現代葬儀考

お葬式―個人的な体験

 

今年の自分はずーっと心がざわついている感じだ。
昨年秋に99歳目前にした母を送った。その母の晩年を世話した72歳の姉が、いま終末期にある。
姉ががんでステージⅣであることを知った時、私は62歳になる従妹の文字通りの「終末期」で落ち着かない日々を過ごしていた。

私が18歳で仙台から上京した時、叔父の家に行くと、当時中学生であった従妹の勉強を見させられた。だから従妹はできの悪い、歳の差が開いた妹のような感じでいた。
従妹はがんの末期と告知され、14カ月後に死んだ。最後の50日は言葉そのままの終末期だった。危篤状態が50日続いたようなものである。従妹の夫からメールがくるたびに一喜一憂していた。

終末期というのは、きょうの状態が明日に続くわけではなく、日々状態が変動する。悪いほうに変わることもあれば、からっといいほうに変化することもある。
浮腫んだ脚をさすってやると、気持ちがいいのか少しにこやかな表情になる。
告知されて12カ月は入退院を繰り返した。病院にとっては手がつけられない患者だった。自宅にいて痛みがひどいと自分で救急車を呼んだ。少し状態が落ち着くと強引に退院した。

最後の退院の時、医師は「患者の意思で退院するのであり、医師としては責任をもてない」という文書を彼女の夫に渡した。
従妹は、昨年の4月、ステージⅣを医師から宣告された時、自分の服を入れていたタンスから服を放り出し、便利屋にタンスを持って行かせた。
私は、事前に従妹から希望を聞いて、檀那寺の住職、そして知己の葬儀社に葬儀の希望を伝えた。従妹は最初「家族葬」を希望したが、「親しい友人と親族にだけ伝えるが、来る人は拒まない」とすることで本人の了解をとっておいた。

あれだけ賑やかだった従妹の最期は静かだった。
献体することになっていたため、忙しかった。住職にも無理を言った。昼の12時に死亡して19時から通夜。住職の都合で翌日は11時から葬儀。14時に大学の迎えの寝台車で出棺。
親戚は少なかったが、息子の友人、彼女自身の友人たちが駆けつけてくれた。特に案内しなかったが、120人ほどが来てくれた。通夜の晩、21時を過ぎて駆けつけてくれた友人もいた。

出棺前の献体の手続きは1時間くらいかかった。従妹の夫が手続きをしている間、友人たちが思い思いに顔をさすってくれていた。その時間は長く感じなく、むしろ短すぎるように思えた。
若い葬儀社の担当者が、終始適度な距離を取ってくれたのはありがたかった。ゆっくりしていい時は放ってくれ、いざという時には声をかけてくれた。

従妹の葬式に来るはずだった私の姉が自身ががんの末期を宣告され、痛みも激しく、上京できなかった。
姉はいま入退院を繰り返している。いま自宅にいるのは、このまま入院していると帰宅のチャンスが失われるかもしれない、という医師の配慮からだ。
姉はすでに葬儀、墓についても準備している。その希望をかなえるのは私の宿題となっている。

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