葬儀Q&A

Q115 お世話になった方の「家族葬」弔問は迷惑か?

 

Q.会社に勤務していた時の上司で、個人的にもお世話になった方が亡くなりました。ところが「家族葬でする」というのです。せめて焼香でも、と思うのですが、ご家族には迷惑をかけるのでしょうか。(65歳男性)

A  お世話になった方の死亡ですから、「弔問したい」と思われることはとても自然な感情です。お気持ちはよくわかります。また、お葬式ではそのように、亡くなった方と親しかった人たちの弔う気持ちが大切にされるべきだろう、と常々思っています。

 しかし、個の時代となり、お葬式も大きく変わってきています。お葬式に対するコンセンサス(社会的合意)がなくなって多様な考えが出てきています。
 その結果、「家族葬」は「家族だけで行う葬儀」と狭く理解し、家族以外には案内もしないし、弔問、お花、香典も受け取らない、と考える人が少なくなくいる、という現実が生じています。
 
「家族葬」を「家族以外お断り」と理解するのは、家族葬の言葉の起源からも、お葬式のあり方からも正当とは言えません。しかし、そう考える人は結構いて、お葬式では多くの人がやきもきすることになります。
 現実には「家族葬」を「家族を中心として縁が深い人たちを中心にして行われる、比較的に規模が小さい葬儀」と理解する人が多いでしょう。しかし、家族葬には明確な定義も、明確なルールがあるわけではないので、あちこちで混乱が見られます。
 
 ですから「家族葬」と言われて弔問を断念するのではなく、まず「お世話になったので弔問したいのだが」とご家族の意向をたずねられたらいかがでしょうか。そういう申し出をありがたく、うれしく受け取る遺族も少なくないはずです。
 
 言葉の起源について解説します。1995年頃、東京山の手で「家族葬」という言葉が出現、マスコミが取り上げ、たちまち人気となりました。高齢者に対する調査でも「家族葬」は人気が高いです。
 
 今では古い話ですが、1960年代以降、日本が高度経済成長すると共に、葬儀の世界も大きく変わりました。祭壇が大きく飾られ、多くの会葬者が集まるようになりました。
 それは戦争中には死者に対してきちんとしたお葬式ができなかったという悔いがあり、多少経済的に余裕ができたことで「人並みの葬儀をしたい」という欲求が高まったことによると思います。
 
 しかし葬式の大型化は弊害も招きました。参列者に故人の生前を知らない人までたくさん集まるようになったこともその一つです。子どもの会社の取引先の人とか、故人を知らない人が多数を占めるようになりました。遺族は死者を弔う中心の人のはずですが、「お客様に失礼があってはいけない」ということを心配するようになり、死者を大切に送ることが二の次になるまでになった事例が多く見られました。
 
 バブル経済期は葬式もいちだんと大型化し、普通の人のお葬式でも平均会葬者数が300人程度にまで膨れ上がりました。結果、葬式の会葬者で故人の生前を知らない人が7割にまでなりました。
 本人を知らない人が多い、ということは悲しんでいる人が少数ということです。このため「何のための葬式か?」という疑問がもたれるようにもなりました。
 
 バブル経済が破綻後、お葬式に対する不満も頭をもたげるようになりました。「家族葬」は「死者をよく知る人々で死者を温かく送ってあげたい」と思っていた人々に共感をもって迎えられました。
 弊害としては、本音では「葬式をやるのは面倒」と考えていた人も家族葬人気にあやかって粗末に死者を送ることを堂々と行うようになったことです。
 
 人は個でもありますが、家族はもとより友人とかさまざまな人間関係の中で生きています。死者を大切な人と想い、死者を心から弔う人が集まって葬式をするのは自然なことです。死者を弔い、その死を惜しみ、悲しむ人によって営まれるべきです。そうした原点に戻った葬式になればいい、そうすれば家族も余計な心配することがないのに、と思います。
 
 社会は時々「反動」を招きます。死者の人間関係を無視して血縁だけでの葬式もおかしいのです。「家族の断絶」が言われるように、家族が死者本人のことを知らないことも少なくありません。
 姉の葬式の体験から言えば、死者友人たちの弔い、お悔やみは、私たち家族に死者の私たちが知らない面を教えてくれる貴重なものでした。

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