3月11日14時46分、全国各地で追悼の黙祷が捧げられた。2011年の東日本大震災における犠牲者に対して。
それぞれに去来するものはさまざまであろう。
まだ発見されない行方不明の方。中には太平洋の遥か洋上で発見された方もいる。3月21日現在、死亡が確認された方が1万5854人、行方不明(届出があった方)3143人。そして災害関連死と認定された方は1300人を超えている。およそ2万人の方が犠牲となっている。
親が死亡し、子どもだけが残されたケースも少なくない。子どもを亡くした親も多い。子や孫を亡くした高齢者が「私が死ねばよかった」と泣き叫んでいたケースもあった。
「復興」「復旧」が叫ばれるが、けっして戻ることがない死者たちのことを、もう少していねいに扱っていいのではないか。あたかも「復興」が解決のように語られているが、けっして解決されることのない死者への想いを、思いやる時があってもいいのではないか。
被災者の生活はいやおうなく変化した。ある人は両親と息子を内陸部の母方に預け、高校に進む娘との仮設住宅住まい、となった。原発事故による放射性物質の飛散を恐れて子どもを連れて神奈川に避難した一家は、被災地に戻ったが、30キロ隔てた内陸部に移り住み、毎朝車で通勤する。不安を抱える家族を思い、残業はなかなかできない。
両親、妻を亡くした男は、仮設住宅にいてどう過ごしたらよいか迷う。大切な家族の死の代償として得た保険金、支援金の前に、働く意欲も失せて、パチンコに通う。生きる目的、安穏とした家族の風景が失われ、店に響く、大音響に身をゆだねる。大きな空虚を抱えて。
回復できるものはいい。だが喪われた家族への想い、心の穴はそう容易に埋められるものではない。
「がんばろう」という掛け声に身を縮めるようにして生きている人たちがいる。
家族を喪った人が、「せめて病気で死ねばよかった」「普通の死に方をさせたかった」という思いはわかる。
この死の尋常ではないことが影響してのことだろう。被災地の外で、病院で亡くなった人の家族を親戚が慰めるのに「あの大震災で死んだ人に比べればよかったじゃない」という言葉が使われるが少なくないという。
これは違う。
どんな死に方であろうと、家族や深い関係にあった人は嘆くのがあたりまえで、他人がいい死に方、かわいそうな死に方だと決めることはできない。死はそれぞれ固有で比較できるものではない。
被災地に立つと広い平原のようだ。何もない。高く硬質な大きな山が瓦礫だ。岩沼の海岸には仙台空港等で流された車の山があった。
港は一見してごぎれいで、静かだ。港の前に林立し、大声が飛び交った加工場がすっかり流されたからだ。湾の中には瓦礫が残る。海に流された瓦礫の7割が底に沈み、船が近づくのを拒む。中にはカナダ近くまで漂流した船や瓦礫がある。
その瓦礫は暮らしを成り立たせたもの、と思うとやるせない。