現代葬儀考

一人の想像力をはるかに超える惨事

 

 2011年3月11日14時46分に突発した巨大地震。それに伴い20~30分後に東日本の太平洋岸地域、特に岩手、宮城、福島の3県に夥しい人命の損傷、喪失を招いた大津波が襲来。そして人災とも言うべき東京電力福島第一原子力発電所の大事故。見えない被害が海深く、陸地遠くまで深刻な打撃を今も与え続けている。

 今回の震災はすぐ収束するのではなく、少なくとも30年以上、あるいは数百年単位で続くと言われる。
 これを1945年8月15日の太平洋戦争の終戦詔勅の日と並べ、「戦後」の言葉にならい「災後」と、震災直後から言う人が出てきたのには、正直大きな違和感があった。

 太平洋戦争の記憶として玉砕、大空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆、シベリア抑留等という被害の歴史、日本人300万人以上の死と飢餓が語られることが多い。だが、少しだけ目を広げれば、1千万を超えるアジアを中心とした人々の死があった。夥しい加害、圧殺の記憶でもあるべきだ。また、それまで長く、欧米列強がアフリカ、アジア、南米大陸等を圧してきた歴史も共に記憶されるべきだ。

 第一次世界大戦では、戦死者約900万人、非戦闘員約1千万人その他多くの重傷者が出た。第二次世界大戦ではもはや死者・行方不明者の死は数えられない。「数千万人」という推定しかできない。
 一人の人間の想像力をはるかに超えるとき、われわれは「夥しい」と語る。
 他方、自然災害、感染症による被害も夥しい。近代以降の数字でも、列挙不能である。
 1879~96年にかけたコレラの大流行。日本だけでも死者が15~20万人。この教訓が日本を99・97%という世界一の火葬国にした。

 1896年には東日本大震災の先駆としてたびたび取り上げられた明治三陸地震が発生。2万人以上と言われる死者・行方不明者。1918年前後にはスペイン風邪が猛威をふるい、死者は全世界で5千万人とも推定される。日本だけでも48万人が死亡した。1923年には関東大震災が発生。死者・行方不明者10万人を超えた。当時の死者は、個々の死の認定もなく、単純に埋められた。「埋葬」等という形式すらなかった。

 感染症では結核が猛威をふるい、死者が全世界でどれほどのものか、推定さえない。日本では「亡国病」とまで言われた。今でも、途上国中心に、年間100万人単位で死亡しているという。
 水害の被害も大きい。日本では1959年の伊勢湾台風による水害で5千人を超す死者・行方不明者が出た。中国では1969年に山東省で数十万人規模の死者・行方不明者が出たとされる。

 地震・津波は、日本以外でも大きな悲劇をもたらした。近くは2004年のスマトラ島沖地震・津波。2010年のハイチ地震と共に死者・行方不明者は20万人以上。
 個である一人のいのちがただ数量のように扱われるのが災害・感染症・戦争の悲劇である。そこに個々一人ひとりのいのちの喪失という事実があり、その人を思い、嘆く人が確実にいたし、今もいる。
 人が自然や国に怯え、怖れるには歴史的に根拠がある。

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