新門随想

(21)被災地にて

 

 先月六日、福島県浜通りの被災地へ出向いた。浄土宗のボランティア活動の一環としてのイベントに招かれ参加したのであった。私の他に、日本子守唄協会の西舘好子さん、女優の藤村志保さん、弾き語りギタリストの原荘介さん、法然上人を讃える会の藤木雅雄さんの四人。富山から向かった私は大宮駅で合流した。福島駅に着くと迎えの車に分乗して、高台にあって津波の被害を免れた南相馬市の浄圓寺へ向かった。車は福島第一原子力発電所から三〇キロ圏内を出たり入ったりしながら、田んぼの中に船が見える道を走っていた。運転するのは地元の消防団長をしておられる方で、津波の被災地に入ると、三月十一日当時の状況や瓦礫の中から遺体を収容した体験などを、時々車を停めて現場を指さしながら話された。

 翌日、寺の会場には二百人ほどの人がやって来られた。西舘さんの司会で、原荘介さんの子守唄や童謡で始まり、藤村志保さんは私の童話「つららの坊や」を朗読された。私は講演することになっていた。ここへ来る前まで被災者の前で何を話そうかと迷っていたが、現地へ来てその惨状を見聞きしているうちに、死の実相のことを話そうと思った。私は東北の詩人、宮沢賢治を取り上げて話した。

 賢治の詩に「眼にて云ふ」という不思議な詩がある。その最終行にこんな詩句がある。
〈あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが/わたしから見えるのは/やっぱりきれいな青ぞらと/すきとほった風ばかりです〉

 私はこの詩から、生き残った人は、死者は苦しんで死んだと思いがちだが、惨憺たる瓦礫の風景を見ているのは生き残った人たちで、死者は瓦礫など見ることなく三陸のきれいな海やすきとおった空を見ていたはずである。そして生き残った人に命を託して「ありがとう」と笑顔で往かれたのですよ、と言った。そう信じてあげてくださいと付け加えた。

 ちなみに賢治の童話に登場する動物たち、たとえばよたかも狐も熊もみんな「にっこり微笑んで死んでいました」と描かれている。またアンデルセンの『マッチ売りの少女』も「翌朝少女は家と家の間で、ほっぺを真っ赤にしてにっこり笑って死んでいました。でも、女の子が、どんなにすばらしい、どんなに美しいものを見たか、知っている人はいませんでした」とある。敬虔な仏教者であった賢治も熱心なクリスチャンであったアンデルセンも、生と死が交差する瞬間の不思議な現象を知っていたといえる。生死の実相を知るということは宗教を正しく理解することでもある。
 
 最後に原荘介さんが、私が現地で即興的に作詞した被災地へ贈る歌「美しき日本」に曲をつけて歌ってくださった。

 桜が咲き 芽生える若葉
 いのちは ぼくらのために
 なんて美しい東北の春なのだろう

 青い空 白い雲
 豊かな海 ぼくらのために
 なんて美しい三陸の海なのだろう

 瓦礫の中に 少年の笑顔
 無縁社会も 一夜のうちに
 笑顔で交わす「一人でないよ」

 大きな悲しみ 和のこころ
 大悲大慈 ぼくらのために
 なんて美しい日本なのだろう
 なんて美しい日本なのだろう

 講演を終えた時、一人の婦人が近づいてきて「泣くことも笑うこともできなかった。だが今、吹っ切れました。死者の分まで生きようと思いました」と涙ながらに手を出された。私はその手を握って、来てよかったと思うのだった。

 帰路も消防団長が運転して送ってくださった。団長は前方をまっすぐ見ながら「原発事故さえなければ……」と独り言のようにつぶやかれた。あれだけの大災害をもたらした津波を恨む言葉でなく、「原発事故さえ」との発言は、いかに事態が深刻かを物語っていた。助手席に座る私は悲しげな団長の横顔を見ながら、アインシュタインが広島への原爆投下を知らされた時の言葉を思い出していた。
〈科学的でない宗教は盲目である。けだし宗教のない科学は危険である〉

『SOGI』124号 青木新門

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