◆奥山さんの提言
山形県葬祭業協同組合の理事長である奥山武雄さんは年齢73歳。だがまだまだエネルギッシュである。
奥山さんは今回の3・11東日本大震災発生より約1週間後の3月20日から宮城県気仙沼市の舟屋葬祭支援のため現地入りし、19日間遺体の納棺・搬送等の活動に従事した。2度目は4月21日から8日間。延べ27日間に及ぶ。
気仙沼市は昔「気仙郡」と言った。JR大船渡線沿線の大船渡市、陸前高田市と江戸時代から一帯を成しており、明治維新の廃藩置県で宮城県と岩手県に分割された地域である。漁業が栄えた地域で、カツオ、サメ、メカジキの水揚げは日本一である。サンマの水揚げ高も日本有数。
「三陸」のほぼ中央に位置する旧気仙郡一帯は大津波で大きく傷ついた。
気仙沼市の被害は市の広報(7月7日現在)によれば、以下のとおり。
死者数:988人、行方不明者数:413人(市内の方410人、その他3人)行方不明者数は、気仙沼警察署に届出された人数です。
住宅被災棟数:1万672棟(4月26日現在)被災世帯数:9500世帯(4月27日現在・推計)
奥山さんたちが入ったのは震災発生より約1週間後。奥山さんによると、
「気仙沼市には、御遺体安置所が5カ所あり、各所、何百とご遺体があり、また、多数の遺族の方もいました」
「家を流され、家族も流され、全財産も流された、着の身着のままの方が街に溢れていました」
奥山さんたちが支援に入ったのは旧気仙郡一帯である。地元の葬儀社の多くも被災した。その中で、地元の互助会アーバンと専門業者の舟屋が協力して遺体の清拭・納棺・搬送の任務にあたった。これを京阪互助センターを中心として互助会・全冠協グループ(後半には全日本冠婚葬祭互助協会=全互協)、全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)傘下の山形、秋田の県協組が支援した。両団体が構成員レベルであるが協力体制を築いたのは旧気仙郡だけであった。だからこそ奥山さんが今回の被災地支援で言った言葉には重みがあった。
「全葬連・全霊協・全互協の横の連絡が見られなかった」
今回、3団体が連携を取れた例としてあげられる気仙沼でさえ連携は不充分であったという。
また、今回の支援活動で見られたのは小さな葬儀社の活躍であった。大きな葬祭業者が懸命に活動した例もあるが、もっとしてもいいのに、という感想をもった。これは大手葬祭業者、特に互助会では余剰人員はほとんどいないという事実を示したように思う。
また、業界団体の呼びかけを待っていた例も少なくなかった。団体が呼びかけるにはいろいろ困難なケースもある。その時、団体の呼びかけを「待つ」だけでなく、葬祭業者であれば、どこかの葬祭業者(互助会)の支援に入り、現地で支援を広げていく方式が考えられる。奥山さんらが気仙沼に入ったのは舟屋葬祭という具体的企業の支援を突破口にしたものであった。
また、団体によっては県対策本部からの正式依頼にこだわったところがあった。正式な依頼であれば、後から費用が出るからである。しかし、これは災害時には順序が逆である。最初は宿舎も食事も現地にはないことを前提としたボランティア意識が必要でなかろうか。
各市町村にすれば必要な依頼は顔が見え、ふだんからコミュニケーションが取れる地元業者を媒介にしたほうが安心感をもてるであろう。その地元業者を各団体が支援する方式をもっと考えていいように思う。団体支援が思うように進まなかったのも事実であった。
奥山さんが不審に思ったのはもう一つあった。
「気仙沼の安置所に仏教会からお勤めに来られた場面はありませんでした。ただし、他所の安置所に個人で来た例はあったと聞き及びました」
奥山さんは安置所でとまどう遺族を見て、宗教者の支援が必要と感じた。しかし、そこには宗教者の支援が見えなかったことへの歯がゆさがあったという。
◆行けなかった僧侶たち
奥山さんの話を全日本仏教会(全仏)の戸松義晴事務総長に訊いてみた。するとそれは「誤解である」と大きく打ち消した。
「行かなかったのではなく、行けなかったのです」
では、なぜ「行けなかった」地域が生まれたのか。それは安置所を管理する自治体の職員が、最初は多数の遺体がごった返すなかで「邪魔になる」と排した例があったこと、もう一つは「信教の自由がある以上、遺族の同意を得ないで宗教者による弔いを許可していいのか」という逡巡があったからである。事実、安置所の入口で止められて、安置所を望み読経して立ち去らざるをえなかった幾人もの僧侶の嘆きを聞いている。
◆寺院、教会、神社の存亡
火葬場に遺体と遺族を運んだ際に見た遺族と僧侶の布施について、奥山さんは違和感をもったと言う。僧侶は「こうした場合だからいくらとは言えない」と言いながら、けっして不要とは言わなかったことに対してである。「嫌悪感を覚えた」とまで言っている。これは奥山さんの寺への期待感が強かったからである。
だが、現実の寺は、檀家の支えなしに存在できない。その檀家の家族の多数が死亡し、行方不明となり、また避難して他所へ去った。このままでは寺は生き残れない、という寺が多い。仏教寺院だけではない。キリスト教会も神社もそうである。
生き残った信徒がいても全財産を失っている人が少なくない。そうした信徒からお金を取れるか。被災地の多くの寺院、神社、教会が存続の見通しを失っている。中央の宗派、教団も精一杯の支援をしようとしている。人とお金を懸命に投入しようとしている。これは今までに見ることのできなかった光景である。
だが被災規模が大きく、被災寺院、教会も多く、そのほとんどが財政的にも元々弱小が多い。教団がやっと集めた1寺あたり3百万円の支援金でも、本堂の改築費には不足し、僧侶一家の生活を支えるにも1年やっとの金額である。
あまりに多い葬儀に、「こっちの檀家には行って、そっちの檀家には行かない、ということはできない」と檀家の葬式を一切断わった僧侶もいた。今回の「布施」ほど僧侶に突きつけた重みはないだろう。
宗教団体でも特に神社はほとほと困りはてている。
神社の信者は「氏子」と呼ばれ、その対象エリアの住民全てを数に入れている。だから『宗教年鑑』(文化庁)に報告された神社神道系の信者数は約1億人になる。神社の祭は地域の祭であるから地域住民全体が支えるという構図である。仏教寺院の檀家総代が地元神社の氏子総代を務めている例も少なくない。この統計は、神社を支える人が多いのではなく、責任をもって支えようとする人がごくわずかであることを反証している。
高台に造った仮設住宅を住民には国の費用で提供はしても、そこに神社を移転し再建する費用は別である。地域の神社であるからといって、1宗教法人のためには国も自治体も費用を拠出できない。
住民には、自分の生活を守るという最低限かつ高いハードルがあるのだから、地元民が神社の再建に目を向くのは遠い先のことになる。
◆宗教団体の支援
今回の震災で、現地に入り、瓦礫の片付け、泥の掃き出し、崩壊寺院の援助、お経ボランティア…阪神・淡路大震災と比して、宗教者の支援は大規模だった。
各教団では、支援を受けるほうからは不充分であったとしても、かなり身を削った支援をしている。
また、地域住民の弔いの中心には地元宗教者を前面に出して、よそものは後ろで支援するという配慮も行われた。
にもかかわらず誤解が生じた原因は、寺院等は常に支援者であるはずという考えが多く、寺院等もまた被災者であったことが顧みられなかったからである。
若い僧侶たちの今回の大震災で示した獅子奮迅ぶりは、そのまま彼らの将来への大きな危機感の現れであった。