現代葬儀考

「葬式についての無知」の多数化とこれに乗ずる事業者

 

ネット経由での葬式依頼が増えているようだ。だがここにはさまざまな問題が潜んでいるように思う。
消費者は確かに「価格」に関心が高いとはいえ、ネット事業者はあまりにもダンピング競争をし過ぎている。
これを可能としているのは価格低下が自らを傷めることがないからだ。実際に施行する業者の下請価格は低下するのだが、自らは手数料商売であるので受注すればするだけプラスになる。

このネット事業は、葬祭事業者に中小零細が多い、ということを逆手にとっている。中小零細であるとは取扱件数が少ないので空いている時間が多いということだ。空いている時間にいくらかでも売り上げがあれば助かる、というところに仕事を回している。ネット事業者は代わって営業してやっている、くらいの感覚である。

価格表にも問題がある。葬祭サービスはモノの提供ではなく、サービスの質、個々の遺族の多様なニーズへの対応が主としたものに変化したのに、ネット業者はそうした差異を一切無視した、一式いくら方式にあえて戻している。「消費者には細かいことは理解できないから」と言って「全部含んで一式いくら」としている。消費者の愚民視であるし、あえて言うなら、サービスの質を完全に無視したやり方となる。畢竟、安い価格に見合った低品質のサービスが効率的に提供され、消費者は当然のごとく怒ることになる。

問題の根っこには、ネット業者には「消費者は葬式なんてわかりっこない」ということに加えて、自分たちも葬式とはどういうものであるかよくわかっていないことがある。中には「遺体を処理するのは自分たちの仕事ではない。下請の仕事」と言い放つ者までいる。

こんな状態であるから、ネット業者に依頼してくる消費者の質も低下してくる。「安けりゃいい」式の需要であり、それがネット経由に集中する。
だから遺族の希望をきちんと聴いて、その希望にふさわしいサービスを提供したい、と考える良心的なネット業者は撤退をよぎなくされている。ここの領域には「いい仕事」をする、という動機がもはや残っていないからだ。

葬祭の仕事は、「大切な家族と死別して悲嘆の中にいる遺族の心情を理解して葬りをサポートすること」というものから、「死者を簡易に処理することを請け負う仕事」になってしまっている。葬祭業は、それを効率的にできる仕組みをつくることで利益を出すものとなっている。

廃棄物事業者にしても環境に適合した処理を社会貢献として考えている時代である。それなのに、死者が増えることでいかにビジネスチャンスをつかむか、という獰猛でビジネスライクな悪質業者がいかにも「良心的仮面」をまとって確実にこの業界の一部を侵食している。

確かに遺族は、死や葬式が私事化することで接する機会が確実に減少しているので、無知状態になっていることが多いだろう。リアルな死を知る機会の減少により、少しずつ社会は病みを深めている。ただ、これに乗ずるような仕事であってはいけないはずである。何とも難しい局面にきている。

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