新門随想

(45)話題の書『絶歌』に思う

 

 一九九七年に酒鬼薔薇聖斗と名乗って連続殺傷事件を起こした加害者が綴った手記『絶歌』が最近発刊された。その発刊に関して物議を呼んでいる。被害者の父親の出版差し止めの訴えや出版の自由を口にする人など、賛否両論の議論が巻き起こっている。
 
 その手記の内容は、事件の推移を詳細に記し、あの時はバーチァルリアリティに酔いしれていたとか、内なる魔物に操られていたとか、自分の意思で行ったのではなかったかのような文章が綴られていて、最後に申し訳に付け足したような被害者への詫び文が載っているだけである。
 当時十四歳の少年であった彼の供述調書が残っている。

〈何故、僕が人間の死に対して、この様に興味を持ったかということについて話しますが、僕自身、家族のことは、別に何とも思っていなかったものの、僕にとってお祖母ちゃんだけは大事な存在でした。ところが、僕が小学校の頃に、そのお祖母ちゃんが死んでしまったのです。僕からお祖母ちゃんを奪い取ったものは死というものであり、僕にとって死とは一体何なのかという疑問が湧いてきたのです。そのため「死とは何か」ということをどうしても知りたくなり、別の機会で話したように、最初はナメクジやカエルを殺したり、猫を殺したりしていたものの、猫を殺すのにも飽きて、中学に入った頃からは、人間の死に興味が出てきて、人間はどうやったら死ぬのか、死んでいく時の様子はどうなのか、殺している時の気持ちはどうなのか、といったことを頭の中で妄想するようになっていったのです〉(『文芸春秋』一九九八年三月号)

 手記『絶歌』にも「祖母という唯一の錨を失い、僕の魂は黒い海へと押し流されていった」と書いている。
 そして彼は平然と書き綴る。

〈この十一年、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべて自業自得であり、それに対して「辛い」「苦しい」などと口にすることは、僕には許されないと思います。でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊してしまいそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕はこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした〉

 なんと冷静沈着なのだろうと思ってしまう。
 自分が犯した事件は、精神異常をきたした自分とは違う人間によっての犯行であって、その犯罪行為をまるで第三者の視点で分析したり正当化したりして、最後に「僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの『生きる道』でした」と結んでいる。人を殺したことを全く悪いと思っていないのである。私はまさに時代の落とし子ではないかと思った。
 
 ヒューマニズム(人間中心主義)を基盤とした現代社会にあっては、人類のためにという大義名分の下で科学者は、モルモットやサルなどの動物を生体実験して殺してもその死に涙を流すことはない。A少年も「死とは何か」と知るために理科の実験をするようにナメクジを殺したり猫を殺したりしていた。やがて近所の二人の子供を殺す事件へと発展した。最近では佐世保の高校生や名古屋の大学生が「死とは何か知りたかった」と言って猫を殺し、人間を殺す事件が起きている。彼らに共通するのは、その死を悼む心がないということである。
 
 こうした現象は、死を対象化して頭で考えている知識人などにもみられ、目の前の死に涙を流す心を失い、他者の死を悼む心など生じない自己中心の人が増えている。こうした他者の死を悼む心がない人間が増えたら、葬式はどうなってしまうだろうと思った。直葬がますます増えるかもしれない。そんなことを考えさせられた本であった。

『SOGI』148号 青木新門

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