新門随想

(34)称名滝

 

 晩秋になると、なぜか私は立山山麓にある称名滝を思い出す。以前は思い出すと、衝動的に出かけたものだが、今年は車が大破するという自損事故を起こしたのを機に運転免許証を返納してしまい、行けなくなってしまった。
 海抜二千メートルの弥陀ヶ原の台地から五百メートルの落差を流れ落ちる滝は壮観である。称名滝の名の由来は、平安時代に阿弥陀信仰が盛んになると、地獄・極楽がある山として、立山の本地仏は阿弥陀仏とし、その前に広がる台地を弥陀ヶ原と名づけ、弥陀ヶ原から流れ落ちる滝だから称名滝と名づけられたという。名づけ親は、法然だとする説もある。法然には滝の轟音が南無阿弥陀仏という称名念仏聞こえたという故事に由来する。

 こうした、山や川、あるいは街の通りの名前などの由来は、後からもっともらしく語られたものが多く、誰が名づけたのかはっきりしない。その名も時代の主流をなす思想や価値観によって名づけられる場合が多く、たとえば靖国通りとか、ベトナムのホーチミン通りなどは、まさにその名残りといえる。

 実は、一〇四〇年に比叡山・横川の僧鎮源によって編まれた『法華験記』によると、現在の称名滝は「勝妙滝」と記されている。勝(すぐ)れて妙(たえ)なる滝とは、いかにも法華経からの命名だが、やがて浄土教が勢力を伸ばすと称名滝となったのである。
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 こうした名づけに関して思い出すのは、チベット高原を旅した時のことである。空港からラサの市街地へ車で走っている時のことであった。現地の若い女性のガイドに「あの山はなんていうの?」と訊ねると、「リ(山)です」とそっけなく答えた。山の名を聞いているのにと、私は思った。冠雪の山を指して「あの山は?」と再び訊ねると「カン・リ(雪の山)です」と返ってきた。

 無数の高い山に囲まれたチベットでは、四千や五千メートルの山には名前などないのである。さすがに、世界最高峰の山には「チョモランマ」という名があった。しかし「エベレスト」と名づけられ、世界に知られるようになったのは、一八六五年のことである。英国インド測量長官アンドリュー・ウォーによって前長官のジョージ・エベレスト大佐の名前にちなんでつけられたことが彼の手記に見られる。

「前長官のジョージ・エベレスト大佐は、すべての地形に現地での呼称を採用するように、私に訓示していた。しかし、この山は、おそらく世界最高峰であろう。にもかかわらず、現地での呼称を見出すことができなかった。今のところ、この高峰を名づける特権と責任とは、私に移譲されているものと思い、尊敬する前長官の名にちなんでエベレストと名づけた」
 あのエベレストが人名から名づけられたということをこの手記で初めて知った。そして人間中心の近代人らしい名づけ方だと、少しさびしい思いがした。
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 富山に、定置網の鰤(ぶり)漁で知られる「氷見」という町がある。江戸時代までは「火見」という名の漁村であった。火見という名は、松明の漁火が点々と見える夜の海の美しい光景から名づけられたものだろう。しかし、フェーン現象によって、町が全滅するような大火に何度も見舞われているうちに、「火見」という名は縁起が悪いと、火から氷に改名されたのだという。

 親が生まれた子の名をつける時も、親の祈願にも似た思いがこめられている。火見から氷見への改名も、人々の祈願であったろう。
 弥陀ヶ原から流れ落ちる滝を、称名滝と名づけたのも、当時の念仏者たちの、弥陀によって救われたいとの思いがこめられていた。

『SOGI』137号 青木新門

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