死者・行方不明が約2万人(死者1万5790人、行方不明4056人、9月16日現在、警察庁発表)に及んだ東日本大震災の特徴は、大津波により瞬時に死と生が分かたれたことである。
海岸線でのことのため遺体捜索・収容作業が難航。直後には1万人を超す行方不明者が出た。今なお岩手・宮城・福島県警による捜索作業は継続しているが、多くの行方不明者が残っている。1カ月後以降に発見された遺体は一部白骨化し腐敗が進み、身元確認は着衣等のほか、採取されたDNAや歯型によって行われているという。
また9月16日現在、身元不明は発見遺体の7%に及び、1千体を超す。
今回、行方不明者に対する死亡届について特例として家族申述での提出が可能となった。9月12日現在、行方不明の約8割の死亡届が出された。だがいったん出した届出を撤回したり、家族は自らの手での死亡判定に困惑している様子だ。
被災地の火葬場は小規模が多いうえに停電等で機能停止。多くの遺体は遠隔地の火葬場に送られた。
だが、火葬が進まないために公衆衛生上保全が困難な遺体は2年を期限に仮埋葬された。実際に仮埋葬されたのは宮城県の約2千体。だが、火葬が進むと仮埋葬は中止され、埋葬された柩も掘り戻しされ、再納棺の後に火葬された。この作業は盛夏の8月中旬まで続いた。
日本の火葬率は世界一の99・9%。とはいえ6割を超えたのは戦後の60年代。東北は火葬化が遅れ、奥会津等では90年代後半まで土葬があった。土葬に親和性のある地域と思われたがそうではなかった。被災地の人々には火葬こそが懇ろな葬りと認識されるようになっていた。東京等が受け入れ、火葬が可能となるや親族に掘り起こそうという動きが出たものだから、自治体は仮埋葬した全遺体を掘り起こし、火葬することにした。
だが、再掘作業は容易ではなかった。日本で現在使用されている木棺は火葬に適するように、軽く、燃えやすいようにできている。それゆえ1メートル以上の土の重みや湿気を想定していない。掘り起こされた柩は潰れて崩れた状態にあり、内部の遺体の腐敗は進行していた。掘り返し、遺体を洗浄し、新たな棺に入れ、火葬場に送った。
仮埋葬と再掘の作業にあたった人は、ひたすら死者の尊厳と遺族の気持ちを考えて黙々と過酷な作業を行った。地域により葬祭業者、建設業者等の手によって。
そもそも「仮埋葬」と言ったのは「仮処置」で、過渡的な葬りであったからだ。だが2年間としたのは、白骨化の期間を想定し、2年は掘り返さないことを暗黙の前提としていたはずである。だが遺族はそれを待てなかった。死者への想いがそれほど切迫していたのだろう。
岩手の葬祭業の人に聞いた話では、内陸部の火葬場に遺体搬送すると、遺族は「火葬できた」と喜んで泣いていたという。長い経験の中でも喜ばれたのは初めてだと話していた。また、遺体が発見された家族は、同じ避難所に行方不明の家族を抱えている人たちが多数いるために、その人たちのことを考えて、遺体発見や火葬できることに対する感情表現を避難所ではできずにいたという。