グリーフサポート勉強会

第6回 スタッフのグリーフをどうするか

鷹見有紀子

 最終回の今回は、スタッフのグリーフをどうするか、についてお話ししたいと思います。私にとっても非常に難しいテーマで、自分の中でもまだ答えの出ていないことが多くあるのですが、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
「スタッフのグリーフをどうするか」というテーマには、大きく2つの意味を含んでいます。
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(1)日々追体験するグリーフをどうするか
 スタッフ自身が過去に体験した死別によるグリーフをどうするか
(2)身内の死をどう迎えるか
 スタッフ自身がこれから体験する死別によるグリーフをどうするか
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(1)日々追体験するグリーフをどうするか

●「感情労働」のストレス
〈仕事にはさまざまな種類と労働のパターンがあります。重い物を運んだり動かしたりするような、主として体を使う「肉体労働」、会社を運営したり、企画を作成したり、研究に取り組むなどの、主として頭を使う「頭脳労働」、そして、悲しみや怒り、苦しみや不平不満というサービスの対象相手の感情の矢面に立ち、クレーム処理に当たったりする「感情労働」です。感情労働に携わる人には、高度な感情のコントロールが要求されます〉(以上、水澤都加佐著『仕事で燃えつきないために 対人援助職のメンタルヘルスケア』大月書店)

 葬祭の仕事を分類するならば、この「感情労働」にあたるでしょう。そして、葬祭の仕事は、自分自身の感情も、完全に抜きにしては従事できない仕事なのです。
 プロとしての、感情のコントロール方法を教育されていない場合、ご遺族の感情の矢面に立つ葬祭従事者は、常に心理的にダメージを受けやすい状態にさらされていると言えます。また、仮に教育を受けている場合でも、本来の感情を仕事用の感情にコントロールしなければならないことによる大きなストレスがかかります。

 看護職や介護職などの対人援助職の場合は、すでに「ケアする側のメンタルケア」についていろいろ考えられているようですが、葬祭従事者に関してはまだ、そういう問題があること自体、取り上げられることが少ないように思います。

●スタッフ自身のグリーフ(死別体験)
 この、感情労働のストレスに加えて、葬祭従事者の場合は、スタッフ自身のグリーフの問題があります。スタッフ自身の死別体験と、そこから湧き起こる感情とどう向き合いながら(あるいは向き合わずに)日々の仕事に従事するかは、葬祭業に携わる人にとって大きなテーマではないでしょうか。

 死別を体験したことのある人は、業務の中で日々、自分自身の死別を追体験しなければならないのです。
 例えば、自分の家族が亡くなったときの光景を思い出し、涙が止まらなくなったり、苦しくなったりします。特に、故人が、亡くなった自分の家族と同じ歳格好であったり、家族構成が似ていたり、あるいは、同じ死因で亡くなった場合などには、感情が大きく揺れ動くことでしょう。それを押しとどめながらなんとか仕事を終えた後、がくがくに疲れきってしまうこともよくあります。

 あるいは、自分自身の感情を動かさないためにシャットアウトした結果、無感情になり、そんな自分自身を責める気持ちになることもあります。仕事に「慣れ」てしまうことに罪悪感を感じることもあります。

(2)身内の死をどう迎えるか

●「悲しめない」という深刻な問題
 また、葬祭業に従事している人は、自分の身内が亡くなったときに「きちんと悲しみにくい」という深刻な問題があります。進行サイドの目線がしみついてしまっていることや、葬送の一つひとつの場面が普段見慣れた光景であること、仕事上「自分の感情をシャットアウト」することが習慣になってしまっていること、などから、どうしても頭が「仕事モード」になってしまい、葬儀の場でグリーフワークができにくいのです。

 例えば、時間ばかりが気になってしまったり、進行サイドの視線が気になってしまったり、という具合に、心の中が、故人の死を悼むこととは関係ないことで埋めつくされてしまうのです。
 これは、職業病だと言って簡単に済ませてしまうべきことではありません。「そんなはずはない、身内が亡くなったら悲しいはずだ」と思われるかもしれませんが、ただでさえ慌ただしい現在の葬儀の場面で「悲しいという気持ちに集中する」というのは、実はなかなか大変なことです。葬祭従事者は他の職種の人以上に、それがしにくくなっているのではないかと思うのです。

●進行サイドの目線がしみついてしまうことの不幸
 私自身、もしも今後、身内の葬儀を行うことになったとしたら、おそらく時計ばかりが気になってきちんと思いをこめて送ることができないのではないかと危惧しています。日頃、分単位、秒単位で時間を気にしながら仕事を進めているからです。また、葬儀社のスタッフの目線も気になってしまいそうです。常々自分が喪主や遺族の様子をうかがいながら進行しているからです。

