現代葬儀考

戦争と死を考える

 

 私は間もなく「高齢者(前期)」と分類される年齢となる。「戦後」と言うときは65年前に終わった太平洋戦争が終わった後をさしている。
 平均寿命が80余年の時代、ちょうど81歳の人が最後の出征者であるから、今の80代の人たちは10代後半から20代という若い、エネルギー溢れる時期を戦争、しかも第一線に投入された人たちである。

 その年代の人たちは極端に二分した死を体験している。若くての死、そして長寿での死である。長寿である人も、死に対しては、とりわけ複雑な心境をもっていることであろう。
 若くての死は、壮烈な戦争での大量死であったり、東アジアで転々と飢餓や感染症との闘いでの死であったり、もう敵に抗することなく日本刀片手に銃火の前に突撃した死であったり、特攻船、特攻飛行機での片道切符であったりした。
 銃後といえども、戦時工場が爆撃されたりの死であったり、特に敗戦間際は都市の無差別爆撃による死であり、その極限は広島、長崎の原爆被災であった。

 今70代の人たちは戦争後半期や戦後の飢えを体験している。今では見向きもされない草が、腹を満たせればと喰い散らかされたこともある。今、アフリカの痩せた子どもたちの映像や写真を見ることがあるが、それとほとんど同じ情況に日本の子どもたちも置かれていた。そして飢餓で死んだ子どもたち、生まれたが充分な母乳も出なく、死んでいった乳幼児も多かった。その当時、幼児、乳幼児だったのが今の60代である。

 60代から上は、死と隣り合わせで生きた体験をもつ世代である。戦後、小学生であった私は、友人と農家の畑に入り、農作物を盗んで食べたこともある。悪いこととは知りながら、見つからずに食料を手にしたとき、うれしかったことを記憶している。
 そういう戦争・戦後の後に、日本は朝鮮戦争特需があり、高度経済成長が生まれた。日本はわずか10年前の戦争と大量の死者たちを忘れるかのように、生の謳歌に邁進した。

 戦の下での葬りさえされなかった同時代の大量死について、個々人には責任はないだろうが、言いようのない悔いが戦争に行って帰った男たちの口を重くし、文字どおりその想いを墓場までもっていった人たちは少なくなかった。考えてみれば殺された戦友がいたと同じく、彼らは命令とはいえ、戦場での殺人もまた経験している人が少なくない。

 あえて言おう。戦争での死は、敵であるか味方であるかを問わず、汚い死であった。けっして美しい死ではなかった。
 頭が飛び、身体が裂かれ、血が噴出し、あるいは痩せこけ、先に死んだ仲間の身体を軍刀で割いて食べたり、木の葉が台風でヒューと音を立てて舞い上がるように生身が飛ばされたり、洞窟の中で高熱で焼かれたり、逃げる間に衣服はなくなり傷つきながら裸体で死んでいったり、火から逃げて川に飛び込みそのまま足掻きながら死んだり、それはさまざまであった。どこにも尊厳ある死はなく、醜い死体が放置され、生き残った者も心身が傷つき、心は麻痺した。
 そういう時代や死者たちがいたということを忘れてはならないだろう。

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