新門随想

(37)春と修羅

 

 晴れた日は、青い空に白く光る冠雪の立山連峰を見上げて育った私は、毎年四月になると、決まって宮沢賢治の詩『春と修羅』を想い出す。

 心象のはいいろはがねから
 あけびのつるはくもにからまり
 のばらのやぶや腐植の湿地
 いちめんの諂曲模様
 (正午の管楽よりもしげく
 琥珀のかけらがそそぐとき)
 いかりのにがさまた青さ
 四月の気層のひかりの底を
 唾し はぎしりゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ

 こんな書き出しで始まる詩句は、雪国の四月を知るものでなければ書けない。北国の冬の鉛色の空を体感したものでなければ、〈はいいろはがねから、あけびのつるはくもにからまり〉などという詩句は出てこない。そして続く。

 砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
 聖玻璃の風が行き交い
 Zypressen 春のいちれつ
 くろぐろと光素を吸えば
 その暗い脚並からは
 天山の雪の稜さえひかるのに
 (かげろうの波と白い偏光)
 まことのことばはうしなはれ
 雲はちぎれてそらをとぶ
 はぎしり燃えてゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ

 賢治は自分のことを、四月の気層の光の底を唾しはぎしりしながら歩く一人の修羅だと言っている。

 修羅とは、仏教用語で阿修羅のことである。
 阿修羅とは、インドの神話では、本来は超常的な神通力をもった人格神の呼び名であったが、インドの神・帝釈天などと常に戦い、敗れた後は神々の敵、魔神とみなされるようになった。阿修羅が憎悪の怒りで振り上げた拳を下すことができなくなって常に戦っていなければなくなる。その状態を修羅場といって、我が国では怒り狂って争いが絶えない現場のことを言うようになった。だから阿修羅像といえば、剣を持って怒りを顕わにした勇ましい像が多い。

 ところが奈良・興福寺の阿修羅像は全く趣を異にしている。剣も持たなければ甲冑も着けていない。正面の手は合掌して、少年のような少女のような清純な顔をして、眉根を寄せ、愁いを含んだ顔となっている。この阿修羅像は、熱心な仏教の信奉者であった光明皇后(七〇一~七六〇)が亡き母橘三千代のために作らせた供養仏の一体と言われている。作者は百済の仏師・将軍万福。自国百済が滅亡して渡来した仏師が、深い悲しみを心に秘めて制作したに違いない。

 二〇〇九年に東京国立博物館と九州国立博物館で「国宝・阿修羅展」が開催された。延べ一六五万人という空前の入場者があって、以来今も阿修羅人気は続いている。

 私は、この興福寺の阿修羅像を観た瞬間、これほど人間の心の深淵にある苦悩や悲しみを表現した仏像が他にあるだろうかと思った。そして賢治の『春と修羅』が浮かんだのだった。若くして仏教に出遇った賢治も、父や社会との葛藤の苦悩を「おれはひとりの修羅なのだ」とはぎしりしながら詩(うた)っている。私は仏教に出遇って戸惑う修羅の心情に想いを寄せているうちに、自分も一人の修羅ではないかと思った。

『SOGI』140号 青木新門

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