真や供養品の前で引き続き行われていく。(「墓」の世界も大きく変化している。「仏壇」や「墓」は「家の先祖供養」のためではなく、「家族として関係した死者供養」と私は主張している。)
こうした死者との関係性のプロセスを無視して、社会儀礼である告別式(葬列が廃され告別式に)、最近では通夜に照準して「葬式の是非」「葬式の要・不要」について述べることがいかに「葬式」の実態からかけ離れているかわかるだろう。
◆リアルな死、ケガレ
死というのは常にリアルなものであった。まず、誰にいつ襲いかかるかわからない危険なものであり、それは死者の周辺にいる者へ大きな衝撃、悲嘆をもたらすものであった。
遺体の変容が与える影響も大きい。腐敗が早く進むことも人々を怖じ気させた。事故や戦役での死は、遺体が切断され、陥没し、大量の血を晒す。場合により、顔や腹を膨らませ、変色させ、体液を吐く。それは親愛な死者の尊厳を貶めるものであった。それゆえ周囲の者は家族を守るため、急いで葬式を行い、埋葬(土葬)または火葬をした。こうした心理的、身体的危険性を古代からケガレとして恐怖し、忌避した。
戒名(法名)は、仏教的には「死者を仏弟子として送る」と意味づけられた。民衆にとっては氏医者が聖化、浄化される証しとして受け取られた面があった。しかし、近世以降の階層社会を背景にしたので、戒名は階層化していた。戦後の民衆の平等化要求と寺院の経済的困窮のバランスの中で「戒名(法名)料」、「院号料」なる現象を生んだ。
高度経済成長期以前の地域コミュニティによる葬式は、地域の人間関係の強さを背景にしたものであったが、優しさだけがあったのではない。社会階層、貧富の差を背景にしたものであり、死穢、死霊へのいたずらな恐怖感を当然視しており、家族の想いよりも地域の規制を強制する面もあったからである。
コミュニティに代わって、葬祭業者(それ以前は葬具等の調達・提供業でしかなかった)が取り仕切った葬式は、ひたすら業者の人間性に依存するものであり、いい業者にめぐり合えばよし、そうでなければ決められた手順を単に追うだけのものになった。
「葬祭業者に委託する葬式」が悪いのではなく、「葬式を弁えない葬祭業者」による葬式がしばしば横行したことが問題を起こした。しかし、近年の「職業への自覚」「消費者意識」が、葬祭業者の意識、業態の改善を大きく進めていることも認められるべきである(残念ながら全部ではないが)。
しかし、「消費者」である「遺族」が死、葬式から遠ざかることによって、葬式の意味を問わずに「簡易に」「安価に」済ませようという選択に走る傾向もまた問われるようになった。
◆「理想の死」は幻想
昭和初期には80歳以上の死亡者は例外であった。今は80歳以上の死亡者数が全体の半数を超えた。いつのまにか死は高齢者のものとされた。だが半分は80歳未満の死であり、80歳を超えての生は家族解体によって介護する者の高齢化、不在をもたらし、元気であればいいが、身体が不自由な者、身体は元気だが認知症を患う者が多い。「大往生」とは希望はしても叶うかどうかは「運」でしかない。「運」を「理想」とすることはできない。単なる「願望」である。それがいかに熱心な願望であっても「理想」たりえない。
かつて理想とされた死はどこにもない。「長寿」を怨むことさえあるのだ。「長寿社会」とはいえ、相変わらず事故死、災害死、突然死は避けようがない。社会からの孤立、格差を背景に精神的病理は進み、自死者は12年連続で3万人を超えている。また引き取り手のいない遺体も3万人を超えている。おそらく引き取り手はいても弔われることのない、その価値を認められない人は年間10万人を超えるのではないか。
「葬式の不幸」は、死者の尊厳と悲しむ者への顧みがないことである。
「いのち」は、自分の死を考えても、他人の死を見てもわからない。「いのち」「死」は、近親者の死(二人称の死)を体験して初めて手触ることができる。「葬式不要」と言い残し、遺族から近親者の死を体験する機会を奪う権利は親にもない。
誰もが弔われる権利がある。それと同様に、弔うことは、遺された者の義務ではなく権利としてある。