現代葬儀考

「儀礼」のもつ位置

 

「直葬」の流行に対して「儀式が軽視されている」という声を聞く。また「葬儀・告別式」という言葉を聞くが、重要なのは「お別れ」の告別式ではなく、死者に感謝する「葬儀式」だ、という僧侶からの声も聞く。では「故人に感謝してお別れをする」といささか詭弁を言ったらどうなのだろうか? 最近の葬式には「感謝」という言葉がこれでもか、というほど溢れている。

後者の「告別式ではなく葬儀式」という意見は70年代に言われるならばともかく、今さら、という感じもしないではない。歴史的に言うならば、「葬列(野辺の送り)」に代わって登場したのが「告別式」であり、最初こそ「葬儀式」に続いて行われていたが、次第に「全部で1時間」「お客様をあまり待たせるものではない」という声が出て「葬儀式」の終わる前に「告別式」を同時並行に行うという「葬儀・告別式」となった。

社葬等の大型の葬式になると、式場に入る人数は場所的に限定されるために、式場内で行われる葬儀式と告別式(一般会葬者による焼香)とを分けて、葬儀式終了後に告別式を行う。もっとも焼香台を式場の後方に置いて、葬儀式の途中から告別式を行うこともある。

社葬等の大型葬には準備を要するため、遺体をそれまで保全することが困難、あるいは死別直後に多数の会葬者を相手にするのは遺族への負担が大きい、という理由で、死別直後には親族ほか限られた人だけで密葬を行った。
「密葬」とは「特別死者と親しい人以外には案内せず、限定された人だけで行う葬式」という意味である。そして後日、改めて多くの人に告知して社葬等の「本葬」を行った。

後日行われる「本葬」とはいっても、「密葬」においてすでに死者への戒名・法名の授与、引導(真宗以外)は行われているので、「密葬」が「葬儀式」であり、「本葬」とは「告別式」の独立形態である。したがって近年において「社葬」等が「お別れの会」等の名前で行うのは「告別式」という用語をやわらかく言い換えしたものと理解すればおかしくはない。また「お別れの会」では人を待たせることを嫌うので「午後2時から4時までのご都合のいい時間にお越しください」とするのは、とかく時間の合理化を行った社葬への基本的考えを踏襲している。もっともそれに先行して企業の新社長就任披露等の宴会では皆の前で式典を行わず、幅のある時間に来てもらい、入退場の際に挨拶する方式が定着していたので、企業イベント方式を社葬にも適用したことになる。

こうすることによって、かつては非常に神経を費やした社葬が特にノウハウを必要としないものになった。
また「儀式」とは、葬式においては、単なる形態ではない。死後のプロセス全体を指す。プロセス全体が大事にされないでおいて、「葬儀式」を行えばいいものではない。あえて単純化していえば、今問題は「葬儀式」を行うかではなく、死者が弔われているか否か、にある。死者が弔われず葬儀式だけが行われるならば、それは虚礼にすぎない。

狭義の儀式は弔いを共有化するための形である。しかし、共有化を阻んでいる、自己満足の葬儀式が多いことは問題にされなければならない。儀式の手順を踏みながらもプリミティブな弔いを欠いた行為は空しいと言わねばならない。

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