葬儀Q&A

Q41 お坊さんは必要か?

 

Q.お葬式にどうしてもお坊さんを頼まなくてはいけないのでしょうか?面倒なだけのようですが…。ちなみに、母はお坊さんを呼ぶのは当然という考えです。(33歳女性)

A  お葬式にお坊さんは必要か、ということですが、必要ないとも言えますし、しかし、断言できることではありません。なんとも中途半端な回答ですが、その理由を説明してみましょう。

 必要ないというのは、何も葬式は仏教で行わなくてはいけないという決まりはどこにもないからです。データで見れば94%の人が仏教で葬式をしていますが、各自の信仰、宗派、慣習によってそうなっているだけです。少ないとはいえ神道で葬式する人は2%、キリスト教で葬式する人は1%います。特定の宗教宗派によらないで葬式する人も3%います。また仏教と答えた人の全てがお坊さんに依頼しているわけではありません。創価学会のようにお坊さんを入れない友人葬のような形態もあります。憲法で信教の自由は保障されていますから、葬式をどのようにするかはそれぞれの自由です。

 以上を大前提にしながらも、仏教とは限りませんが、何らかの形で宗教儀礼を行ったほうがいいように私は思います。
 宗教儀礼を行わないと葬式がしまりのない、緊張感のないものにしばしばなる可能性があるからです。宗教儀礼を伴わないお別れ会が、とかく死者を弔っているという共通意識を欠き、単なるパーティになってしまうことがあります。
 もう一つは送る人の気持ちです。宗教儀礼を行わない場合、亡くなった人の行方、どこに行くのかというわだかまりを抱えてしまうケースが少なくないからです。気持ちに区切りをつけることが難しいという問題があります。

 ご家族の気持ちも重要です。お母様はお坊さんを呼ぶのが当然というお気持ちのようです。そうしたご家族の気持ちをないがしろにするのは疑問です。
 世界各地で葬式と宗教は深い結びつきをもってきました。それは理由のあることです。人の死というのが家族に深い嘆きを与えるものであるからです。
 人は動物の一種ですから、死ぬ定めにあります。そうは言っても、家族や深い人間関係を結んできた人にとっては死は特別な体験なのです。ですから死別には深い悲嘆が伴います。いのちに真正面から向かい合うのです。いのちの本源を指し示す宗教を必要とすることも人間的にごくごく当然のことなのです。

 日本では人の死については長く、深く仏教が関係してきました。これは日本人の精神風土、文化になっています。
 生前にはお寺とそれほど深い結びつきがない場合であっても、死ぬとホトケになるという感覚が深く、広く浸透しています。これは強制することではありません。しかし大切にしていいことだろうと思います。
 無宗教で葬儀をしてしばらくしてお寺に行って位牌を作ってほしいと言う人、散骨した後に死者とのつながりを求めて苦悩する人が少なくありません。葬式をしないことを選択した人がいざ火葬をする段になったらお坊さんにお経をあげてほしいと願い出ることも少なくありません。
 理屈の話ではありません。死者と別れ、死者を送るという気持ちの中には深い宗教性、スピリチュアルな部分があるからです。私は葬儀において、こうした素朴な原初的な感情を大切にしていいだろうと思います。

 確かに、いま一般的に行われている仏教の葬式が、そうしたスピリチュアルな働きをしているか、家族の死別の悲嘆に応えるものになっているかどうかは疑問の余地があるでしょう。中には「宗教ではなくビジネスになっている」と思われる僧侶の姿も見受けるし、いかにも他人事のように係わり、緊張感のない読経に思える事例も少なくありません。最も大切な火葬に立ち会わない僧侶もいます。悪い事例は世間にたくさんあることも事実です。
 僧侶をはじめ宗教者にはお願いしたい。せめて死者のことを想って儀礼を行ってほしい。遺族の悲しみに深く配慮して儀礼や説教・法話をしてほしい。

 しかし、私は問題があるからといって「葬式にお坊さん(宗教者)は不要である」とは断言できません。むしろ、いのちの取り扱いが軽くなっている感がある世の中で、もっと宗教が大切にされていいと思うのです。葬式で宗教がもっと大切に顧みられていいと思うのです。

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