自分らしい葬儀のデザイン

第4回 葬儀の生前準備

 

■なぜ生前準備が必要なのか
 
 ある方がご主人をガンで亡くされました。ずっと長く入院されていました。ガンですから本人もわかっていました。でも葬儀のこと、死後のことはなかなか話しづらかった。しかし、最後の時が見えてきて、やっぱりこれはいつまでもそのままにしていくわけにはいかないなと思われたのですね。夫は、自分の配偶者であるだけではなくて子供たちの親でもある。じゃ、この人間をどういうふうに送るかということは、やはりきちんとしておくべきだと考えて、事前にお話しされました。
 
 本人の希望を聞き、子供さんたちとも、こうしたい、ああしてあげたいと、話し合いまして、それをまとめておいた。それでいざとなったら、やっぱりそういう話を事前にしておいてよかったと言うんですね。その時になったらもう頭は真っ白になって、もう何がどうでもいいと思ったそうです。お葬式をしなくてもいいとさえ思ったし、どんな形で行っても自分は構わないと思ったそうです。ただひたすらボーッとしていたわけです。ショックを受けますと反応がなくなりますから、そういう状態に陥ります。それで、事前に話しておいてよかったということを、後になって書いておられました。
 
 いま、生前に葬儀を準備するということが出てきております。一つは、その時になると、家族はもうどうしていいのかわからなくなるということがあります。また、今は家族関係が相当複雑になってきております。みなさんご一緒に住んでいる家族より、離れている家族のほうが多くなっているのではないでしょうか。家族が全国各地どころか海外まで行っている方もいると思います。
 家族でも、それぞれ住んでいる環境や育った環境によって考え方がいろいろ違っているわけです。葬儀についても、北海道には北海道の葬儀の形があり、大阪に行った人とか、九州に行った方とか、各地で経験されている。そうするともっているイメージがそれぞれ違ってきます。さっきの密葬だとか、会社の関係だとか考える方、地域の関係のことを考える方、いろいろいらっしゃいます。あるいはお嫁さんの立場から実家の慣習を考えるということもあり、いろいろです。
 
 そういうことでそれぞれもっているイメージの食い違いから争いごとが起きがちです。そうでなくとも、葬儀というのは比較的喧嘩が起こる時なんです。普段やらなくてもいい喧嘩が起きるんです。みんな家族の死ということで精神的に高揚していますから。意見が違えば、本当に喧嘩になる。喧嘩、意見の食い違いは3割ぐらいの遺族で生じています。また、もう死んだ人間は放っておいて、遺産相続とか形見分けの喧嘩をする人が3割くらいいます。死んだ人への愛情もなく、死者をそっちのけにして財産争いをしている遺族がこれまた増えているのです。そういう事態を招かないためにも生前準備は必要になっています。
 また、最近は単身者の方も増えていますし、家族がいても「子供には迷惑をかけたくない」と生前準備をされる方が増えてきています。
 
■遺言
 
 私はお年寄りにお話をする機会が多いのですが、できるだけ書き残す、言い残しておいたほうがいいと言っています。それは、葬儀となると家族や周囲からいろいろな意見が出るけれども、本人がそう言っていたとなると、「死者に免じて許してください」と言うことができるんですね。これが死者に免じてではなく、「次男に免じて許してください」では通用しません。「死者に免じて許してください」と言うと、気に入らないと思う人がいても、「しょうがねえな」と話はまとまってくる。全部がまとまるわけではありませんが、かなりまとまる確率が高くなります。
 ですから、亡くなった時の家族の紛争を避けるためには、何か書いておいたり、言い残したほうがいい。それはどういう方法でもいいから、と私は申しております。
 
 実はいま遺言が流行っていて、遺言を書く方が多くなっています。遺言を書く方式には特別な場合を除いて3つあります。
 自筆証書、これは自分で全部手書きで書くものです。それと秘密証書に公証証書の3つです。
 公証証書は、公証役場に行きまして、公証人の前で口述して書いてもらうわけです。公証人という方は判事とか検事とかなさった法律の専門家ですから、その方にお話すればきちっと作ってくれます。無料ではありませんが、そんなに高いお金ではございません。
 秘密証書というのは、自分の書いたものを公証人に、「これが私の遺言です」と出して証明してもらうものです。
 遺言というのは法律的な文書ですから、修正の仕方が定められた方式と異なっただけで有効性がなくなります。自筆証書は誰かが見つけて破ってしまえば誰にもわからないという問題がありますし、本人が本当に書いたのか証明してもらうためには家庭裁判所に判断してもらう必要があります。公正証書がいちばん安全です。
 遺言の中に書いて有効な内容は、財産に関することと身分の証明に関することです。身分というのは、自分が婚外子、愛人に作った子を自分の子供であると認定するとか、そういうことです。廃嫡もあります。
 