 私の場合は、自分が過去に経験した身内の葬儀で、つらく不快な思いをしたことから、「二度と同じ経験を繰り返したくないし、他の誰にも同じ思いを味わってほしくない」という強い思いがあって、葬祭業に従事しています。そして、多少なりともグリーフワークについての勉強もしています。にもかかわらず、思うように大切な人を送れるかどうかが、本当に心配で、どうしたらよいのかわからないのです。
 これらの問題を解決するために、私なりに思いつくことを、いくつか提案してみたいと思います。

日々の仕事の中で

【提案1】吐き出してから帰る

 感情面で疲弊してしまわないためには、施行中に感じたり考えたりしたことを、できるだけ職場の外に「持って帰らない」ようにすることがとても重要だと思います。仕事のオンとオフの切り替えをスムースにし、できるだけ、スタッフがストレスを持ち帰って溜めこむことのないように促すのです。

 そのためには、施行後に、施行で起こったこと、感じたことを人に話してしまうことがとても有効でしょう。スタッフが、仕事とプライベートの境界線をきっちり引けるような環境を整えるのです。少なくとも一日の業務が終了するまでに「思っていることを吐き出して帰る」ことを奨励してください。わずかの時間でも構わないので、思いや体験をスタッフ同士で分かち合う「シェアリング」の時間をもうけてはどうでしょうか。

「シェアリング」とは「スタッフ同士の共感の場」です。「プチ反省会」のようなイメージですが、「反省する」ことが目的ではないので「シェアリング」と言ってみました。
 この「シェアリング」は、ワークショップ形式で「互いを非難したり、否定したりしない」というルールのもとで行います。話すうちに「私はこう思ったからこうしたんだけど、自分の思いとはこういうふうにずれていてこういう結果になった」と、ひとりでに自分のやり方の良し悪しに気づいていくこともあると思います。誰からも怒られたり否定されたりせずに、さまざまな気づきが生まれ、しかもその場のメンバーに共有されてノウハウとなり、心も楽になるのですから、よいやり方だと思いませんか?

 仕事をプライベートに引きずらないために、経験したことを「忘れる」のではなく、「自分(たち)の中で消化して帰る」のです。できるだけその日のうちにシェアすることが理想ですが、毎日することが難しければ、月に数回でも構わないと思います。

【提案2】スーパーバイザーを置く

〈シェアリングを適切に、円滑に行うために、スーパーバイザーを置くのもよいと思います。
 スーパーバイズというのは、「その業務の経験が長く、それなりの仕事をしてきた人が、新人や、あるいはベテランに、何がよくて、何をどう改善したらもっと効果的な援助が出来るか、ということを第三者の目で助言することです。スーパーバイズをする人のことをスーパーバイザーと呼びます〉(前掲書)
 スーパーバイザーではなく「社内カウンセラー」と言ってもよいかもしれません。一生懸命やっても報われないことは葬儀の仕事では多々あります。当然のことながら、相手が人である以上はいつもうまくいくとは限らないものでしょう。 しかしどうしても、思うように報われないと、「あのときこうしていればよかった」と激しく後悔したり、「自分はこの仕事には向いていないのではないか」「自分はこの仕事を続けるべきではないのではないか」と自信をなくしてしまったりしまいがちです。

 そんなときに話を聴いてくれ、客観的立場から気づきを促してくれる存在が、スーパーバイザーです。
 スーパーバイザーは、管理者でも、人事担当者でも、外部の専門家でもよいように思いますが、(1)業務に関する知識と経験、(2)「グリーフワーク」に関する知識、(3)ファシリテーションのスキル、は最低限備えている必要があるでしょう。

【提案3】セルフケアの手段を確保する

 仕事を「持ち帰らない」ためにはどうしたらよいのか、自分自身を強いストレスから解放するためにどうすればよいのか、スタッフがそれぞれに自分なりのやり方を複数もっていると、日々の業務で感情的に疲弊しないための役にたつと思います。
「誰かに話す」ことの有効性、緊張を解き気分転換やリラックスすることの必要性やそのやり方を、スタッフ一人ひとりが知っておくとよいでしょう。深呼吸をする、散歩をする、おいしいものを食べる、など、そんな小さなことでも、その人なりの方法で構わないのです。

身近な人の死に備えて

【提案4】葬儀の希望を伝え合う

 身近な人の葬儀を自分の勤め先で行う可能性があるのならば、「私の家の葬式のときはこうしてほしい」「こうしたい」という希望を伝え合う場を、日頃からもっておくとよいでしょう。それが、いざというときの大きな安心感につながると思うのです。希望を事前に伝え合っておくことで、自分自身を「仕事モード」から解放して、うまく人に委ねることができ、しっかり悲しめることにつながると思うのです。

