Q.私の父(92)は入院中です。主治医からは遠まわしですが「死が近い」と言われています。幸い意識はしっかりしています。葬式となると何の知識もないので、事前相談でも、と思うのですが「縁起が悪い」でしょうか。(62歳男性)
A 死のことを話し、準備し、相談するのは、縁起が悪いことではありません。むしろ大切な家族を愛情をもって送れなかったとすれば、それは深い悔いを残します。
いのちには、始まり(受胎、誕生)があれば終わり(死)があります。いのちの定めです。誕生のときには両親あるいは祖父母が祝ってくれたでしょう。家族の一員が死亡すれば遺された家族が大切に送るというのはごく自然なことだと思います。
厚生労働省「平成20年簡易生命表の概況について」によれば、0歳児の平均余命は男性が79年、女性が86年です。日本は国際的な長寿国です。
だが、100歳を超えて元気な方もいますが、幼児で死亡することもあります。いのちの長さは不定です。
「子の死」は親自身の「未来を喪う」と言われるほど痛切なものです。
平均寿命に達するときは同級生の半分がすでに死亡している、ということです。そして残る人もいずれは死を迎えます。例外はありません。
87歳で死亡した私の父は、早くから子どもたちに言い聞かせていました。自分の書籍の贈与先、遺影写真、延命治療を拒絶し自宅での死亡を希望、どこで葬儀をしたいか、など、こと細かく言い置きました。
父は、すでに仲間の多くを見送っていたので、先に行った仲間のところへ行くという気持ちのようでした。
私たち子どもは父がいくつかの持病をもち、脳梗塞も何度か経験し、頭はしっかりしているものの口や脚が不自由でいたので、父が今度倒れたら無理に延命をはかるのは父自身のためにもしない、と理解しました。できることは、死に至るまでできるだけ苦痛を緩和し、それなりに充実して生活できるように心を砕くことでした。実際の世話をしていたのは姉でしたから。姉の気持ちを第一にしました。幸い姉も同意見でした。
父が最後に倒れたとき、生前の父の意思を理解していた主治医は入院を勧めることはありませんでした。
まさに「大往生の死」でした。
しかし、子である私は頭では父の間もない死を充分に理解していたつもりでしたが、死亡すると平静さを失い、激しい感情の起伏に襲われました。父が前もって指示しておいてくれなかったら、おそらく父の送り方でパニックになったでしょう。
父は子に仕事を遺してくれました。それは葬儀に際しての挨拶状は子が自分で考えた文章で書くことでした。父がお世話になった方々へ、子が礼状を書くということは、父の関係者の想いを汲み取ることであり、同時に父親へ向き合う作業でした。短い挨拶状へ想いを込めるという作業は、困難ですが、これは父親の愛情であると理解しました。
「大往生の死」だからといって子は淡々とはできませんでした。父は死亡地では密葬にし、仲間や知り合いが多くいる地での葬式を望んでいたのですが、兄が混乱して父の死を知り合いに話したことから、少なからずの人が密葬にかけつけてくれ、もはや「密葬」ではなくなりました。
また、「密葬」のつもりでしたから関係者全部にはお知らせしませんでした。後日改めて父の希望した地で「偲ぶ会」を開き、結果的には2回の葬式になりました。
「偲ぶ会」は父の死後50日後に行われました。父親の関係者は、後輩、教え子とはいえ、すでに高齢者でした。兄と私が司会し、集ってくださった方から父についての話をうかがう形を取りました。
父から聞いていた話もありましたが、初めて聞く話もありました。初めてお会いする人もいました。その方々の父への想いに耳を傾け、熱いものが何度も胸に迫りました。それは父から子らへのかけがえのない贈り物になりました。父の孫にとってはほとんどが初めての話。孫らには「祖父の再発見」の時でした。
少しのアクシデントはあり、精神的に疲れましたが、父と生前充分に話していたことが、父を送るのに役立ちました。
家族の最期を看取るということは、死者のいのちを何らかの形で次へつないでいくことであると思います。
確かに葬式は遺族を疲れさせます。でもそれはいのちをつなぐことの重さの表れで、回避すべきことではないと思います。
誕生のときを家族が準備して待つように、死のときも準備しないで大切に送ることは困難です。