 財産に関することで、遺言がなかったために困ったケースがございました。
 ご主人が亡くなりました。奥さんと次男坊夫婦と一緒に住んでいたんですね。長男、長女はそれぞれ別に住んで家庭を営んでいました。3人兄弟です。ところが、その家には財産があまりなかったんですね。財産と言えるものは、小さな家しかなかった。長男が法定相続分をよこせと言ってきたんですね。長女も主張しました。普通そういう時は、奥さんの生活を守るために、子供たちは相続しないで、お母さんがみんな継ぎ、お母さんが亡くなったら自分たちで分けようというふうになるものです。普通のうまくいっている家であればそういうものです。法定相続にしたがって分けるとなると今住んでいる家を売らなければならない。お母さんは住む家を失ってしまいます。歳をとっていると、そういう生活の変化は非常につらいものがあるんです。そういうときに、本人が遺言を書いていれば、そういうことにならなくて済んだんです。それぞれの家庭の事情に合った遺産分割が遺言で可能になるのです。
 
 ただし、遺言でも困ることがあります。葬儀についてはこういうふうにしてほしいといくら書いても、法律的に有効ではないんです。聞く人が遺言を尊重しようと思うならそうなるんですけれども、法的には遵守義務がありません。
 そこで有効にする手段としては、遺言で祭祀主宰者の指定を行うということがあります。「祭祀主宰者」とはお墓を守る人、あるいは葬儀の喪主をする人、仏壇を守る人のことです。相続財産は分割できますが、仏壇やお墓などの祭祀財産は分割して相続できません。一人です。自分の考えを実現してもらえる人を祭祀主宰者に指定すると、遺言に書きます。その人が喪主となることによって、葬儀を自分の希望どおりに実現させることが可能になるのです。さらに複雑なケースはどうするか、という方法もありますが、細かくなるので、ここでは割愛します。
 
■遺言ノート
 
 遺言で葬儀のことを書くのは法的な拘束力はありません。しかし、本人が書いたことというのは、やはり子供はまじめに受け取るものなんです。最近アンケートをとりますと、本人の生前意思は尊重するという人がずいぶん多いんですね。特に今喪主となることの多い50代、60代の人というのは。今の50代は学生時代に暴れたりなんかした人が多いのですが、そうかといって合理的であっさりしているかというとそうじゃありません。親の意思を尊重しようという気持ちは強いですね。それだったら別に法律的な文書である遺言でなくともいいわけです。
 
 ノンフィクション作家の井上治代さんが、そういうのを「遺言ノート」と言おうと提案しました。これは法律的な文書ではありませんから、自由に書いていい。遺言では認められていないビデオや録音でもいいんです。
 そこには、自分が葬儀でどういうことをしてほしいのか、あるいはしてほしくないのか、葬儀に誰が来てほしいのか、あるいは誰に来てほしくないのかと、いろいろなことを書きとめるんです。あの人だけには来てほしくない、絶対あんなやつには来てほしくない…そう思う人もいます。死んだ後はもうどうでもいいと思うんですが、それも一つのこだわりですね。お花はこういうのを使ってくれとか、どういうやり方をしてほしいとか。
 最近は葬儀のことだけじゃないんですね。自分の仕事やいろいろな身の回りのことをどういう形で処理してほしいということをお書きになる方がずいぶん増えてまいりました。
 
 これはだんだん核家族になってきたせいで、しかも今は高齢者だけの世帯がものすごく増えています。もうグングン増えています。3世代同居なんていうのは本当にどんどん少なくなっている。せいぜい高齢者ともう1人くらいとか、そんなものですね。そうしますと、子供たちと同居していないケースもものすごく多い。これから同居しないケースはさらに増えます。
 そうしますと、いざという時に子供がいないという人が増えている。子供がいても、家の中をどこをどうしていいかわからないわけですね。その人の大切な物がどこにあるかとか、友人関係なんかもわからない。昔、あのおじさんに会ったことがあるなといっても、自分が子供の時だから30年以上も前のことであると、どんな顔をしているかもわからないという感じでしょう。
 
 しかし、本人がいろいろ書き残してくれるとすぐわかりますし、その人たちと親しくできますから、子供たちにとってもいいことなんですね。ですから、遺言ノートを書いておくといいですよ。書き方は自由です。もし名簿を作るのが面倒だという方は、年賀状を整理しておくとか、そういうことだけでもいいですね。年賀状の中にはちょっと印をつけておく。朱色のペンが入っていたら重要な人だよ、ということがわかるようにしておいてあげる。
 人間、実際いつ死ぬかわかりません。長幼の順も変わるかもしれないのが死ぬということです。縁起が悪いと言わずに、後に残った人間のことを考えるとそのくらいしておきたいものです。
 
