新門随想

(35)冥土の一里塚

 

   元旦は冥土の旅の一里塚
      めでたくもありめでたくもなし

 とんちの一休さんで知られる一休禅師の歌である。正月に杖の先に髑髏をしつらえ「ご用心、ご用心」と叫びながら街中を練り歩いた頃の作であろう。

 元日の朝だからといって昨日と違うわけもないのに、なぜか人々は新しい日が訪れたような気分になっている。昨日までの生活苦など忘れたかのように「おめでとう、おめでとう」と言い合っている。また再び、生きる苦しみに満ちた一年を迎えることなど念頭になく、いつ死ぬとも思わず、命の終わりが刻々迫るのも知らずに、毎年毎年ひたすら繰り返し元旦を祝って飽きることを知らない。そんな思いが込められた一休禅師の歌である。

 一休禅師は、生涯を通じて反骨の禅僧であった。たとえばこんな逸話も残っている。
 ある名家から先代の法要に招かれた一休禅師は、日頃金と権威を借りて横柄な態度をとるこの名家を苦々しく思っていたので、前日わざとみすぼらしい乞食僧姿でその家の門前にやってきた。
 門の前で「おめぐみを」と手を出すと、門番は「とっとと消え失せろ!」と追い払おうとした。それでも動かないでいたら、若主人が出てきて「目障りだ、叩き出せ」と命じた。
 一休は門番に掴まれて追い払われた。

 法要の当日、一休禅師は、目のさめるような法衣と金襴の袈裟をまとって籠に乗ってやってくると、主人をはじめ一族郎党は紋付をつけ、威信を正して禅師を迎えるのであった。
 主人が近づき、うやうやしく礼をして、奥へ案内しようとすると、禅師は「ここでよい」と言って動こうとしない。主人が「何をおっしゃいますか」と手を引こうとした時、禅師はその手を払い、「それではこの金襴の袈裟と法衣を奥へ持って行ってもらいたい。昨日は叩かれ蹴られ、今日は厚くもてなされるが、これは一体どうしたわけか。この袈裟が光るからか」と言って禅師はケラケラと笑った。

 当時民衆から「活き仏」と崇められ、時の将軍をはじめ多くの大名から尊敬されていた一休禅師に対し、昨日の無礼を思うと、もはや言葉も出ず、呆然としていると、一休禅師はにっこり笑いながら自分の着ている袈裟や法衣をそこに脱ぎ、「この法衣や袈裟に法事をたのみなさるがいい」と言って、いつものとおり、何の屈託もなく立ち去ったという。
     *
 禅は「不立文字」と言われるように、言葉では人に伝えることができないものとされている。経典の言葉から離れて、ひたすら坐禅することによって、釈尊の悟りを直接体験することを目的としていて、禅の根本を示すものとして知られる。そんな言葉で伝えられない禅の精神を、行動で民衆に示そうとしたのが一休禅師であった。

 一般の人には、ややもすれば奇行ととられるも難解な禅を具体的な行動で示そうとした結果であった。その奇行には今日の我々も多くの学ぶべきものがある。先の「金襴の袈裟」の逸話も、今日の仏教僧にとっては胸に突き刺さるような話であろうし、人々の欲望や名利につけ込んで豪華に走りがちな葬送儀礼業者への警鐘ともなるだろう。杖の先に髑髏を付けて街中を歩いた奇行も、生にのみ価値を置き、死を忌み嫌うものとして隠ぺいして生きている現代人に「真実に目覚めよ」というメッセージでもある。

 禅僧でもあった鈴木大拙師は『日本的霊性』という本の中で「享楽主義が肯定せられる世界には、宗教は育たない」と言い残しておられるが、まさにそのとおりだと思う。無我を前提に小欲知足を説く仏教の精神を行動で示した一休禅師のような僧が、いつの世にも、一人ぐらいいてもよいのではないかと思うのだった。

『SOGI』138号 青木新門

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