新門随想

(19)古人の糟粕

 

 今日のわが国は、経済的には世界でも有数の豊かな国となり、寿命は世界一の長寿国となっている。過去の日本人が夢にまで見た世界が実現されている。平均寿命が五十歳前後であった頃の日本人は、欧米の豊さや生活に憧れ、経済的に豊かになり寿命が伸びることが幸福の条件と信じて疑わなかった。しかし生活は豊かになり、寿命が伸びたのに、幸福な社会になったとは思えない。科学技術の進歩や医療や介護制度が整えられたにもかかわらず、生の不安、老の不安、病の不安、死の不安が巷に満ちている。
       
 プツダはこの生・老・病・死の四苦を解決する道を求めて出家したのであった。そして生・老・病・死の全過程において安心して生きる道を説いたのが仏教であった。その仏教が見るも無残な姿になつている。
 私は『納棺夫日記』を上梓して以来一六年間、多くのお寺に招かれ講演をしてきた。あらゆる仏教の宗派、天台宗、臨済宗、法華宗、真言宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗西東など、行かなかった宗派がないほど出向いた。そこで見たものは、仏教の匂いはするが、真の仏教は見当たらないという現実であった。

 空海はこんな言葉を残している。
「我の習う所は古人の糟粕なり。目前に尚も益なし、況や身斃るるの後をや。この陰すでに朽ちなん。真を仰がんには如かず」
 都の大学で高級官僚への道を目指していた空海が突然大学をやめて、山林に分け入り仏道修行を始めた時の悲壮な決意文である。この文意は「私が今大学で習っているのは、古代の聖人が唱えた言葉の糟粕、つまり死んだ知識である。生きているこの瞬間にとってなんの役にも立たないし、まして死後のためには言うも愚かだ。こんな知識はもう意味がない。真の道、即ち仏の教えに精進するに勝るものはない」と宣言したのであった。

 ここでいう「糟粕」とは「酒糟」のことである。なんと的を射た表現であろうか。酒糟は酒の匂いはするが、酒ではない。酒糟をいくら科学的に分析して解明しても清酒は作れない。しかし今日の仏教学者は、過去の酒糟のような言葉を解釈したり注釈したりして知識をひけらかしている。過去の聖人がこんな言葉を残したとかその意味はこうだとか学んだとしても、それは空海の言葉を借りれば酒糟であって、死んだ知識である。今を生きる人の不安を解消することはできない。

「寺よ、変われ!」というシンポジュームに出席したら、寺に足を運んでもらうために吉本興業まがいのイベントをすべきだと発言した僧侶がいた。寺が繁盛しようがしまいが、心に不安を抱く人には関係のないことであろう。老の不安、病の不安、死の不安といった今日的四苦を抱えて藁をもすがる思いで寺へやって来た人を前にして、何を言っているのだろうかと思うのだった。そんな四苦を抱えた人々の心の痛みを己の痛みとして受け止め、その不安を取り除き、安心を施すのが僧や寺院の存在理由であったはずである。

 老は老人施設に預け、病は医療機関に任せ、死から目を背けて「寺よ、変われ」とか「人が集まる寺にしよう」などと叫んでいても、人が参集する寺になるはずはない。ほとんどの寺は死後の葬式や法事に偏重し、自坊や宗派を維持することに汲々としているのが現状だからである。僅かだが立派な僧もおられる。だから全てとは言わないが、大半が憂うべき有様なのである。

 どんなに科学や経済が発展しても、どんなに寿命が伸びても、人間は生・老・病・死の不安から逃れられない。高度経済成長期にマザー・テレサが来日して帰国するとき「こんなに豊かでこんなに美しい国の人々がどうしてこんなに暗い顔をして生きているのでしょう」と言い残した。あの二十数年前の人々の暗い顔が、今日では一層暗い顔になっているように思えてならない。

 空海は「生れ生れ生れ生れて、生の始めに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し」とこの世の無明を詩的に表現し、古い仏典など〈古人の槽粕〉と切り捨て、仏教は今を生きる人のためにあるのだから「仏典を語るな、仏教を生きよ」と言っていた。
 仏教は、人生、即ち生・老・病・死の全過程を安心して明るく生きる道を説く教えでああったはずである。

『SOGI』122号 青木新門

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