Q.15年前に祖父が亡くなったときは葬儀社に勧められて湯灌をしました。皆で最後は脱脂綿に消毒をかけて顔を拭きました。今も変わらないのでしょうか。(50歳女性)
A 今「湯灌」と言われているのは昔からあった葬式の時の習俗とは異なります。
順に説明しましょう。
昔のお葬式の記録を見ていると「沐浴」というのが登場します。辞書には「もくよく、と読み、髪・体を洗い清めること」とあります。神道では神社に参拝する前に沐浴することがあります。簡易には「手水」と言って、参拝の前に手を洗います。「心身を清らかにして神仏の前に出る」ためです。ほかに、滝水に入って修行するように、「行、修行として行い、神仏に願いをする、あるいは神仏に自らを浄めて捧げる」ことを表します。
日本では「亡くなった方は仏道に励んで成仏する」あるいは「浄土に行く旅姿にして送る」という考え方が古くからありました。そのため亡くなると「修行の旅に出る」「お浄土へ旅する」ために家族や地域の人が亡くなった方の身体を洗い清め、死装束に着替えさせて納棺するという習慣ができました。親しい人たちが現世での死者との暮らしに感謝して、懇ろにお別れして送り出すという意味があったようです。
でも今では「死者に近くいた人が湯灌してお別れして送り出す」という昔ながらの湯灌を見ることはほとんどありません。代わって登場したのが葬儀社に斡旋された「湯灌」業者です。専門家がするのですから手際もいいし上手です。
昔は湯灌を家族や地域の人がすると、不慣れや腰が定まらずにするものですから、遺体を落としたり、ぶつけたり悪戦苦闘した話も残っています。大酒呑んで酔っ払った状態で湯灌した人もいたようです。
近親者による湯灌が専門家の湯灌に変わる前に日本人の生活に大きな変化がありました。自宅ではなく病院で死ぬ時代になったことです。
病院では息を引き取ると、看護師が湯呑み茶碗に水を入れてきて、今では綿棒を用意してくれます。 死者を看取った近親者が順に綿棒に水を浸し、それで死者の唇を潤します。それを「死水」「末期の水」と呼ばれました。
息を引き取ろうとする人に水を飲ませて回復させようとしたために行ったこと、とも説明されます。また、汽車もバスもない時代、長旅に出る時は今生の別れ」になるかもしれない、というので「水盃」を交わした習慣があったことから、あの世に旅立とうとしている死者と最期のお別れをする」とも説明されています。
死水が終わると、看護師さんは「ご家族の方は外でお待ちください」と言って、死者の体を拭いたり、傷口には包帯やガーゼで処置し、また胃にある食べかす等を出させ、お尻からは腸内のものを取り出し処置します。お尻や鼻等の穴には内容物・血液・体液が出ないように脱脂綿を詰めます。そして新しい浴衣に着替えさせ、髪を整え、男性には髭を剃り、女性には化粧をします。
最近では着替えや化粧に家族の参加を求めることもあります。家族が想いをもって死者の身を整えることは家族の心のケアに役立つというので「エンゼルケア」とも呼ばれます。
病院で行う死後の処置は、看護師が患者の身体を拭く「清拭」と呼ばれることも、「湯灌」と呼ばれたこともあります。この処置費は実は死後に行われる処置なので、健康保険の対象にはなりません。多くの病院ではサービスとして行われますが、有料のところもあります。一般には3万円以内です。また、この処置は医療行為ではないので看護師資格を必要としません。
今、行われている湯灌は病院から斎場(葬儀会館)や自宅に搬送され、納棺を前に行います。長く入浴させてやれなかったからと依頼する遺族もいます。昔は簡易浴槽に水を入れ、その上からお湯を足して適温にしてお風呂に入れたものですが、近年はお湯で雑菌を増殖させ腐敗を進行させるので、水シャワーで洗浄することが多いようです。身体を清めたら死装束に服をあらため納棺する、というのが手順です。
気をつけたいのは病院の死後の処置も葬祭業者斡旋の湯灌や納棺も、一見きれいになったように見えますが、死者の体内で進行する腐敗を止めたり、なくしたりはできない、ということです。腐敗の進行をゆっくりさせるためにはドライアイスを処置しますが、最近では部屋全体が冷蔵庫になる保冷庫に保管したりします。