自分らしい葬儀のデザイン

第2回 自分らしい葬儀

 

■その人らしさを表す葬儀のスタイル
 
 いま、ここ10年くらいの間に、急速に葬儀が変化してきています。多様化してきているといえます。
 いまの流れの一つは「その人らしさ」です。要するに、葬儀はみんな同じではないんだよと。亡くなった人の生涯を受け止めれば、それぞれ違ってあたりまえということです。ご婦人が亡くなられた場合とか、あるいは若い人が亡くなられた場合とか、高齢の方が亡くなられた場合とか、それぞれやはり違ってくる。その人に合わせて変わってくる。そのもっとも現れているのがお花の使い方です。色花が使われますし、草花も使われます。
 
■選んでおきたい、自分の遺影写真
 
 遺影写真も相当変化してきています。昔は歯を見せてはいけないとか、笑った顔の写真はよくない、などと言われましたが、今はもうどんどん歯を見せるし、笑ってもいます。正装もしないでジャンパー姿のもあります。要するに、その人らしさが出ればいいという形です。
 額はよく黒枠でやっておりますが、花額があったり、黒リボンをかけるというのも少なくなりました。また、カラー写真が多くなりました。
 最近、お年寄りなどに──この中にもいらっしゃるかもしれませんけれども──毎年正月には遺影写真を撮るという方がいらっしゃいます。誕生日に毎年遺影写真を撮るという方もいらっしゃいます。
 最後の3年間は寝たきりで死にました私の父もそうでした。あんまり若い頃の写真はちょっと気恥ずかしいという感じがあったのでしょうか、寝たきりになる直前の写真を遺影写真に使うようにと指定しておりました。お気に入りの写真で、家でくつろいでいたカーディガン姿の写真です。葬儀ではそれを使いました。遺影写真に結構こだわっていました。
 
 遺影写真というのは結構難しいものでして、あらかじめ選んでおきませんと、いざという時になかなかいい写真が出てこない。葬儀の時は本当に慌てていますから。あまりいい写真が出てこないから、ちょっと服装がまずい、着替えさせようという話に結局なってしまいがちです。
 今はみなさん、写真を撮る機会がたくさんございます。遺影写真などはちゃんと選ばれておくといいかなと思います。中には1枚だけじゃ表現しきれない方がいらっしゃいます。三木鮎郎さんが亡くなった時、いろんな写真が祭壇の焼香する前にずらっと並べられておりました。
 また、晩年のものだけではなく、若い時からの写真があると、いいものです。私の学生時代の友人が亡くなって、葬儀に参列したんですが、遺影写真にびっくりしたんですね。若い時しか知らない人間が急に年をとって現れると、何か他人の葬儀に来たみたいな感じがありました。よく見るとやはり面影が残っているんですが、若い時の写真もあると、「あっ、こいつだったな」ということがすぐ浮かび上がってくるものです。
 遺影写真の中に生きている人を入れないという慣習がありましたが、最近は平気で出しています。お孫さんと一緒、ご家族と一緒の様子とか、そういう写真が使われます。その人の生活感がいろいろと現れている写真が使われるようになりました。
 
■葬儀に流す音楽は……
 
 葦原邦子さんのご葬儀では、舞台全体にきれいな花が並びました。いったん個人葬をおやりになってますから、遺骨が正面に置かれました。遺影は、芦原さんの晩年よりももう少し前の演奏会の風景の写真です。きれいな時の写真を飾ったというものです。実際にここでプロのミュージシャンたちが演奏会をいたしました。葬儀で演奏することを「献奏」といいます。演奏を捧げるという形です。ご自身の葬儀が音楽会になったというものです。「音楽葬」といいます。
 最近の葬儀で変わってきた一つは音楽です。クラシック音楽も使われますが、ジャズも使われます。デキシーランドジャズは元々は葬式の葬列の時の音楽でした。戦争体験のある方は軍歌をよくお使いになります。音楽というのはその人の青春時代を現すものですから、将来はロックなど多彩になると思われます。
 
 演歌はさすが葬儀に似つかわしくないと思われるかもしれませんが、最近はよく使われます。
 私の友人がガンで死んだ時、そいつがカラオケが大好きでして、演歌をうなっていたんですね。それで焼香の時と出棺の時に、そいつがしゅっちゅううなっていたオハコの演歌が流れましたら、もうたまんなくなりましたね。そいつは酒飲みで、しつこいヤツでしてね、ただし心の優しいいいヤツだったんですけれども。演歌が人生そのものだというヤツだったんです。そのオハコの演歌が流されて、彼をよく知っていた会葬者がみんなオロオロし始めました。知らない人はキョトンとした顔をしていましたけれども。
 
 今では、音楽は何を使ってはいけない、こういうふうに使ってはいけないということはなくなりました。お坊さんのお経と合わせて流すわけにはいきませんが。音楽を流すのは式が始まる前とか、あるいはお経が終わって焼香してお別れしている時とか、あるいは出棺の時とかですね。
 