 また、「自分だったら」「自分のときには」の目線で考えることは、サービスの質的向上にもつながるでしょう。スタッフ一人ひとりが、喪失の当事者=遺族としての「主観」を忘れずに、なおかつ「客観」的な目線からもサービスのあり方を考えることができたら、その会社はお客様に最高のサービスを提供できると思うのです。

【提案5】ご遺族の悪口を言わない

 常に「自分だったら」の目線に立つ、という観点から、どうしてもお伝えしたい重要なこととして、「自分が言われて嫌なことは、たとえ陰でも言わない」ということがあります。
 これは、実は、自分自身の死別に備える意味でとても大切なことです。

 例えば、ご要望の多い遺族のことを「今日の喪主さん、口うるさいね」「細かいね」などと、日々の業務の中でスタッフ同士で言い合っていたとします。そうすると、いざ自分自身の家族の葬儀を行うことになったとき、同じように言われることを無意識におそれて、希望を言えなくなってしまうと思いませんか?

 時には、スタッフが、聞くに堪えない言葉でご遺族の悪口を言うことがあるかもしれません。それは、もしかすると、そうでもしなければスタッフ自身が持ちこたえられないのかもしれず、そう考えると、スタッフが誰の目も憚らず感情を吐露できる場所は必要かもしれない、とも思います。人の悪口を言う、のは、決してよいことだとは思いませんが、前述の「感情労働」の厳しさから、うまくいかなかったことの全てを「自分のせいだ」と引き受けていたら本当に心がもたないので、時には相手=ご遺族のせいにすることも必要な心のガードかもしれないと思うのです。

 けれども、その言葉は結局、自分自身の心に刺さってくるのです。人の悪口を言わないことが、結局回りまわって自分のためになるんですよ、などとは、まるで道徳の教科書か何かのようで、言っていてもこそばゆい感じがしますが、でも本当にそうだと思うのです。
 大切な人の死に直面したときに、「悪口を言われているかもしれない」と思わなければならない、あるいは、悪く言われないために必要以上に葬儀社のスタッフに対して気を遣わなければならないことは、本当に不幸なことだと思います。

【提案6】失敗を自分で認め、許す

 相手が人である以上、いつもうまくいくとは限りません。よかれと思って働きかけたことが、違う意味にとられてしまったり、ご遺族から激しい怒りの感情をぶつけられたりすることもあるでしょう。葬儀はやり直しがきかないことから、「取り返しのつかないミスをしてしまった」と、責任を背負い込んでしまうこともあるでしょう。

 そんなとき、相手を悪者にすることで自分を楽にするのではなく、「自分は精一杯努力して、その場面で最善と思うことを行ったんだ」と認めることで楽にする、時には失敗した自分を認めて許して解放する、そんなやり方を身につけられると、とてもよいと思います。

 少し余談になるかもしれませんが、同じ感情は、葬儀の世話人を引き受けた人にもよく起こることです。葬儀が終わって数日経った頃、「あの時の自分のあの判断は間違っていたのではないか」「自分に世話人を任せたことを遺族は後悔しているのではないか」と、あれこれ思い悩んでしまうことがままあるのです。
 葬儀は多くの場合突然のことで、何もかも完璧にいくわけがないことを認め、そんななかでもできることをその都度精一杯やった自分を、どうかねぎらい、いたわってください。

【提案7】ご遺族の状態を表現するための語彙を増やす

 ご遺族が、笑ったり冗談を言ったりしているとき、あるいは、平静に振る舞うことでなんとか保っている状態を「悲しんでいないようだ」と表現したり、テキパキと事務処理をこなしていらっしゃる状態を「しっかりしているからもう大丈夫そうだ」ととらえたり、職員に気を遣ってくださる遺族のことを「腰が低い」「いい人だ」などと表現してしまうことは、言葉の使い方も間違っているように思いますが、何よりご遺族の状態に関する認識を誤っています。

 しかしながら、ご遺族の状態を的確に表現するための語彙が、どうやら世の中全般に不足しているように思います。これは日本語の問題なのでしょうか。なにか、もう少し、死別直後のご遺族の状態を端的に表す言葉はないものかと思いますが、語彙の不足であるともに、グリーフワークに関する知識の不足でもあるのかもしれません。死別を体験した人が経験する心や体調や行動の変化(反応)について、少しでも知っていれば、出てこないはずの言葉だからです。