■葬儀の話は元気なうちに
 
 私の父親は87歳で死にましたから、友人がほとんどいなくなっておりました。しかし、教え子みたいな存在はたくさんいました。その人たちがどこにいるかわからないと困るわけです。よかったのは、最後は姉と同居していましたから、姉が年賀状を全部代筆していたんですね。名簿をこれでいいかと全部本人と確認しながらやっていましたから、だれに連絡しなくてはいけないかということはわかりました。ずいぶん助かりました。そういうことを用意されるといいし、またお子さんの立場でも、ご両親の元気なうちに意見や話を聞いておくといいと思います。
 いま私は葬儀とかお墓の話で公民館などに行くケースがあります。そこには60代、70代の方がたくさん来られます。むしろ若い人が少ないんです。来られる方たちは、自分たちの葬儀をどうするかということを真剣に考えているんですね。どうしてほしいか、あるいはどうしてほしくないか、こういうことをしてもおかしくないのか、とか聞きにくるのです。
 
 実はお年寄りは自分の葬儀のことを心配していて、それをなんとか子供たちに伝えたいと思っているわけです。ところが、子供たちのほうが何か縁起が悪いんじゃないかと思って、そういう話を話題にしないようにしている。こういう話はむしろしてしまうと安心するものです。してしまえば、後は安心して元気に生きられるものです。
 「こういうふうにしてほしい」、「じゃ、そうするよ」…とやっておくと、お年寄りは後のことを心配しないでいいわけです。後はいま生きていくことについて充分精力を注ぎ込めるわけです。できるだけ元気なうちに家族でお話をなさったらよろしいのではないかと思っております。
 
■やっていいこと・悪いこと
 
 葬儀というのはいろいろなやり方ができるものです。しかし、いろいろなやり方といっても、やってはいけないということがあります。それは亡くなった人をないがしろにする葬儀です。これはやってはいけないことです。亡くなった人を中心に葬儀というものは行なわれなくてはいけない。とかくすると、亡くなった人が中心でない葬儀というのが結構行なわれがちです。亡くなった人が中心で行なわれているならば、いろいろなやり方がありだと思います。
 法律的なことを一応言っておきます。法律的には、亡くなったら医師が死亡を判定し、死亡診断書を発行します。これを添付して死亡届けを役所に出す。そして火葬許可申請書を出して火葬許可証をもらう。火葬は特別な感染症以外(昔は法定伝染病といいましたが、今は1類、2類、3類および指定の感染症をいいます)は24時間たってから火葬にする。24時間以内は駄目ですよということですね。
 
 葬儀のやり方については、軽犯罪法に「葬式妨害をしてはいけない」ということはありますが、法律には、葬式をこうしなくてはいけない、とは書いてありません。火葬には火葬許可証が必要です。また、遺骨を墓地とか納骨堂とかに納めるならば、同時に火葬許可証を提出しなければなりません。
 最近話題の散骨については、法律的にはいまだ確立していません。有力な法解釈としては「遺骨を捨てるのでなくて葬送を目的として、周囲の人などが嫌がらない場所で、節度をもって行なうならば違法ではない」となっております。節度をもったやり方というのは、たとえば森に入ったら遺骨が落ちていた、というのではみんなびっくりしますよね。遺骨を細かく砕いて撒いてしまえば、原型が全然わからない。細かく2ミリ以下程度に砕いて撒く必要があります。また、生活用水のところで撒くと嫌がる人もいます。本人は「骨はカルシウムだから栄養になるんだ」と言っても、嫌がる人がいる以上、やはり他人の感情は充分に考えないといけません。
 法律的に葬儀を規制するのはそんなものでございます。遺骨は捨ててはいけませんよ、死体も捨ててはいけません、死体を損壊してはいけませんよ、というようなことは書いてあります。法以前の常識であろうかと思います。
 本当にその人のためになるかどうかということを中心に考えて行うのであるならば、方法はいろいろあるんだろうなと思いますね。問題はその中心の気持ちがだんだん薄れることで、そのほうが心配です。
 
 いま葬儀が変わり目にあります。そこで怖いと思うことがあります。たとえばいま散骨の話をしましたが、散骨が本人の意思であるならばいいでしょう。しかし、遺骨の処理に困って散骨する遺族もいるわけです。これは遺骨遺棄です。立派な刑法違反になります。
 また、家族だけで親しく、本当にしみじみ送るために密葬にするのはいいでしょう。ただし密葬が流行ってきますと、こんなヤツのために葬儀までしてやれるか、いま密葬が流行っているから密葬でいいだろうとやるのは、これは葬儀ではなく、単なる死体処理だと思います。
 ですから、同じ形態をとっても、やっていいものと悪いものというのがあります。問題は形態ではなくて、そこにある精神というか心のもち方だろうと思います。人間の生活が変わってきますと葬儀も変わってまいります。しかし、死者を弔う心という基本的なことが、これからますます重要になっていくのではないかなと思っております。
 
(本稿は、2000年10月9日北海道北広島市で行った講演を加筆修正しました)

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