■葬儀の服装
 
 喪服の話をちょっとさせていただきます。今、会葬者もみんな黒い喪服を着用しますが、喪服というのは「喪の服」ということで、喪に服するから喪服を着用するのですね。戦前の写真を見ておりますと、喪服を着ているのは遺族だけです。あとはみなさん正装をなさっています。結婚式や何かの式典に出られるような正装をなさっているんですね。
 昔は日本の喪の色というのは白でした。今でも北陸のほうに行きますと、喪主が白を着ることがあります。明治30年代になりまして、日本は欧化政策ーヨーロッパのいろいろな文化を取り入れるようになりました。ヨーロッパでは黒が喪服で、黒というのはヨーロッパの喪の色を取り入れたものです。皇室が最初です。初めはなかなか馴染まなくて、都市では大正年代から、本格的に定着したのは戦後のことです。
 戦後、1950年代くらいから会葬者までがいわゆる喪服を着るようになってきた。遺族だけじゃなくて、喪に服していない人までもが着るようになった。流行というのがあった時代でしたので、周りが黒を着ていると自分も着ていかないと何か弔っていないように思われるからというので、みんなが着るようになり、あっというまに定着しました。

 いつか小渕さんがヨルダン国王の葬儀に行った時に、黒を着ていたのは小渕さんだけで、あとはクリントンさんもその他の元首もみんな黒じゃなかったという新聞記事がありました。
 本来の喪服という意味からも見直していいのではないかと思います。
 遺族の喪服が白であったのは、死者と同じ服装ということからきていました。死者は白の経帷子を身にまといました。あの世に渡るための修行僧の服装です。
 だが、最近はそこにも変化が見られます。その人らしい服装を身にまとってという方が増える傾向にあります。個人化・個性化の影響です。
 
■変化する通夜・葬儀の流れ
 
 遺影写真やお花とか、音楽だけではなく、式の流れもずいぶん変化してきております。東京では最近、お通夜の会葬者が7で、葬儀・告別式の会葬者が3。そのぐらいに変わってきています。お通夜のほうが圧倒的に多くなってきています。
 また、最近では、遺族が「本人をよく知った方を中心に葬儀をしたい」とお話しになるケースが増えてきました。
 ある方の奥さんをガンで亡くされました。お通夜は自宅でご家族に奥さんと直接日常的なつながりのあった近所のご婦人方だけでなさいました。みなさんには事前に「お通夜は近親者だけでしますので、お通夜ではなく、葬儀・告別式にお出でください」と連絡しました。そして翌日に、東京の場合は火葬場に併設した式場が多いですから、そこで夜に葬儀・告別式をしたんです。昼間はお仕事があるでしょうから、と夜に集まっていただいた。終わった後はちょっと食事の用意をしてありまして、親しい人たちはそこでいろいろ交歓してお話しして三々五々帰る。その席に出ないでお帰りになった方もいらっしゃるし、ゆっくりお話ししていられる方もいらっしゃる。そして翌日朝、火葬しました。その時も「家族だけでいたします」とみなさんはお断りしました。
 火葬には、40人とか、みなさんも行かれることが多いと思います。ご親戚の方も行きたいという方がいらっしゃると思います。しかし、火葬というのは遺体との最後の最後のお別れの時ですね。ですから遺族にとっては非常に辛いものがあります。その人が奥さんを亡くされてご家族だけで火葬をなさったのは、もう自分たちだけで思う存分、人の目を気にしないで別れたいということだったようです。人の気持ちも変わってまいります。それに応じて行なうということも出現しております。
 
 葬儀の時は柩でするのが一般的な形です。北海道の函館は、大火事の影響で葬儀の前に火葬する形になっているようです。東北から北関東にかけて、長野や静岡の一部もそうなのですが、やはり葬儀の前に火葬をします。遺骨で葬儀をするので、これを「骨葬(こつそう)」といいます。
 先に火葬しておきますと、葬儀はすぐにやらなくてもいいというメリットがあります。とりあえずご家族だけで密葬にしておいて、都合のいい時にみなさんにご案内して、改めてお別れ会をやる、あるいは告別式をする。ですから、2週間後、1か月後という形でできるわけです。そういう形も増えております。
 香典というシステムはどこにでもありますが、お別れ会では香典もありますが、会費制で行なうというものがあります。遺族が中心なのではなく、集う人がみんなで送るんだということで、費用を分担します。いくら包んだらいいだろうかと迷うことはありません。まぁ親しい方はそのほかに別に包むこともあるようですが。お別れ会は、会費制で行なうほか、服装も黒を着ないというスタイルが多くなってきております。

(本稿は、2000年10月9日北海道北広島市で行った講演を加筆修正しました)

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