 ご遺族が聞いたらきっと激しい不快感を抱くであろう誤った言い回しは、適切な言い換えをすすめていかないと、葬祭の仕事に従事している人は自分自身の身内の葬儀で本当に悲しい思いをすることになってしまいます。
 大切な人を亡くし、ショックや混乱の最中、ぎりぎりの状態で、普段どおりに振る舞うことでなんとか持ちこたえようとしている、その状況を「悲しんでいないようだ」と評価されたら、人はどんな気持ちがするでしょうか。

【提案8】「グリーフワークができているかどうか」という目線で見る

 ご遺族の状態を端的に表す適切な言葉はなかなかみつからないのですが、「グリーフワークできている」「グリーフワークできていない」という言い回しは、割とよいキーワードではないかなと思います。
 例えば、ご遺族の様子を見て「悲しんでいない」と評価してしまうと、そこから先のご遺族の心情を慮る思考は停止してしまいますが、「グリーフワークできていない」という言い回しであれば、「ではなぜグリーフワークができていないのだろうか?」と、その一歩奥を考えることができるからです。

 その理由が「煩雑な事務処理に追われているから」であれば、その煩雑さを取り除く方法を考えればよいですし、「一人になる時間がなくて、故人としっかり対話ができないようだ」ということであれば、遺族が一人になれる静かな時間と空間を確保するべく、スタッフはその場を立ち去るなどすればよいわけです。
「遺族がグリーフワークできているかどうか」を見極め、「遺族がグリーフワークをするためにはどうすればよいのか」を考えることは、スタッフがどう振る舞えばよいかを判断するための、重要な指標になると思うのです。

【提案9】グリーフワークについての研修を行う

 そして、ご遺族がきちんと「グリーフワーク」できるようにするためには、スタッフ自身が「グリーフワークの仕方」を知っていることが大切で、結局のところ、グリーフワークに関する研修が必要だという結論に至ります。

 この研修は、サポートする側としての「グリーフケア」研修よりは、スタッフが自分自身のグリーフと向き合う方法についての研修(「グリーフワーク」の研修)のほうが、より役に立つように思います。
〔ただし無理強いはしない〕
 しかし、葬祭業に従事する人の中にも、死別後まだ日の浅い方、こみあげてくるものをなんとか押しとどめて、その状態でがんばっている方もいらっしゃるでしょう。
 そのグリーフが、葬儀の仕事に就いた動機になっていることもあれば、本当は葬儀の仕事なんかしたくないんだけれども、生活のため仕方なく……というスタッフの方もいらっしゃると思います。

 もしかしたら、かろうじて持ちこたえている人もいらっしゃるかもしれないことを心に留め、スタッフのグリーフには、外部が無神経に、いたずらに触らないことも大切で、グリーフワークに関する研修を行う場合、参加を無理強いしないことも必要だと思います。死別後まもない人、あるいは、数年経っている人でも、考えるのを避けることでその状態を保って過ごしている人を、「研修」の名目で無理やり向き合わせてしまうことは、その人に大きな傷を負わせてしまうことにもつながりかねません。そのような研修に参加させられたら、きっと二度と「グリーフ」という言葉も聞きたくないと思ってしまうでしょうし、出社することさえ、大変な苦痛を伴うことになってしまうかもしれません。
 自由参加とするか、グリーフ以外のテーマ、例えばマナー研修や自己啓発講座など、複数の講座の中から選んで参加できるような工夫が必要だと思います。

身近な人の葬儀のときに

【提案10】グリーフワークを積極的に意識して行う

 この連載の第1回目の勉強会で、「深い悲しみに陥った人が立ち直るまでに努力して行う心の作業をグリーフワークと言い、その作業を側面から支えることをグリーフサポートと言う」と定義しましたが、葬祭の仕事に携わっている人が身内の葬儀でしっかり悲しむためには、まさに「意識してやる」ことしか、ないのかもしれないと思います。意識して自分を「仕事モード」から解放するしかないと思うのです。

〔うまく悲しめなかったときは〕
 しかしそれでも、うまく悲しい気持ちに集中できないまま葬儀が終わってしまい、悔しい思いをすることがあるかもしれません。そんなときは、自分なりのお葬式をやり直してみてはいかがでしょうか。それは、例えば、故人が好きだったものを作って食べてみるとか、儀式でなくとも、どんな形式でもよいのです。
「またやり直せばいいんだから」と簡単に言うつもりはありませんが、うまくいかなかったのであれば、やり直してみる、そのことでもしかしたら心の持って行き場ができるかもしれないのです。

 私なりに思いつくことを、ご提案いたしました。ぜひ皆さんの職場で実践・検証していただき、この「スタッフのグリーフをどうするか」という大切な課題について考える、きっかけの一つになれば幸いです。

葬祭事業者のための「グリーフサポート」勉強会 『SOGI』108号
鷹見有紀子

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