葬儀Q&A

Q90 高齢者のお葬式、どうしたらいい?

 

Q.95歳になる母がいます。身体は元気ですが認知症になっており、娘の私のことも実の娘とわからなくなっています。母の友人も今はいません。死んだとき、母のお葬式はどうしたらいいか、お坊さんを呼ぶべきか、迷っています。(75歳女性)

A  お父さんは、30年前に企業の役員をなさっていて突然の病気で亡くなり、その時は葬儀社の紹介でお坊さんを頼んだそうです。会葬者が400人くらい集まった盛大なお葬式だったようで、お坊さんも5~6人来たといいます。お母さんが認知症になったのは10年前からで、今ではお付き合いをしている友人もいない、ということです。

 お父さんの七回忌まではお寺で法事はしたが、その後はすっかり足が遠のいているとのこと。
「お墓参りは?」と訊くと、お父さんの時に、民営霊園を求めたので、特にお寺さんとの付き合いはしてこなかった、とのこと。
 これを聞いて思ったのは、お坊さん、お寺との関係が、高齢者世代でも疎遠になっている、ということです。これまで若い世代に「お寺との関係がない」「宗教的背景がなくなった」と言われることが多かったのですが、それは若い世代だけのことではないのだ、ということです。

 今亡くなる人の中心世代は80代です。この世代の人にとっては、子どもの時代、お寺は自分たちの生活区域の中に当然あった風景であり、寺の庭は遊び場だった、という記憶をもつ人も少なくなかったようです。特に「宗教」などを意識しなくても馴染んだ存在だったように思うのです。
 しかし、それだけではないのです。今の60代以降は事実上戦後世代ですが、70代以上というのは少年少女期、青年期を戦前の飢餓、戦争、戦後の荒廃を体験した世代だということです。極端に言えば経済的にはもちろんのこと、文化的にも断絶を体験してきた世代なのです。

 調査をすると今の葬式の小型化を望んだり、「迷惑をかけたくない」と思っているのは、若い世代よりも70代以上の世代で強いのです。
 戦争体験というのがありますから、「高齢者世代」と一括りできない世代だということはここで留意して話を次に進めたいと思います。

 周囲を見ても昨日まで元気だった老人が朝急に息を引き取る、あるいはほとんど寝たままで、一般的には「危篤」と言っておかしくないのだが、数カ月生き延びる人もいます。80歳以上の人の最期は先が見えにくいもののようです。

 震災で多くの人が年齢に関係なく瞬時に喪われました。そうかと思えば、超高齢社会となり、「いのちが尽きる」ように亡くなる人がいます。今日本では1年間の死亡者のうち80歳以上の人の死が半数を超えました。昔であれば80歳以上の死はわずか、長寿は珍しいことで、お祝い気分で葬式が行われた、と言われます。

 介護する人が子であっても、子も高齢者という例は多いです。死亡直後、介護に疲れた子が一時的に解放感を味わうことがあっても、けっして特異でも薄情でもありません。
 80歳を超えても元気で仲間と旅行を楽しんでいる人もいます。60代、70代の高齢者は「元気でいて、長患いしないで死ぬ」ことを願う人がほとんどです。
 しかし、人間は死に方を選べないのです。そして、どのような死にも軽重がないのです。大金を投じて先端医療技術を受けても、死ぬ時は死ぬのです。中には順序が逆になり、子を先に亡くす人もいます。

 最近のお坊さんはよく言えば引っ込み思案です。どうもそれが人気のない理由の一つかな、とも思います。
 昔の住職のように、ぶらりと家を訪れ、縁側で将棋をさしたり、茶飲み話をして帰る人は少くなりました。
 でも相談をもちかけると案外親切な人が多いものです。葬式の形、体裁を整えるためにではなく、よく言えば「サポーター」としてこれほどピッタリな人はいません。
 高齢者の死は結構複雑です。家族の歴史をしみじみと思ったりしてさまざまな光景が頭を過ぎったり、次はいよいよ自分たち子の世代の番だと覚悟したりします。

 家族の死、いのちに向き合うのが葬式の役割です。家族であること、その死を確認し、葬ることです。
 お坊さんを葬式に呼ぶか呼ばないは自由です。義務ではありません。家族それぞれが、死者の前で素直に想いを出せる場をつくってくれるのが宗教者だったりします。家族や親戚の結びつきが少なくなった今、よき第三者として考えると結構役に立ってくれます。こんな角度から考えてみてもいいのではないでしょうか。

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