現代葬儀考

再びの個人的な葬式体験

 

統計的には身近な人の葬式を体験する機会は10年に1回程度である。これはあくまで「平均的」な数字に過ぎない。
私個人にとっては2011年の東日本大震災以降のこの3年間に、毎年、身近な存在の死を経験している。それは68歳という年齢も影響しているだろう。

12年9月に99歳を目前にした母が福岡県宗像市の特養で、姉に看取られ死亡。長期間にわたる認知症のうえ、最期は老衰で、超高齢社会の典型的な死であった。

13年6月には62歳の従妹が成田市の病院で夫に看取られて死亡。14カ月前に末期がんと宣告された。入退院を繰り返し、最期の50日間がまさに終末期であった。

本年、14年4月には、宗像市の病院で72歳の姉が死亡。姉は、昨年春には従妹の見舞いも兼ねて上京を計画していた。その姉が5月にステージⅣという末期がんを宣告され、上京は取りやめ、11カ月後に死んだ。最期の2週間は鎮痛のためにモルヒネ投与だけであった。酷く衰弱し、たまの反応だけで、ほとんど昏睡状態であった。最期を夫と長男が看取った。

3人とも女性。母は女性が長寿という傾向に合致したが、従妹と姉の2人は次世代で、統計の傾向とは無縁であった。
母の死はともかく、従妹、姉の死は、前世代にあたる仙台在住の叔母には深い衝撃を与えた。身体はすでに自由ではなく入院しているのだが、次男が伝えた姪たちの死に、「ハー」と深くため息をし、何も話さなかったという。

仙台にいる叔母は、老いた身で配偶者を看取り、その後は単身の次男の食事の世話を生きがいにしていたが、老いが進行し、長期の要介護期間に入っている。本来は、自分の葬式に出てくれるはずの次世代の姪の死を聞かなくてはならなかったのだ。「泣く」というより、「ため息」と無言がその悲痛の深さを表現している。

従妹の死と今回の姉の死で学んだことがある。ふたり共が家族葬を希望していた。そして家族に対して、従妹は2人の親友にだけ、姉は8人の親友にだけ死亡時に連絡することを託していた。当然にも死亡時の訃報の文章など用意しなかった。

従妹は献体のため、当日の通夜、翌日の葬式となった。姉は翌日に自宅で親族だけの通夜、3日目に葬儀会館で葬式とした。従妹も姉も、葬式では家族だけではなく親友たちにゆっくりと別れてほしいと思っていた。お気に入りの遺影と葬式で流す音楽も選曲していた。
実際には、従妹の葬式には、急にもかかわらず120名が、姉の場合は170名の友人、教え子が来てくれた。

ふたりの終末期、周囲の人たちは重病患者を見舞うのを遠慮したようであるが、当人たちはそれを見捨てられたように感じ、親しい人だけに来てもらえばいい、と思い込んでいた。

従妹も姉も、葬式は見事に彼女たちが築いた人間関係を表現するものだった。終末期から通夜までは親族のため、告別式は本人の友人たちのためにあった。遺族もそこで救われた想いがした。

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