葬儀Q&A

Q102 「式中初七日」は必要?

 

Q.東京にいる従兄が死に、姪から葬式の連絡がきました。式次第に出棺前に「式中初七日」という見慣れない言葉が入っていました。火葬前に初七日をする意味があるのでしょうか。(77歳女性)

A 普通「初七日」といえば死亡した当日を入れて7日目に行われるもの、とされてきました。
 ところが葬式は、だいたいが死亡した翌日に通夜、翌々日に葬式して火葬…ですから3日目、4日目あたりに行われるのが一般的です。

 かつては地域共同体主催型が多かったし、葬式を終えてまたその3~4日後に集まるというのも苦ではなかったでしょう。しかし今は家族も全国に散る等しているので、葬式してまたすぐ集まるのは大変という理由で、初七日法要が葬式当日のすべてが終了した後に繰り上げて行われることが多くなりました。

 その場合でも、葬式が済んで、遺骨を自宅に安置する際の還骨法要に引き続いて初七日の法要を行い、その後に関係者に感謝して会食(忌中引き、忌中祓い、仕上げ、お斎と呼ばれることがあります)をするパターンが一般的でした(還骨法要と初七日法要とが連続して行われるために、還骨法要が行われたという意識のない人が多いのですが)。

 遺族は火葬が始まる前までは精神が緊迫しているのですが、骨上げ(拾骨)に入ると、精神の虚脱から一種奇妙な解放感が拡がることが珍しいことではありません。これを体験した方は少なくないでしょう。もう死者の身体はないこと、取り戻せないこと、についての諦めなのでしょうか、送る作業が終わった、ということなのでしょうか、柔和な、不思議な空気が漂うものです。

 本来は自宅に遺骨をもち帰り、後飾り壇に遺骨を安置しての法要となるのですが、火葬終了後に、お寺、斎場(葬儀会館)あるいはレストランで「会食前」に行われることが多くなっています。
 それが3~4年前からでしょうか、関東、特に東京23区内では、葬式に連続して、出棺前に初七日法要をすることが多くなってきました。葬式内で行われるので「式中初七日」と呼ばれるのですが、何か違和感があります。「繰り上げ初七日だって葬式の当日に行うのだから一緒ではないか」とおっしゃる方もいるでしょう。「やらないよりやったほうがいい」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

 でもあえて言うならば、形骸化した法要はやらないほうがまし、だと思います。
 四十九日まで7日ごとに営まれる法事には、僧侶や縁者にとっては遺族が葬式後どうしているかを見守り、周囲も死者を忘れているわけではない、というメッセージがあると思います。 
 遺族にとってみれば、悲嘆の中にありながら、死者を弔うことを7日ごとに繰り返すことは意味のある作業です。

 ですから7日ごとに営む法事は身内(家族と特に親しい縁者たち)だけで、形式ばらずに、見栄をはらずに自宅の仏壇の前、あるいは寺で行うプライベートなものなのです。
 葬式の中で、公衆の面前で、他人の目を気にしながら営まれるものではけっしてないのです。

「式中初七日」が行われることでなくなったものがあり、それは「還骨法要」(宗派により「安位諷経」など名称は異なりますが)です。火葬され遺骨になった死者と向き合う作業が省略されたのです。
 
 こうした簡素化は、今さら始まったことではありません。繰り上げ初七日の後は三十五日か四十九日のどちらかを関係者を招いて営むことで終わらせてきたのです。
 でも地方に行けば、皆を招くのは三十五日か四十九日を期して行う法事ですが、間の7日ごとに身内と檀那寺の住職だけでひっそりではあるが営んでいるところは多く見受けられます。

 そういう地に行って「式中初七日」のことを話すと、一様にぽか~んとした顔でいます。理解できないのが正常な神経だと思います。
 葬式当日の初七日法要が遺族に精神的に負担になるなら省略し、二七日(14日)に繰り下げて一緒にやればよいこと。もはや葬祭業者が首を突っ込むことでもありません。
 こうした無茶な簡素化、省略は、必然性を奪います。そのうち葬式すら営む意味を奪い取るでしょう。

 四十九日は仏教が広めたのは事実です。しかし、家族と死別し遺族になった人たちの心理に納得させるもの、必然性があったから支持されたのです。こうした根っこを無視して営む儀礼は、無意味を通り越して危険でもあるように思うのです。

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