秋葉原の無差別殺傷事件をニュースで知った時、とうとうここまで来たかと思った。競争社会の激化の中で、起きるべきして起きた事件のように思えた。
平成一〇年から自殺者が急増し、以来毎年三万人を下回ることなく自殺者が増え続けている。ちょうどその頃から大阪の池田小学校児童殺傷事件をはじめとする類似の殺人事件や通り魔事件が頻繁に起きている。
私の眼には、自殺も他殺も命を軽視する悲しい行為にしか映らない。
私は少年の日に陸軍大将か海軍大将になることを夢見ていた。その夢ははかなく破れ、戦後は一転して平和を唱える政治家になろうと大学は政治経済学部に入った。だがその夢も破れ、大学を中退して郷里に帰り、飲み屋を経営しながら文学を志した。しかし店は倒産し、作家になる夢も消え果てた。失恋もあった。数々の挫折を繰り返すうちに、父を恨み、母を恨み、社会を恨むようになっていた。
やがて気がついたら納棺夫になっていた。親族からは「親族の恥」と罵倒され、当時の社会からは白い目でみられた。自殺しようかと思ったこともあった。叔父から「親族の恥」と罵られた時、殺してやろうかと思った。自分などこの世に存在する価値のない排除されるべき人間だと虚無的な日々を送っていた。
そんなある日、運命のいたずらとも言える事件に出遇った。別れた恋人の父親の納棺をした日のことである。その場面は拙著『納棺夫日記』に次のように書いている。
「本人は見当たらなかった。ほっとして、湯灌を始めた。もう相当の数をこなし、誰が見てもプロと思うほど手際よくなっていた。しかし、汗だけは、最初の時と同様に、死体に向かって作業を始めた途端に出てくる。
額の汗が落ちそうになったので、白衣の袖で額を拭こうとした時、いつの間に座っていたのか、額を拭いてくれる女がいた。
澄んだ大きな眼一杯に涙を溜めた彼女であった。作業が終わるまで横に座って、私の顔の汗を拭いていた。―中略
車に乗ってからも、涙を溜めた驚きの目が脳裏から離れなかった。
あれだけ父に会ってくれと懇願した彼女である。きっと父を愛していたのであろうし、愛されていたのであろう。その父の死の悲しみの中で、その遺体を湯灌する私を見た驚きは、察するに余りある。
しかしその驚きや涙の奥に、何かがあった。私の横に寄り添うように座って汗を拭き続けた行為も、普通の次元の行為ではない。彼女の夫も親族もみんな見ている中での行為である。
軽蔑や哀れみや同情など微塵もない、男と女の関係をも超えた、何かを感じた。私の全存在がありのまま認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。」(桂書房『定本 納棺夫日記』より)
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マザー・テレサが残した言葉に「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも、自分は必要とされていない、と感じることです」とある。
人間追い詰められて自暴自棄になっている時でも、何かに丸ごと認められたら生きていけるのではないだろうか。私は、丸ごと認めてくれた恋人の瞳で再生することができた。
秋葉原の事件を起こした加害者の両親は教育熱心であったという。あまりにも熱心で厳しいのを見かねて祖母が「そんなに厳しく育てなくても、ありのままでいいのでは」と口を出したら、両親は「子どもの教育に口を出さないでください」と、子を祖父母から引き離したという。
平成九年に酒鬼薔薇聖斗と名乗って事件を起したA少年に「おばあちゃんだけは大事な人だったのです」と言わせた彼の祖母も、「ありのままでいいのでは」と言っていたのかもしれない。
昔はそんな祖母がいた。村にも駆け込み寺のような寺があった。何でも相談できる学校の先生もいた。今日では祖母も寺の住職も学校の先生も、ありのまま認めるどころか分別顔でこうあるべきだと説教する。
仏教は、無分別を説き、ありのままの自然(じねん)を説く。「一切衆生悉有仏性」と言ったり、「山川草木悉有仏性」と言ったりして、この世の一切をありのまま認める教えである。阿弥陀如来も観音菩薩も、そのことを知らしめるためにこの世に顕れる慈悲仏である。ありのまま認める力の衰えは、とりもなおさず仏教の衰退を物語っている。
『SOGI』106号 青木新門