新門随想

(31)美しい死顔

 

 私が葬式の現場の体験を『納棺夫日記』と題して著したのは今から二〇年前の一九九三年の春だった。
 本を出してしばらくしたら、あちこちから講演依頼がくるようになり、当時専務をしていた会社(現・オークス株式会社)に迷惑をかけてはいけないと思い、非常勤役員にさせてもらって著述と講演活動をするようになった。

 特に講演が増えたのは映画「おくりびと」がアカデミー賞を受賞してからで、親鸞聖人七百五十回御遠忌や法然上人八百回忌などと重なり、年に二百回という年もあった。数えたことはないが、おそらく二〇年間で二千回近い講演をしたかもしれない。

 そうした多くの講演で私は、一貫して同じ話をしてきた。
 それは納棺の現場で死者たちから教わった「いのちのバトンタッチ」の大切さであった。
 そしてその「いのちのバトンタッチ」は、臨終に立ち会わないとバトンは受け取れないということ、そして立ち会った人と立ち会わなかった人では死のイメージが違うということを強調して話してきた。

 聴衆の方から多くのお手紙をいただいた。その中の一つにこんなお手紙があった。

 この度の講演を聴いた○○です。あれから間もなく青木さんが講演でお話しなさったことを体験しました。
 この五日に母を亡くしました。訪問介護の支援を受けながら姉妹で二四時間体制の自宅介護を行ってきた九十歳の母でした。
 今、半分は現実感の中で悲しみは尽きないのですが、不思議な満たされた気持なのです。母と共に死を迎えた実感というのでしょうか、私は主治医から言われ、十五分おきに割り箸の先に水を含ませたガーゼで母の口を湿らせていました。母はおいしそうに小さな口を動かしていました。動かす力が少し弱くなって呼吸がおかしいことに気づき主治医を呼びましたら、「最後です」と言われました。
 私たちは必至で母を呼び続けましたが、母の表情はどんどん優しく、微笑んでいるような顔に成っていくのです。その母の顔は気高く、ほんとうに美しい表情に変わっていったのです。青木さんから臨終の瞬間に立ち会う大切さを教わり、母と共に過ごせたことはかけがえのない幸せでした。
 ほんとうにありがとうございました。
     *
 人はどんな死に方をしても、死の瞬間の顔は安らかで美しい。
 しかししばらくすると変化する。
 死後の人体は、筋肉への酸素の供給が絶たれると種々の化学的変化が生じ、乳酸が生成され筋肉が硬くなる状態になるのだと解剖学の教授から聞いたことがある。死後硬直の進展は人によって時間差があるが、通常は二時間程度の経過で徐々に脳から内臓、顎や首から硬直が始まり、半日程度で全身に及ぶという。そして二日(四〇時間)程度で硬直が緩み始め、九〇時間程度で完全に緩み、後は腐乱へと向かうのだという。

 死後の時間が経過して硬直化した状態の死体を見て死のイメージを抱く人がほとんどなのである。作家の芥川龍之介のデスマスクが残っているが、あのデスマスクをいくら見ても気持ちのいいものではない。硬直した遺体から作られているからである。しかし芥川が自殺した時、第一発見者であった女中さんが書き残した日記に「ながらくお仕えいたしましたが、あんなにお優しい、お美しいお顔を見たのは初めてでした」とある。

 ローマの哲人セネカの格言の中に「死自体よりも死の付随物が人を怖れさす」とあるが、私もそのとおりだと思っている。

『SOGI』134号 青木新門

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